新着記事一覧
-
ヘッセン州の城
マールブルク城(Landgrafenchloss Marburg)の歴史と見どころを紹介!―グリム兄弟が学んだ街
メルヘン街道のグリム兄弟が学んだとされる大学のある街にあるマールブルク城。ヘッセン方伯の主要な居城として発展しました。現在はマールブルク大学附属博物館として、城の歴史だけでなく、ヘッセンの郷土史について興味深い展示があります。ここでは、ヘッセン史そのものともいえるマールブルク城の見どころと歴史を紹介します。 -
ヘッセン州の城
クロンベルク城(Burg Kronberg)の歴史と見どころを紹介!―一族間で宗教対立
マイン川(Main)の下流、タウヌス山地(Taunus)の南嶺に位置する山城です。 城の立地山城城の種類ブルク城主の階級ミニステリアーレ階級のクロンベルク家→マインツ選帝侯→ナッサウ公国→クロンベルク市最初の城の設立1216年から1223年 フランクフルト(Fr... -
ヘッセン州の城
ビューディンゲン城(Schloss Büdingen)の歴史と見どころを紹介!―ヘッセンのローテンブルク
ビューディンゲンはドイツ木組みの家街道にある街で、ヘッセン州のローテンブルクとの異名があることからわかるように、中世の街並みと城がよく保存されている素敵な場所です。 街の雰囲気も、城の雰囲気も、とても中世的で素敵ね 城の雰囲気も、街の雰囲... -
ヘッセン州の城
ザールブルク城(Kastell Saalburg)の歴史と見どころを紹介!ー古代ローマを守る国境城塞
ザールブルク城砦は、ローマ帝国とゲルマニアの国境に築かれた国境城砦です。ローマ帝国は国境を監視するためにリメスを築き、監視塔を築き、城砦を築き、監視していました。ローマ帝国の国境城砦であるザールブルク城砦にはリメスや浴場跡、発掘された兵士たちの日常生活品などが展示されており、ドイツにいながらにして古代ローマを知ることができます。
-
ドイツ中世の生活
中世ヨーロッパ貴族の子どもの教育とはどんなものだったのか
昔の日本と同様に、ヨーロッパでも基本的に上流階級の母親は自分で母乳を与えず、乳母に世話をさせます。 子どもの教育が本格的に始まるのは7歳から。小学生になる年齢です。 男の子は戦士(騎士)になることが期待され、女の子は家事だけでなく、兵士たち... -
ドイツ中世の生活
中世ヨーロッパの食生活―人々はどんなものを食べ、飲んでいたの?
中世ドイツでは、騎士たちは何を食べ、何を飲み、どのような食生活をおくっていたの? 中世の時代は今のように便利な水道もなければ冷蔵庫もありません。便利なシステムキッチンもありません。 今のような便利なキッチン用品や家電がなくても、上流階級は... -
ドイツ中世の生活
ヨーロッパ中世の貴族たちの娯楽と遊び
中世は、今のようにスマホやゲーム機はありません。楽しいテーマパークだってありません。 中世の人たちだって、遊ぶことはあるよね? もちろん、中世の人たちだって、仕事や勉強ばかりでなく、時には思い切って遊ぶことだってあったよ 日々の辛い仕事を乗... -
ドイツの城の構造
ドイツの城の構造―日本の城と西洋の城の違いと共通点
ドイツを始めとするヨーロッパの城の構造は、機能的に日本の城と同じところもあれば、日本の城にはないものもあります。城の各部分がどのような機能と目的を持っているのかを知ると、城を見る目が変わり、よりいっそう楽しくなります。このページでは、ヨーロッパの城の構造と機能を解説します。 -
城とは何か
ドイツには城がいくつあるの?城が多い理由は?
