プファルツグラーフェンシュタイン城(Zollburg Pfalzgrafenstein)の歴史

Pfaltz ラインラント・プファルツ州

通称プファルツ城。正式名称のプファルツグラーフェンシュタインよりも,おそらくプファルツ城の方が人口に膾炙している。ライン川の中洲に立つ,五角形の税関城。

ここでライン川を航行する船から通行税を巻き上げていました。ライン川下りをする際にはこの横を通り,川の真ん中に立っているので非常によく目立ちます。城自体はいたってシンプルです。

ライン川下りをする方法はこちらで案内しています。ぜひライン川の古城たちに会いに行ってください。

プファルツ城の訪問記は下記で紹介しています。

プファルツグラーフェンシュタイン城は,マルクスブルクと同様に,戦争行為による損傷や破壊を受けていないライン川の城です。

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プファルツグラーフェンシュタイン城の歴史年表

13世紀前半
シュタウフェン朝のミニステリアーレの家系であるファルケンシュタイン・ミュンツェンベルク家の所有地でした。
1277年
フィリップ二世・フォン・ファルケンシュタイン・ミュンツェンベルクはカウプとカウプのブルクと関税権をプファルツ伯ルードヴィッヒ二世(ヴィッテルスバッハ家)に売却します。この売却以降,ここは歴史的にバッハラッハと深い関係になり,19世紀初頭までヴィッテルスバッハ家のものになります。
1327年春
プファルツグラーフェンシュタインを建てて,通行税を取り立てるようになります。6階建ての5角形の塔で,入り口は3階にありました。なお,このころの航路は城のカウプ側のみでした。
1327年6月23日
税金を取り立てるようになったため,教皇ヨハン22世と国王ルードヴィッヒ・デア・バイヤーが対立。教皇は国王ルードヴィッヒを破門しました。
1338~1342年頃
破門にもといった抗議は役に立たず,それでもなおルードヴィッヒはブルクを拡張し,強化していきます。塔の周りに平均12mで歩廊付きの防御機能がある環状城壁を造りました。
1754年12月20日,午前9時
プファルツグラーフェンシュタインのバッハラッハ側より火災が発生。職人,市民や兵士によって数時間後に鎮火されました。

 

1755年
再建作業がプファルツ選定候の下に行われます。
ナポレオン解放戦争時
ブリュヒャー・フォン・ヴァールシュタットは1814年の正月の夜に小船を用意し,2日~5日にかけてその船で即席の浮き橋を造らせ,シュレージエン陸軍兵士83800人と312本の大砲と共にライン超えを行いました。
1803年
プファルツはナッサウ公国に属しました。
1866年
プロイセン王国に属しました。
1867年
関税業務が終了します。
1946年
ラインラント・プファルツ州の管轄下になります。

プファルツ城の見学案内

所在地
Burg Pfalzgrafenstein 56349 Kaub
Tel. 0172-2622800
ガイド申し込み
Tel./Fax. 0180- 5221360
開館時間
聖週間~9月30日は10:00~13:00と14:00~18:00
10月1日~11月30日は日曜日のみ10:00~13:00と14:00~17:00
1月1日~イースター前の日曜日は日曜日のみ10:00~13:00と14:00~17:00
休館日
月曜日と12月
公式サイト
http://burg-pfalzgrafenstein.de/
英語,ドイツ語,フランス語,イタリア語,スペイン語,中国語