ドイツの城にみられるベルクフリート(Bergfried)とはなにか

シュパレンブルク城(Sparrenburg)のベルクフリート
エプシュタイン城(Burgruine Eppstein)のベルクフリート

ドイツの城を見ると、多くの城には高い塔が建っているのが目につくのではないでしょうか。

この高くて強固な塔のことをベルクフリートといいます。日本語では、よく『天守』とか『主塔』とか訳されているのを見かけます。城の中には、複数のベルクフリートがあるものもあります。

ドイツの城の重要な基本構成要素の一つとなっており、城のシルエットを決める要素です。

ベルクフリートって、なんのためにあるの?

もともとは有事の際の避難場所だったんだけど、ベルクフリートの発展とともにいろいろな役割を持つようになったよ

ベルクフリートの役割は主に

  • 有事の際の住民たちの避難場所
  • 見張り塔
  • 権力の象徴

です。他にも食料庫や牢獄として使用されたベルクフリートもありました。

目次

ベルクフリートの発展

ベルクフリートが登場したのは12世紀頃とされているんだけど、それ以前のものはよくわかっていないんだよね。

ベルクフリートは中世初期からあったわけではなく、12世紀頃に新しいタイプの建物として登場し、14世紀までに中央ヨーロッパに広まっていきました。

12世紀以降のものは、高さをほぼ完全に維持しているものが多いのですが、12世紀以前のものは考古学的な発掘調査からわかっているだけ。基礎部分はわかっても高さを知るすべがありません。

居住性を放棄しているため、細長い形をしているのが特徴です。

高さは平均して20~30m。ライン川沿いの古城ホテルとして有名なラインフェルス城には、ドイツ最高の56mものベルクフリートがあります。

ベルクフリートの前身?ドン・ジョン

ヴォーントゥルム(Wohnturm)

城塔(Wohnturm)

一般的な用語では、フランス語のドンジョン(Donjons)が用いられますが、ドイツ語ではヴォーントゥルム(Wohnturm)と言われる塔です。住居塔といったところでしょうか。

住宅機能と防御機能を合わせ持った塔です。

ベルクフリートの前身とされますが、建設コストがそれほどかからない最小単位の城でもあり、裕福ではない騎士がこのような塔を建て、住居として住んでいました

ベルクフリートは居住性を排除して防御性能だけに特化したものです。一方、防御性能を排除し、居住に特化したものがパラス(Palas)と呼ばれる建物です。ベルクフリートの始まりは、居住と防御を分離したことに始まると考えられています。

居住館としてパラスを建て、塔からは居住機能をなくして無窓化しました。

ベルクフリートの前進?ローマ軍の見張り塔

ベルクフリートは、キープ(英語)やドン・ジョン(フランス語)とは形が似ているようでも、全く違うものに由来して発展したと考えられているのが一般的です。

キープやドンジョンは狭くて不便ながらも居住空間がありますが、ベルクフリートは居住空間を設けるには狭すぎます。

ローマ軍のただの見張り塔に由来していると考えられているので、そもそも居住性は考えられていません。

丘陵城砦(Turmhügelburg)

塔のみの城が東部国境地帯に数多く建設され、防衛戦線を形成していました。

後に塔の周りに他の施設が建設され、環状囲壁が建設されて城らしい形になっていきます。

初期の頃は木造の塔でしたが、11世紀後半、皇帝ハインリヒ四世(Heinrich IV.)の時代になって、木造を石造にする命令が下されました。

ベルクフリートの位置

ロマネスク時代や初期シュタウフェン時代、マルクスブルク城に見られるように、ベルクフリートは城の中庭に独立して立っていました。

しかし12世紀から13世紀にかけてこの状況は変化し、ベルクフリートは城の防衛任務に直接組み込まれるようになります。ベルクフリートは攻撃を受ける側に移され「機能化」しました。

ベルクフリートが中庭にあっては、敵が城域に入り込んでから出ないとその性能を発揮できません。しかし攻撃を受ける側に移動してしまえば、敵が城域に入り込んでくる前からその性能を発揮し、敵を攻撃することができます。

ベルクフリートの出入り口

バート・アバッハ(Bad Abbach)のハインリッヒ塔(Heinrichturm)
バート・アバッハ(Bad Abbach)のハインリッヒ塔(Heinrichturm)
H.Helmlechner, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons

ベルクフリートの中に入るのは大変なんだよ。

ベルクフリートは単独で存在していることも、他の建物と連結していることもあります。連結している場合でも、内部で他の建物とつながっていることはなく、中に入るためには独自のルートがあります。

原則的に、ベルクフリートはハイエントランスで、地上階に入口はありません

現在は観光用に橋や階段が設けられていることが多いのですが、かつては仮設の橋や梯子を使って中に入っていました。

入り口は、地上から高さ5~10mのところにあり、入口の扉は平時は閂でしっかり閉められていました。

あんな高いところに梯子を使って登るなんて、たいへん!重い甲冑を身に着けていたり、食料などの荷物を持っていると、さらにたいへん!

