中世は今のように水道もなければ冷蔵庫もありません。
日本と違い自然の厳しい中世ドイツでは,どのような食生活だったのでしょうか。
飲み物
日本では飲み物といえば「水」と考えがちですが,水は大変貴重な存在でした。
簡単に手に入らなかった水
流れが急ですぐに海に水が流れてしまうような日本の川とは違い,ヨーロッパの川はすぐに海には流れず,水はたいていよどんでいます。
水は井戸,もしくは雨水から供給していました。山城で井戸を掘ることは大変コストのかかるものででしたので,経済的に豊かでないものは水槽を作って雨水を貯めて私用していました。
水は硬水で飲みにくく,濁った水を飲むと病気になるということが経験上分かっていたので,あまり好まれませんでした。
雨水を濾したものが飲まれましたが,それは大変贅沢な飲み物で,貴族の特権でした。庶民は水を口にすることはできませんでした。それゆえ,水はただの日本とは違い,飲料水に対するヨーロッパの概念は今でも違います。
では,人々は水の代わりに何を飲んでいたのでしょうか。それは酒とミルクです。
アルコール類
地元のワインは安く手に入り,最も安いのはビールでした。これらの酒は大人ばかりではなく,子どもにも手軽な飲み物として与えられました。
貴族は第一級の高級ワインをのみ,庶民は安いスパイス入りのワインか,ビールを飲んでいました。
ヨーロッパ人に酒の飲めない人がいないのは,こういうことが背景にあるんだと思います。アルコールが飲めない人間は水分を取るのが難しく,生きていけんなかったのではないかと考えられます。
当時のワインやビールは,今日のワインやビールと違い,とても酸っぱい飲み物でした。
人々はその酸っぱいワインやビールを飲むために,蜂蜜,生姜,シナモン等を入れて飲みやすくして飲みました。その名残が,ドイツのクリスマス時に飲まれるグリューワイン(暖めた赤ワインにスパイスと砂糖を入れたもの)です。ワインに甘味を加えることは特に北ドイツで好まれました。
ワインをそのまま飲むことはまれでした。
中世のころに好んで飲まれた蜂蜜酒は,水と蜂蜜から作られました。
その他の飲み物
ミルクは牛乳とヤギ乳が主に飲まれました。
秋には果汁も良く飲まれました。果汁も庶民の飲み物です。
ドイツの人が果汁飲料を良く飲むのは,ずいぶん昔からのことのようです。果汁を飲むのは健康のために良いということを知っていたので,好んで飲まれたようです。
食べ物
実際の食事風景は,多くの騎士映画に出てくるような食事風景とはまったく異なるものでした。
ひじょうに簡素で単調なものでした。
中世は,ジャガイモもパスタもまだ存在していません。
朝遅くに朝食を食べ,日没後に夕食を摂る1日2食の生活でしたが,時代とともに昼食も摂られるようになりました。
粥
当時の庶民が普段よく食べていったものは,雑穀や豆の粥やムースでした。ここでは粥と書いていますが,ポタージュスープの10倍ぐらい濃くてどろどろしたものを想像してください。材料の形が殆ど無くなるまで煮こんだスープです。
エンドウ粥,レンズ豆粥,キビ粥,カラス麦のムースも食べられていました。夕食に1品か2品だけ,暖かい食べ物を食べていました。
ヨーロッパの言語ではスープは飲むのではなく食べると表現するのは,スープはドロドロの粥状の食べ物であったことが背景にあります。
温かい粥ばかりではなく,冷えきってしまった粥も良く食べていたようです。(現在でもドイツ人は,1日に1度ぐらいしか暖かい食事を摂りません)
同じ粥でも庶民と貴族では成分がやや異なり,貴族が食べる粥には輸入穀物である米が濃化剤として使われたこともあります。
当時は歯の悪い人が多かったのですが,粥は歯の悪い人も難なく食べることができました。
麦類
朝食と昼食は焼き立てパンのこともあったし,古いパンのこともありました。
パンをミルクやワインに浸して食べていたようです。
当時,最もよく食べられていたのはライ麦です。粥にもされたし,パンも作られました。
上流階級は小麦や大麦から作った白いパンを好んで食べていました。それらは“領主のパン(Herrnbrot)”とも呼ばれるように,白いパンを食べること特権でした。
