ジグマリンゲン城(Schloss Sigmaringen)―豪華絢爛なホーエンツォレルン家の居城

ジグマリンゲン城(Schloss Sigmaringen)

黒い森(Schwarzwald)はドナウ川(Donau)上流、ジグマリンゲン(Sigmaringen)にあるシュロスです。

この城は、名門ホーヘンツォレルン(Hohenzollern)家の居城だよ。

とにかく豪華。調度品、壁や天井に至るまでとにかく豪華絢爛です。武器庫のコレクションも見事で圧倒されました。

現在の城は17世紀から19世紀にかけて、大規模に新築・改築されたもので、城の古い部分は隠されてしまっており、古い建物の名残が見られる部分は、ごく僅かです。

この城の魅力は、なんといっても

上級貴族の生活感を感じられる城

であることです。

同じホーエンツォレルン家の城でも、ホーエンツォレルン城はほとんど住んでいなかったので生活臭というものを感じなかったのですが、ジグマリンゲン城は「ここで貴族が生活していた」ことを感じることができます。

目次

ジグマリンゲン城の見どころ

遠目に見ても巨大な城だと感じていましたが、近くで見ても、どう写真を撮ったらいいか迷ってしまうような城でした。

城の内部はガイドツアーで見学可能です。

ガイドさんから、中庭から各建物の大雑把な歴史の説明を受けます。どの建物がいつごろできたのかという説明です。続いて中を見学するときの注意事項についての説明を受けました。

靴のまま見学できますが、必ず赤絨毯の上を歩いてね

一番最初に通された部屋は両側に装飾用と思しき甲冑が1対。置いてある家具もよい品です。

キャノンホール(Kanonenhalle)

階段の下には大きな陶器があり150cm以上はあるのではないでしょうか。

このプロイセン王国の大きな花瓶は、カール・アントン侯爵の金婚式を記念して皇帝が贈ったものです。

階段の所の窓には金属製の騎士の置物があり、それも何か意味があるようです。

あるご婦人の部屋は、ポルトガル王妃になった方らしいです。その部屋の鏡台のガラス細工が非常に人目を引きつけるものです。鏡の周りにガラスの花が飾られています。

その隣のそのお姫様の寝室には、これまた豪華なガラス細工のシャンデリアがありました。近世にいろいろ電化されたらしく、シャンデリアもロウソクではなく電球用のもの。

暖房システムもセントラルヒーティング(Zentral Heizung)になっており、暖房システムは窓の所を通り、外からは見えないような造りになっているそうです。

暖房設備はかなり近代的ね。

天井は、今まで見た城には無かったような細工、銅板レリーフ。他にもいろいろな天井があって豪華。ドアにもそのようなものが付けられていて、豪華でした。

黒の間(Schwarzen Salon)
黒の間(Schwarzen Salon)
Edelmauswaldgeist, CC0, via Wikimedia Commons

代々の城主でしょうか、壁に全身の肖像画が描かれている部屋に案内されました。代表的な人だけ説明を受けます。時代とともに変わる衣装の変遷が、肖像画から垣間見えるのが面白いですね。

関連:中世貴族の服装の変遷

ポルトガル館

ポルトガル館

奥に見えるのはポセイドンの像です。スキュラの像も1対ありました。

壁にかけられているのは、1520年に製作された貴重なタペストリー。

狩猟の間

狩猟の間(Jadgzimmer)
狩猟の間(Jadgzimmer)

こういう城にはお決まりの虐殺の間狩猟の間があります。小さなシカの頭と大きなシカの頭がたくさん飾ってあります。

ヒグマ(絶滅危惧種)が1頭寝ており,熊をしとめたときの写真(死んだ熊の上に腰掛けてるお決まりのポーズ)と猟銃がガラスケースに展示されていました。

アカキツネ(現在保護対象)にクロライチョウ、ヨーロッパオオライチョウまで。上では鷲(オジロワシ?)の剥製が回っています。アオサギ他いろいろな動物がありました。

武器庫

狩猟の間から階段を降りると、そこは武器庫

豊かさと多様性において、武器庫はヨーロッパ最大級の個人コレクションを所蔵しています。

武器庫の前には甲冑が十数体飾られていた。その前には鍵?と思しきものがいくつかガラスケースに入れられて展示されていました。よく出来ているけど、どういう鍵の仕組みになっているのか、いまいち良く分かりません。

ガイドさんの説明によると、武器庫には約3000点の武器が納められているらしい。

14世紀から20世紀にかけての武器、15~17世紀の騎士の鎧などが展示されています。

さすがは武器コレクター

ウォー・ピック(war pick)、ブラワ(bulawa)、メイス(mace)、サーベル(sabre)、ツヴァイハンダー(Zweihander)、ハルバード(Hallebarde)、グレイヴ(glave)、他にもいろいろな武器。

