バート・ホンブルク城(Landgrafenschloss Bad Homburg)の歴史と見どころを紹介!―プロイセン王家の夏の離宮

バート・ホンブルク城(Schloss Bad Homburg)

バート・ホンブルク城は、フランクフルト(Frankfurt am Main)の北にある小さな温泉街バート・ホンブルク・フォン・デア・ヘーエ(Bad Homburg v.d.Höhe)にある城で、単にホンブルク城(Schloss Homburg)と表記されることもあります。

Bad(浴場)という名前がついていることから分かる通り、温泉療養地だよ。

城の立地丘城
城の種類シュロス
城主の階級帝国家臣→エプシュタイン伯→ヘッセン方伯→プロイセン王国→ヘッセン州
最初の城と築城年代1180年頃

ヘッセン=ホンブルク方伯(Landgraf von Hessen-Homburg)の居城だったところで、1866年からはプロイセン王妃の夏の離宮として利用されていました。

今の城は、ヘッセン方伯が建てたものなんだよね

バート・ホンブルクでは、年に一度提燈祭り(Laternen Fest)が行われ、城のシャンデリアや燭台に本物のろうそくが灯されます

今現在は電灯になってしまっているシャンデリアがほとんどだと思いますが、本物のろうそくを灯したシャンデリアの明るさを体験できるのは大変貴重な機会!

ろうそくの明かりに照らされた城を体験できたところは、ここだけです。

目次

バート・ホンブルク城の構成と見どころ

バロック様式の塔門

ベルクフリート

白い塔(Weißenturm)

バート・ホンブルク城のベルクフリート。14世紀に建てられた城の最も古い部分で、ドーム屋根ができたのは1634年。屋根の上の風見鶏は1704年のもの。

直径10mの円筒形で、石落としのあるコーピングまでの高さは27.11m、上部塔は直径5.59m、高さ21m。全体の高さは48.11m。

写真は薄汚れてしまっていますが、白漆喰が塗り替えられたばかりの頃は白く輝いています。

バート・ホンブルク市のシンボル塔。

バート・ホンブルク城の白い塔

白い塔にある方伯フリードリッヒ6世の像

もともとはバロック様式のネプチューン像があったそうなのですが、1849年に中世後期の騎士の鎧を纏ったフリードリッヒ6世の雑煮置き換えられました。

英国翼(Englischer Flügel)

英国翼の食堂
英国翼の食堂
TeKaBe, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons

プロイセン時代の1835年から1841年にかけて古典主義様式で作られたもので、家具もその時代のもの。

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バート・ホンブルク城の歴史

バート・ホンブルク城(Schloss Bad Homburg)
バート・ホンブルク城(Schloss Bad Homburg)
User: Celsius at wikivoyage shared, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons

中世時代のホンブルク城:エプシュタイン領の時代

城の中庭にある「白い塔」と旧パラスにある地下室だけが、初期ブルク時代の名残の建物です。

1180年頃

皇帝フリードリッヒ一世(赤髭王)の家臣であったヴォルトヴィン・フォン・ホーヘンベルヒ(Wortwin von Hohenberch)が、現在ホンブルク城が建っている場所に最初の建物を建てたと思われ、バート・ホンブルク市の創始者と考えられています。

この時代の建物はすぐに焼失してしまい、その後木組み建築の建物が建てられ、13世紀再び焼失しました。

14世紀後半

エプシュタイン(Eppstein)家の封建家臣であったブレンデル・フォン・ホンブルク(Brendel von Homburg)がここに居を構え、石造りのより大きな城砦群を建築しました。

白い塔はこの時代に建てられたものです。

1487年2月10日

ゴットフリート九世・フォン・エプシュタイン(Gottfried IX. von Eppstein)伯は、城、都市、政庁をフィリップ・フォン・ハーアウ(Philip von Hanau)伯に売却。

1441年の書簡

橋、堀、最外部の城門、第三・第四住居棟、聖なる家、城の礼拝堂、庭園、散歩道などが記されています。

ヘッセン方伯の時代:ブルクからシュロスへ

1633年のバート・ホンブルク城
1633年のバート・ホンブルク城 Valentin Wagner, Public domain, via Wikimedia Commons

16世紀後半のヘッセン方伯の時代になると記録が増え、より正確に城の様子を把握することができるようになります。

屋根のない白い塔、パラス、ケメナーテ、3階建ての石造りの家があります。方伯たちは3階建てのパラスの1階に住んでいました。

1504年

プファルツ・バイエルン継承戦争により、ホンブルクはヘッセンの領有するところとなり、その後ハーナウとヘッセン間に紛争が起こりました。

1577年

1567年にフィリップ寛大伯が亡くなるとヘッセン領は分割され、ヘッセン継承戦争によりホンブルクはフィリップ・フォン・ヘッセン=ラインフェルス(Philip von Hessen-Rheinfels)伯の手に渡りました。

フィリップの死後、ヘッセン=ダルムシュタット(Hessen-Darmstadt)方伯家が継承します。

ヘッセンの歴史については、マールブルク城の歴史が参考になります。

1679年

フリードリッヒ二世・フォン・ヘッセン=ホンブルク方伯(Friedrich II. von Hessen-Homburg)は城と都市、行政庁を買い取ります。

1680年

ベルクフリートだけを残して古い城を取り壊し、新しいバロック様式の城の建設を開始。フリードリヒスブルク(Friedrichsburg)と命名しました。

しかし資金難のため、18世紀には工事が中断しました。

19世紀:古典主義様式の城へ

1818年

フリードリヒ六世が英国王所エリザベスと結婚。エリザベスの多額の持参金により、荒れていた城はドイツ古典主義の城へと改築が始まりました。改築には約20年の歳月がかかっています。

1824年

白い塔に白漆喰が塗られ、まばゆい美しさとなりました。1835年にかけ、次々と新しい建物が建設されていき、庭園も完成していきました。

1866年

ヘッセン=ホンブルク家が途絶え、相続契約に基づきヘッセン=ダルムシュタット方伯に譲渡されます。

ホーエンツォレルン家の時代

1866年

ドイツ戦争に敗北したヘッセンはホーエンツォレルン家にホンブルクを割譲しなければなりませんでした。ホンブルク城はホーエンツォレルン家の夏の離宮に指定され、1918年までホーエンツォレルン家はホンブルク城を頻繁に訪れています。

フリードリッヒ皇后がクロンベルクにフリードリヒスホーフを建設する際、ホンブルク城の英国浴に滞在しています。

バート・ホンブルク城の公式サイト

バート・ホンブルク城へのアクセス

Uバーンでゴンツェンハイム(Gonzenheim)まで行って、街を散策しながら城まで行っても良いね。

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