ドイツにはたくさんの城があると言われているけど、その数はいったいいくつなのか?ドイツに城が多いのはどうして?そんなことを考えたことはありませんか。ドイツにある城の推定数と、ドイツに城が多い理由を解説しています。 -
ドイツ中世の生活
中世の城で騎士たちはどんな日常生活を送っていたのか
ドイツ中世の城で騎士たちによる華やかな宮廷生活が…、と言いたいところですが、実際の生活は厳しいものでした。衣食住は基本的に自給自足です。城は窓が少なくて暗く、石造りの壁は寒さがこたえます。中世の騎士たちはいったいどんな生活を送っていたのでしょうか。 -
城とは何か
ドイツの城:ブルク(Burg)とシュロス(Schloss)、フェストゥンク(Festung)の違い
一口に「ドイツの城」といった場合、そこには「ブルク」や「シュロス」、ときに「レジデンツ」や「要塞」が一緒くたにされてしまっていることがあります。しかし言葉が違うということは、その意味することも違うことを示しています。ここでは、その違いについて解説します。 -
ドイツ中世の生活
中世貴族の服装の変遷
中世の人々も,現代人と同じようにファッションを楽しんでいました。 その変遷を見ていきたいと思います。 時代とともに新しい形,新しい色が誕生していきます。 富裕層は温かい革や毛皮を購入することが出来ましたが,庶民は重ね着をして冬の寒さを耐えし... -
ドイツ中世の社会制度
騎士叙任式(Ritterschlag)ー少年が騎士の仲間入りをするための儀式
騎士を目指す少年が棋士になるためには、ページ(Page:騎士見習い、小姓)として主君に仕え、修行する必要がありました。 そこで能力を認められれば、20歳ごろに正式な騎士叙任、いわゆる刀礼(Rittershclag)、アコレード(Accolade)を経て、騎士の仲間... -
ドイツ中世の社会制度
中世ドイツ貴族(Adel)階級の始まりと歴史
城に住んでいるのは、お姫様や王子様といった貴族よね。憧れちゃうわ~。貴族はどうやって貴族になったの? 城に住んでいるから貴族なのではなく、貴族は社会的特権階級です。独自の生活様式、風習、倫理観を持った社会階級。 貴族の起こりは国により地域... -
城とは何か
城(ブルク)はどのような過程を経て建設されたのか
現代のような便利な建機がない中。石造りの城はどうやって建てられたのでしょうか。城を建てたい場所を見つけたのなら、君主に許可をもらい、腕の良いマイスターを雇い、周辺住民を使役し、建設していきます。 -
用語&人物集
騎士のスポーツ馬上槍試合(Turnier)とはどんなもの?
中世の騎士たちが熱狂した馬上槍試合(トーナメント)は、戦争ができない武人たちの鬱憤晴らしを目的として始まりました。トーナメントで富と名声を得られれば、成り上がることができました。トーナメントとはどんなものか、トーナメントの歴史、現在に残るトーナメントについて解説します。
-
ヘッセン州の城
ハイン城(Burg Hayn)―ザリエル朝の狩猟の館
フランクフルト国際空港から東南東に約5km、ドライアイヒ(Dreieich)にある城跡。 その歴史は古く、城郭軍の最古の部分は11世紀にまで遡ります。 城の地勢水城城の種類ブルク城主の階級帝国ミニステリアーレ→ハーナウ伯爵最初の城の築上年1080年頃 ハイン... -
ヘッセン州の城
エプシュタイン城(Burg Eppstein)の歴史と見どころを紹介!―城の東西で異なる歴史
フランクフルト・アム・マイン市の北西に位置するエプシュタイン城。タウヌス山地の山の尾根筋に立つ山城。中世時代はこの地域の有力な貴族の邸宅でした。 城の地勢山城城の種類ブルク城主の階級神聖ローマ帝国→エプシュタイン伯爵→マインツ大司教→ヘッセ... -
ヘッセン州の城
シュタイナウ城(Schloss Steinau)の歴史と見どころを紹介!―グリム兄弟ゆかりの城