ドラゴンクエストとか、ファイナルファンタジーといったゲームででてくる武器がたくさん。もちろん、実物を見るのははじめて♪

銃もたくさん。

武器は金網のフェンスで守られ、金網のすぐ向こうにそんなのが所狭しと両側に並んでいます。

日本の鎧発見。東南アジアの武器もある。

フランベルジュは実用的な刃もあれば、どう見ても装飾用の刃もあります。

波打ち方が違うから分かります。刃が波打っているスピアもありました。

レイピアのように見えるけど、その刃がねじれて螺旋を描いてるもの。ドリルレイピア?ともいえるような、あまり実用的でもなさそうなので、きっと装飾用でしょう。

その武器庫を出て外に繋がる階段の両側には、これまたスピアがずらりと並んでいた。

15世紀につくられたオルガン銃はひじょうに珍しいものです。

武器庫を最後にして、城内ツアーは終了となります。

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ジグマリンゲン城の歴史

Schloss Sigmaringen
Schloss Sigmaringen

「ローマの塔(Römerturm)」と名付けられた12世紀のベルクフリートは、ジグマリンゲン近郊で大量に発見されるローマ時代の遺跡から、ローマ時代にその前身があったのではないかと考えられています。

防御に適した岩山に、アレマン族が定住していたとされています。

初期の頃のジグマリンゲン城

この城の初期の頃の歴史を正確に知るためには、大規模な発掘調査が必要なんだけど、これだけの建物が上に建ってしまっているから、難しいね。

1077年

ペテルスハウゼン修道院(Kloster Petershausen)の修道院の年代記に、ジグマリンゲン城がはじめて言及されます。

皇帝ハインリッヒ4世(Heinrich IV.)の友人として、対立国王ルドルフ・フォン・シュヴァーベン(Rudolf von Schwaben)の包囲に長期間耐えたことが報告されています。

1183年

ルートヴィッヒ・フォン・ヘルフェンシュタイン=シグマリンゲン伯爵(Ludwig von Helfenstein-Sigmaringen)伯爵の名がはじめて登場します。

1290年

城と伯爵領が神聖ローマ皇帝ルドルフ・フォン・ハプスブルクに買収されます。

ヴェルデンベルク(Werdenberg)伯爵時代

ジグマリンゲン城の歴史は、ヴェルデンベルク時代からはっきりしてくるよ。

1399年

エバーハルト・フォン・ヴュルテンベルク伯爵の腹心であったエバーハルト・フォン・ヴェルデンベルク伯爵は、シグマリンゲンとフェリンゲンを担保として譲り受けました。

1459年

ヨハン伯爵は、ヴュルテンベルク家の意に反して密かにエリザベート・フォン・ヴュルテンベルク伯爵夫人と結婚し、ジグマリンゲン伯爵領を買収。

1460年

ヴュルテンベルク家のあらゆる攻撃から身を守るため、彼は自分の領地をオーストリアの領地と宣言させ、皇帝フリードリヒ3世(4世)からジグマリンゲンとフェリンゲン(Veringen)伯爵領を封土としました。

反対を押し切って結婚によって領土を手に入れ、正統性を示すために皇帝を利用したということかしら。

城はヴェルデンベルク伯爵時代に拡張され、現在に至っています。

ホーエンツォレルン家へ

1526年

クリストフ・フォン・ヴェルデンベルク(Christoph von Werdenburg)がアイテル・フリードリヒ3世・フォン・ホーエンツォレルン伯爵(Eitel Friedrich III. von Hohenzollern)の未亡人と結婚。

関連:ホーエンツォレルン城(Burg Hohenzollern)―プロイセン王家発祥の城

1535年

国王フェルディナンド1世(Ferdinand I.)がカールをジグマリンゲンとフェリンゲンの伯爵領を封土として与えます。

1576年

シュヴァーベン系ホーエンツォレルン家の資産は3人の息子たちに分割相続されます。

  • ホーエンツォレルン=ヘッヒンゲン(Hohenzollern-Hechingen)
  • ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン(Hohenzollern-Sigmaringen)
  • ホーエンツォレルン=ハイガーロッホ(Hohenzollern-Haigerloch)

三十年戦争による荒廃と復興

ヨハン伯爵ははカトリック連盟の長として、ザクセン、バーデン、遠くローマにまで足を伸ばしました。

ヨハン伯爵(1606-1638年)が高い外構能力を発揮して、皇帝フェルディナンド二世から帝国侯爵に叙爵されたよ。

しかし三十年戦争でこの地域は甚大な被害を受け、城と国土は荒廃。

1634年にハイガーロッホ家が断絶し、その資産はジグマリンゲン家のものになりました。

マインラート一世(Meinrad I.)候の下で戦争による城の損傷を修復し、国の窮状を少しでも緩和しようと努力しました。

関連:三十年戦争(Dreißigjähriger Krieg)

ヨーゼフ侯爵(1715-1769)

七年戦争で政治的なもつれでブランデンブルクのいとこと戦う可能性がありましたが、政治的な仕事から完全に手を引くことを望み、国政に専念しました。

当時最も有名な芸術家を消臭し、侯国内の教会の再建および建設、狩猟用のヨーゼフスルスト城を建設したり、イムナウの浴場を開発したりしました。

プロイセン王家へ

1849年12月7日、カール・アントン(Karl Anton)侯爵は先祖つながりでプロイセン王家へ侯国を譲ることにしました。

ドイツ統一のためには、どんな犠牲も惜しくはない!

カール・アントン侯爵は芸術に理解のある人で、ジグマリンゲン城のコレクションは彼のおかげ。ヴィルヘルム一世のもとで、4年間プロイセン宰相を努めた人だよ。

ジグマリンゲン城の公式サイト

ジグマリンゲン城への行き方

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