城とは何か:ブルク(Burg)とシュロス(Schloss),レジデンツ(Residenz),要塞(Festung)

城とは何か

ドイツといえばノイシュヴァンシュタイン城をはじめとするお城が有名です。

ではいったい「城」とは何でしょうか。だれが何のために建てたものなのでしょうか。城の役割とはいったい何でしょうか

一般的に、「ドイツの城」といった場合,そこには城塞(Burg)城館(Schloss)宮殿(Residenz),ときに要塞(Festung)が含まれてしまっていることが多々あります。

用いられている言葉が違ということは,それらに違いがあるということを意味します。

とはいえ中には当然中間的なものもたくさんあり,増築,改築によって形が変わったりしているものあるので,はっきりと線引きできるものではありません。

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ブルク(Burg)とは・・・

ヴァルトブルク城
ヴァルトブルク城

簡単に言えば軍事的機能を持った城のことをいいます。いわゆる城塞です。多くは山城(Hohenburg)であったり,水城(Wasserburg)であったりします。

城の構成要素は時代と立地条件に依存しています。最小単位は天守と訳されることの多いベルクフリートです。英語ではキープ,フランス語ではドンジョンと呼ばれる構造です。

その他,環状城壁跳ね橋,歩廊,矢狭間,堀,落し格子,殺人孔,胸壁,城門,右螺旋階段等が様々な組み合わせて構成要素となっています。

ドイツでは10世紀前半から建設が目立ち始め,1300年頃最盛期を迎えます。ドイツ全土で,1万とも2万5千あったともいわれていますが,実際にどれだけの城があったかは定かではありません。今はドローンを使用した遺構の発見等も行われているようなので,推定数はもっと増えているかもしれません。

ちなみに,日本では城跡や遺構を含めると,4~5万の城があったといわれています。

イギリスやフランスのように集権が相対的に進んでおらず,貴族豪族達が常に緊張関係にあり,戦闘も避けられない状態であったため,おびただしい数のブルクが存在することとなったと考えられています。(中小の城について調べているとき,規模的に城と言うより御家人屋敷と言う言葉が合うのではないかと思えるような城があります)

15世紀になると火器が発達し,そのためブルクは軍事的機能を喪失し,あまり造られなくなりました。そして時代はシュロスの時代へと移ります。

この城のイメージと言えば,バリバリの中世の荒々しい騎士達。訪れる時は一騎士の気分になって,どうやって城を攻めるかまたは守るかを考えながら訪れると,きっと楽しいでしょう。

ここでは近世の華やかなドレスを着たお姫様はまだ存在しません(勘違いしている人,とても多いみたいで)。

ドイツに-ブルク(-burg)という名がついている都市が多いのは,かつて城塞都市であった都市であることを示しています。

都市の名前からも,街の歴史をうかがい知ることができます。

シュロス(Schloss)とは・・・

モーリッツブルク城(ハレ)

平地に建てられ,軍事的機能と並んで,より広い領域を支配する拠点としての政治的意味合いが大きくなった城です。いわゆる城館です。防御性よりも居住性に重点が置かれるようになっています。

より快適な居住性を求めて…。

窓が殆どないかあっても小さな窓が少数しかなかったブルクに比べ,大きな窓が豊富に取り付けられるようになりました。

右螺旋階段が平階段に変わり、それに合わせて貴婦人のドレスが変わりました

野菜や薬草を育てていた畑に近い庭園が,美しい花で飾られ左右対称の美しい庭園に変わりました。

山の上に立つお城のお姫様や王子様をイメージできる城です。中世の騎士の時代は終わっているので,騎士はいません(やっぱり勘違いしている人が多いみたい)。

レジデンツ(Residenz)とは・・・

ウォールパビリオン

近世以降に多数出現する世俗君候の居城で軍事的機能はありません。いわゆる宮殿です。城は城でも,城主がいくつもの城を転々と移動することはなくなり,固定した行政機関としての役割が大きくなったものをいいます。

17世紀になって都市内に居住するようになってから建てられるようになりました。

華やかな宮廷生活をイメージできるのが宮殿です。

フェストゥンク(Festung)とは・・・

Marienberg
マリエンベルク要塞

従来のブルクでは,近世の火器の発達には対応できず,すぐに陥落してしまいます。そこで,大砲に対応できる防御機能を持った施設が登場するようになりました。それが要塞です。

ブルクがあった場所にそのまま要塞が建設されることもあります。そのようなものは城として紹介されることが多くあり,ブルクやシュロスの面影を色濃く残しています。

城壁は中世の頃に比べ低くなり,その一方で厚さを増して大砲を置きました。塔は弱点となるため,塔は次第に姿を消し,稜堡が周りを取り囲むようになります。

ドイツではプロイセン方式と呼ばれる多角形式要塞が発展しました。

ブルクやシュロスと全く関係がなく,軍事的に重要な拠点に新たに建てられた要塞は「塔」といったものはありません。

領主ではなく,軍服を着た兵士や司令官をイメージできるのが,要塞です。一軍人になって要塞を眺めてみてはいかがでしょうか。

中世のころは居住場所と防御施設が同じ,または近接しているブルクでした。しかし近世になると,領主が住む場所はシュロスやレジテンツとなり,軍事施設は要塞と分化していったと考えてよいでしょう。