シュタイナウ城・アン・デア・シュトラーセ(Schloss Stenau an der Straße)はメルヘン街道にある城。 シュタイナウは、フランクフルト(Frankfurt am Main)とライプツッヒ(Leipzig)を結ぶキンツィヒ街道沿いにあり、ドイツ東部・中部・西部間の交易で... -
バーデン・ヴュルテンベルク州の城
ヴィンプフェン城(Pfalz Wimpfen)の歴史と見どころを紹介!-都市に取り込まれた帝国城砦
古城街道のバード・ヴィンプフェン(Bad Wimpfen)にあるヴィンプフェン城は、シュタウフェン朝時代のカイザープファルツで、帝国城砦の一つ。 城の立地山城城の種類ブルク城主の階級神聖ローマ皇帝→ヴォルムス司教→ヴァインスベルク卿→都市ヴィンプフェン... -
ヘッセン州の城
ゲルンハウゼン城(Kaiserpfalz Gelnhausen)の歴史と見どころを紹介!-バルバロッサの城
フランクフルト(Frankfurt)の北東約20kmのところに位置し、フランクフルトから日帰り観光できる場所。城はもちろんのこと、ゲルンハウゼンの町は木組み建築の家々が立ち並ぶ美しい街並みを楽しむことができる場所です。 ゲルンハウゼンなんて、聞いたこ... -
おすすめの城
ぜひとも訪れたい古城街道のオススメのお城10選
ドイツ古城街道には、お城がたくさんあります。美しい城だけでなく、城塞都市や教会も見どころなのですが、ここではあえて城に限定してオススメの城を10城選んでみました。 -
チューリンゲン州の城
ゾンダースハウゼン城(Schloss Sondershausen)―候国の城の見どころと歴史
チューリンゲン州にあるゾンダースハウゼン城は、シュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン侯爵(Fürsten zu Schwarzburg-Sondershausen)の居城だった城です。 不規則な四翼からなる城は、建築時代が異なっており、いろいろな時代の建築様式を見ることがで... -
ラインラント・プファルツ州の城
ザイン城(Burg Sayn)廃墟―ベルクフリートで泊まれる民泊の城
コブレンツ(Koblenz)の北約10mのところにある山城の廃墟で、ライン川沿いに建つ城の一つです。 城のある場所がコブレンツよりも北にあるため、ライン川下りを含む一般的なパッケージツアーのコースから外れてしまっているのが残念です。 なお、このブル... -
ノルトライン・ヴェストファーレン州の城
ザッツヴァイ城(Burg Satzvey)
ボン(Bonn)の東南東約20kmのところにあるメヒャーニッヒ(Mechernich)にある小さな水城です。 12世紀に建てられた中世の美しい水城で、ラインラインと地方では最も保存状態の良い水城とされています。破壊されたことが、ほぼありません。 現在この城は... -
チューリンゲン州の城
ルンネブルク城(Die Runneburg)
ルンネブルク城は、ヴァイセンゼー城(Burg Weißensee)とも言います。 エアフルト(Erfurt)の北約20kmのところにある丘城で、ヴァルトブルク城とは姉妹城になります。 ロマネスク様式の門やベルクフリートの地下、パラスなど、中世中期の建築物が保存さ... -
ザクセン州の城
ランメナウ城(Barockschloss Rammenau)
ランメナウ城は、その名の通りバロックシュロスで、ザクセン州の中でも保存状態の良いバロックシュロスになります。 ドレスデン(Dresden)の東北東約30kmのランメナウにある城です。 西ラウジッツ(Westrausitz)景観保護区に含まれています。 現在この城... -
バイエルン州の城
パッペンハイム城(Burg Pappenheim)
パッペンハイム城は、フランケン中部地方のパッペンハイム市にある城で、アルトミュール川が大きく蛇行している場所の尾根にある城廃墟です。 元は帝国ミニステリアーレでしたが、後にパッペンハイム伯爵に昇格したパッペンハイム家の居城で、現在もパッペ...