カラス麦は馬の飼料とされ,大麦からはビールが醸造されました。
その他食材
卵やミルクは大切な食べ物で,粥やムースの材料となりました。
特に痛みやすいミルクの一部は,チーズにされました。特に肉食をしてはいけない期間(灰の水曜日からイースターまで)の時の大切なたんぱく源でした。
使用人たちは,農家と同じものを食べていました。
肉類
肉はヨーロッパ人の主食?否,庶民はそれほど肉を口にすることはできませんでした。
家畜は森の中の囲い地に飼っていました。豚を放す囲い地には豚の餌となるものがたくさん落ちているところ,広葉樹林が利用されていました。当時の集落の分布を見ても,ドングリのたくさん取れる広葉樹林帯に集中しています。
屠殺して肉にする家畜は,これ以上飼っていても無駄と判断されてもの,つまり,ミルクが出なくなったり毛が採れそうになくなったり,労働にも使えなくなったものです。その肉は固く,焼くにしても,焼く前に数時間煮込まないと食べられないようなものでした。
その他狩猟で採取した野生動物の肉も,たまに食卓を彩りました。アカシカ,カモシカ,アルプスカモシカ,ヤギ,イノシシ,クマ。時には小動物のキツネやアナグマもテーブルを賑わしました。
ただし狩猟は貴族の特権であり,当然これらの野生動物を口にすることが出来たのは領主のみです。
肉の中でも鳥類の肉は重要で,ガチョウ,ハト,鶏などが食べられました。特に喜ばれたのは「極楽の鳥」であり「不死の鳥」とされたクジャクですが,のちにはクジャクよりも美味しいキジが喜ばれるようになりました。
川や湖に近いところでは魚が良く食べられました。下男が定期的に釣り具や魚網をもって自ら採取するか,近くの街に買い付けに出かけました。
野菜や果物類
領主婦人は定期的に下女を森に行かせ,ナッツ類,キノコ類,食草を採らせました。
城壁の内側では果樹,豆類,西洋油菜,ウイキョウ,セロリ,ネギ等が栽培されました。食草ばかりではなく,薬草も栽培されていたようです。このころの城の庭園は,庭園と言うよりも畑と言った方が良いようです。
保存食づくり
リンゴやナッツ類はそのままの形で保存されましたが,プラムやサクランボ,西洋ナシのような痛みや易いものはドライフルーツにされました。
- 野菜,豆類,エンドウ,キノコ類:冬に向けて乾燥処理を施しました。果物類はドライフルーツにするだけでなく,蜂蜜漬けにしました。
- 肉:薫製にしたり塩漬けにされました。乾燥肉ももちろん作られました。時には肉と果物を同じ樽に漬け,果汁が肉に染み込んで保存性をよくしました。害虫をいっしょに漬け込んでしまったり,ネズミに食べられたりといろいろ苦心していたようです。
- ナッツ類:中でもアーモンドは貴族の食卓になくてはならない材料で,ムースやソースに使われました。
- 果物:みかんやレモンなどのイタリアからの輸入品は貴族の食べ物でした。外国の砂糖漬け果物も同様に貴族のみが口にすることが出来ました。庶民は自分のところで取れた果物の砂糖漬けのみでした。
このころの料理には非常に多くの香辛料が使われています。それをそのまま現代の材料で再現しようとすると、非常に香辛料のきつい食べ物となってしまいます。
当時は輸送状態や保存状態が悪く香辛料がかなり痛んでしまっていたために,大量に使わなければならなかったようです。
家庭菜園
城にあるハーブ園や果樹園、いわゆる家庭菜園は城の住民たちにとってひじょうに重要なものでした。
ハーブ園
騎士が宴会でビールやお酒を飲みすぎて二日酔いになってしまった場合、家人にお願いし、ハーブティーを煎れてもらっていました。
また、騎士が負傷したり病気になった場合も、治療のためにハーブティーを煎れて飲んでいました。
リンゴ園
特に冬場、リンゴは重要なビタミン補給源でした。
原則として、
- 戦うもの:1個/1日
- 戦わないもの:1個/1週間
- 女性:虫食いのリンゴ

なにこれ女性差別じゃないの!こんなんで子どもを生み育てられるわけないじゃないの!



戦いの多い時代。戦いのために男性が優先された時代なんだよ。
多くの城でブルクマン、召使い、女中、領主が週に何個のリンゴが与えられるのか、契約で決められていました。