円柱?四角柱?ベルクフリートの形

初期の頃は平面図が正方形のベルクフリートが主流でしたが、後に攻撃に対し円形の方が安定しているが分かり、次第に円形が広まりました。そしてシュタウフェン朝後にレンガが用いられるようになると多角形が好まれ、多角形の塔が登場するようになりました。

帝国城砦コッヘム(Reichsburg Cochem)は、珍しい八角形のベルクフリートがあります。

ザクセンは城の建設時期が遅かったこともあり、ほとんどのベルクフリートが円筒形の形をしており、13世紀のものとされています。

背丸角石(Buckelquader)

シュタウフェン朝時代、表面に出ている面がボコッとなっている方形の石が大流行しました。この時代特有なので、シュタウフェンの壁とも呼ばれます。

表面は、きれいに整えられていることもあれば、粗削りのままのこともあります。

環状城壁と同様、この時代のものはこのような石が用いられていることが多いので、すぐに時代が分かります。

このような角石は高度な石工技術が必要とされ、技術が大いに飛躍しました。

ベルクフリートの最上階の形

ベルクフリートの最上階の形も、城のシルエットを決める重要な要素です。トンガリ帽子をかぶっていたり、胸壁があるままであったり、いろいろな形を想像できるのではないでしょうか。

多くの場合、胸壁で囲まれていたと考えられています。

大型の投擲機やカタパルトのような武器が置かれることはほどんどありません。

屋根があることもあれば、ないこともあります。

テント型の屋根や円錐形の屋根が一般的で、瓦やスレート葺、石積みがありました。

ベルクフリートの最上階は、朽ちてしまったり、再建された時に元の形とは異なっているものになっていたりと、原型がわからないものが多く存在します。

ヴァルトブルク城は19世紀に再現された城とは言え、本当に中世のベルクフリートを再現しているのかどうか、疑わしいとされています。

ベルクフリートの中には、監視台の下に狭いながらも居住可能な部屋があることがあり、塔守が使用していました。

ベルクフリートの数と配置

キフホイザー城(Burgruine Kyffhäuser)はひじょうに大きな城で、3つの部分からなり、そのうちの2つのオーバーブルクとミッテルブルクにそれぞれベルクフリートが残っています。

共同相続ブルクでは、各家系でベルクフリートを建てるなどをしたため、小さくても複数のベルクフリートを持つことがあります。

ベルクフリートの内部

最上階と最下層は石造りのヴォールトで閉じられてることが多い。

狭い螺旋階段が内部にあり、登ることができます。

ベルクフリートの役割

望楼

ベルクフリートは、なんと言っても城の中で一番高い建物です。

通常は、望楼として使われていました。

望楼からは、周辺状況をよく観察できます。塔の守衛は敵の動きをいち早く察知して警報を鳴らすことができましたし、包囲戦では前野の敵の様子を観察できました。

オスターブルク城(Schloss Osterburg)には、塔の守衛のための部屋が残っています。

盾として

グライフェンシュタイン城(Burggreifenstein)
グライフェンシュタイン城(Burggreifenstein) の盾城壁とともに城を守る2本のベルクフリート

塔は存在することで、その背後にある建物を攻撃から守っています。

三角形や五角形のベルクフリートは、その一角を攻撃を受ける側に向け、攻撃を真正面から直接受けないように、弾丸攻撃をそらすようにしていました。

グライフェンシュタイン城(Burgruine Greifenstein)のツインタワーは、ベルクフリートと盾城壁の中間体で、塔の間が盾城壁となっています。

角型ベルクフリートの場合、辺ではなく角を向けて、攻撃を真正面から直接受けないように、弾丸攻撃を外らすようにしていました。

牢獄

光が刺さない真っ暗なベルクフリート最下層は、牢獄として使用される例も多く見られます。

高さ4~8mある最下層はヴォールトで閉じられ、ヴォールトの頂点にあるオクルス(別名「恐怖の穴」)を通してのみアクセスできるようになっています。この穴から、梯子やウインチを使って中に入ることができます。

狭い上に、風通しも照明も悪く、時には真っ暗な地下室(暗室)に収容されることは、単なる拘留ではなく、囚人に対する深刻な心理的・身体的虐待を与えるものでした。

ステータスシンボル

ドイツのベルクフリートの場合、ステータスシンボルという主張には疑問符がついています。

なぜなら、後世の文学による推測の域を出ず、十分に証明できる資料が見つかっていないからです。

しかし周辺住民にとっては、やはり権力の象徴だったのではないかと思います。

避難場所

中世中期、巨大なベルクフリートは包囲された際に最も安全な建物であり、女性や高齢者、子どもたちが避難しました。

城の男たちがいないとき、攻撃を受けたのならば、ベルクフリートに逃げ込み、城の男たちが戻ってくるまで耐えました。

ただし、中世後期以降は、避難場所として設計されたものはありません。

まとめ

  • ベルクフリートは12世紀以降に登場した城の防衛システムで、高く(平均約23m)頑丈な細長い塔
  • 城のシルエットを決める要素の一つでもある
  • 居住性を排除し、防衛機能に特化
    • 出入り口が高所(5~10m)で梯子で登る
    • 見張り台
    • 後方の建物を守る盾としての機能
  • 平時は貴重品を入れる金庫、保管庫や牢獄として使われることもある
  • 包囲された時の避難場所(中世中期)

城にいる人たちにとって、ベルクフリートは拠り所だったんだね。

ベルクフリートの他にも、城を構成する要素はいろいろあるよ!

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