城伯(Burggraf)

社会制度

中世の貴族の称号の一つです。

ラテン語で表現すると,praefectus urbis または burggravius といいます。

後に都市に発展する大きなブルク(Burg)で法律執行の職に就いていたのは,伯爵(Graf)位の貴族でした。ゆえに城伯(Burggraf)と呼ばれるようになりました。

中世最盛期におけるこの役職は,帝国のブルクとその周辺地域の管理であり,狭くはブルク支配者,または都市支配者でした。

城伯の役割は土地の主権者(国王や司教)によって与えられた小さな封土を管理することであり,主権を代表することでした。その地域での行政,軍事,裁判の役割を担っていました。

防御機能しか持たない地方の中世ブルクの命令権限は,一時的にせよ城伯と呼ばれていました。自由民下級貴族を雇っている貴族が,名前の要素としてこの役職名称を進んで受け入れていました。

城伯として有名な家系に,ホーエンツォレルン(Hohenzollern)家があります。

この家系は1191年にニュルンベルク(Nürnberg)の城伯になったのをきっかけとして,領地を拡大。1415年にブランデンブルク辺境伯(Markgraf Brandenburg)の地位を取得し,最終的にプロイセン国王,ドイツ皇帝となりました。

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歴史

953年から960年頃に設立したと考えられています。

レーゲンスブルクで,神聖ローマ帝国の城伯に関する記録が残っています。

レーゲンスブルクは都市です。都市伯が独立した城伯として帝国伯爵と同列に扱われるようになりました。

11世紀から12世紀にかけて,南および東ドイツでは,国王や司教の都市から多くの優れた城伯が誕生しています。

城伯たちは辺境伯や司教たちから帝国直轄領を守り,植民地を拡大しました。しばしばマイセン司教や辺境伯と領土を巡って争っています。

最初は任命制の役職に過でしたが,すぐに世襲制になり,城伯は称号となりました。

ニュルンベルクやフリードベルクに代表されるように,城伯に任命されることは自分の領土を広がるきっかけになりました。

城伯領

  • アルテンブルク(Altenburg)ザクセン,帝国直轄
  • ブランデンブルク(Brandenburg),帝国直轄
  • ドーナ(Dohna),ザクセン,帝国直轄
  • フリードベルク(Friedberg),ヘッセン,帝国直轄
  • キルヒベルク(Kirchberg),チューリンゲン,帝国直轄
  • ライスニッヒ(Leisnig),ザクセン,帝国直轄
  • マグデブルク(Magdeburg),司教領
  • マイセン(Meißen),ザクセン,帝国直轄
  • ニュルンベルク(Nürnberg),フランケン,帝国直轄
  • ヴォルムス(Worms),司教領
  • ハルテンシュタイン(Hartenstein),ザクセン,帝国直轄
  • ノイエンブルク/フライブルク(Neuenburg/Freyburg),チューリンゲン,ヴェッティン家