-
社会的背景
巡幸王権(Reisekönigtum)―定住地せずに移動し続ける君主
フランク王国時代から中世後期まで、ヨーロッパの国々は 国を統治するための恒久的な政治の中心地である首都を持たず、多くの側近を従えて国内を転々と移動しながら支配していました。 これを巡幸王権(Reisekönigtum)といい、ドイツのみならず他のヨーロ... -
社会的背景
フランク王国メロヴィング朝はどんな時代?―中世の始まり
古代から中世への変換点はいつなのか。 ドイツにおける中世の始まりは、375年のフン族の襲来を始まりとする説が一般的です。 フン族の襲来によりゲルマン民族の大移動が発生し、移動してきたゲルマン民族により古代ローマ帝国が滅び、ゲルマン民族のフラン... -
ドイツ中世の社会制度
騎士叙任式(Ritterschlag)ー少年が騎士の仲間入りをするための儀式
騎士を目指す少年が棋士になるためには、ページ(Page:騎士見習い、小姓)として主君に仕え、修行する必要がありました。 そこで能力を認められれば、20歳ごろに正式な騎士叙任、いわゆる刀礼(Rittershclag)、アコレード(Accolade)を経て、騎士の仲間... -
ドイツ中世の生活
中世の騎士(Ritter)とは一体どんな存在だったのか?
中世ヨーロッパ、または中世ヨーロッパ風世界観の物語には必ずといっていうほど登場する騎士。 みなさんは、騎士に対してどのようなイメージをお持ちでしょうか? よくある騎士のイメージは、悪いドラゴンを倒し、お姫様を救い出すような英雄物語に登場す... -
社会的背景
中世ドイツの農業革命と人口爆発
1000年頃、神聖ローマ帝国とスカンジナビア半島の人口は約400万人であったとされていましたが、14世紀なかばになると1160万人に増えたとされています。 6世紀と14世紀に疫病で人口増加曲線は崩れるとはいえ、13世紀以降になるとそれまでには見られなかった... -
社会的背景
十字軍の遠征がヨーロッパに与えた影響
キリスト教の騎士たちが聖地奪還を目指してエルサレムへと遠征しました。 十字軍の遠征から無事に帰還した騎士たちは、東方で得た文化を自国に持ち込み、築城術や騎士道が洗練されていきました。 【十字軍の遠征とは】 セルジューク朝トルコの拡大に苦しめ... -
ドイツ中世の社会制度
国王選挙と王位継承―血統主義と選挙原理の間で
国王選挙という言葉を聞くと、多くの人が首をかしげるかもしれません。 万世一系の日本の皇室とは異なり、中世ヨーロッパにおいて国王は諸侯による選挙で選ばれます。 王位継承は血統がすべてでは?選挙で選ばれるの? と不思議に思う方が大半でしょう。 ... -
社会的背景
騎士とキリスト教(カトリック)との関係のはじまり
中世ヨーロッパ騎士道とキリスト教との間には、切っても切れないような深い関係があります。 礼拝堂のある城が多く専属の司祭がいることもあった毎朝必ず城の礼拝堂でミサを行う教会から破門されることがなによりも恐ろしいと騎士は思っている そんなイメ... -
ドイツ中世の社会制度
ドイツ中世の封建制度と封建契約
封建制度は、中世に始まりました。 封建制度は、もともとはフランク王国が戦闘力の高い重装騎兵を調達する方法として生み出したものです。 皇帝オットー二世は981年に約2千の重装騎兵、約4千の盾持ちから成る軍を擁していたことが明らかになっています。 ... -
ドイツ中世の社会制度
フランク軍の重装騎兵ー騎士の始まり
ヨーロッパの騎士道は,中世にその起源があります。カール・マルテルがイスラム軍の侵攻に対抗するために「フランクの重装騎兵」を誕生させました。フランクの重装騎兵に騎士の起源をみることができます。 -
ドイツ中世の生活
ヨーロッパ中世の貴族たちの娯楽と遊び
中世は、今のようにスマホやゲーム機はありません。楽しいテーマパークだってありません。 中世の人たちだって、遊ぶことはあるよね? もちろん、中世の人たちだって、仕事や勉強ばかりでなく、時には思い切って遊ぶことだってあったよ 日々の辛い仕事を乗... -
ドイツ中世の生活
中世の城で騎士たちはどんな日常生活を送っていたのか
ドイツ中世の城で騎士たちによる華やかな宮廷生活が…、と言いたいところですが、実際の生活は厳しいものでした。衣食住は基本的に自給自足です。城は窓が少なくて暗く、石造りの壁は寒さがこたえます。中世の騎士たちはいったいどんな生活を送っていたのでしょうか。