コブレンツ(Koblenz)の北約10mのところにある山城の廃墟で、ライン川沿いに建つ城の一つです。
城のある場所がコブレンツよりも北にあるため、ライン川下りを含む一般的なパッケージツアーのコースから外れてしまっているのが残念です。
なお、このブルク・ザインのある山の麓には、1757年に建てられたシュロス・ザイン(Schloss Sayn)があるので、合わせて訪れてみてはいかがでしょうか。
そしてブルクとシュロスの間には、15世紀の城館と、14世紀のかつての城主の邸宅跡があります。
ザイン城は、ザイン伯爵家発祥の城です。
ザイン城の見どころ
城の構造
ザイン城の南、西、北側は急斜面となっていますが、山側である東側は深い堀切によって防御され、さらには巨大な盾城壁で強化されています。
もちろん、盾城壁の上には歩廊があり、守衛たちがそこから敵を狙い撃ちできるようになっています。
ベルクフリートで宿泊
ベルクフリートや高さ約20m、壁の厚さ約2.4m、建設時期は12世紀後半と考えられており、保存状態の良いものとなっています。
ザイン城の外観を決めている重要な要素の一つでもあります。
1987年に修復され、現在使用できるようになっています。
そして上の階には、なんと民泊が2部屋あります。
ベルクフリートに泊まれる城は、かなり貴重!
城からはひじょうに美しい景色を眺めることができることもあり、とても素敵な夜になるのではないでしょうか。
ザイン城へのアクセス
駐車場はあちこちにあり、そこから城へ登っていくことになります。
ザイン城の歴史年表
- 10世紀
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アウエルガウ(Auelgau)宮廷伯との関連で、ザイン伯爵が文献に初めて登場します。
- 1139年
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ハインリッヒ1世・フォン・ザイン(Heinrich I. von Sayn)と弟エバーハルト1世(Eberhard I.)が、結婚によりボン伯爵領を手に入れます。
- 1152年
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領地を拡大したことによりケルン大司教(Erzbistum Köln)と激しく争うことになり、城の一部が破壊されてしまい、ブランケンベルク城(Burg Bkankenberg)に一時撤退を余儀なくされます。
- 13世紀前半
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ハインリッヒ3世・フォン・ザイン(大伯)(Heinrich III. der Große von Sayn)はラーン川、ケルン・ボン周辺まで伯爵領を拡大し、モーゼル川中流域とヴェスターヴァルト(Westerwald)にも領地を所有していました。
- 1247年
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ザイン家の男系が断絶し、ザイン城と伯爵領はハインリッヒ3世の甥のヨハン1世・フォン・スポンハイム伯爵(Graf Johann I. von Sponheim)の手に渡り、ザイン伯爵を名乗るようになりました。
- 1345年
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ヴィトゲンシュタイン(Wittgenstein)伯爵領も婚姻関係からザインのものになりました。1361年からはザイン=ヴィトゲンシュタインを名乗るようになります。
- 1606年
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ザイン=ヴィトゲンシュタイン家が男系で断絶します。
- 1632年
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三十年戦争の際、スウェーデン軍によって破壊されました。
- 1652年
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人が住めなくなったこの城は、トリアー選定公国に属することになります。
- 1815年
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ウィーン会議の決定により、ライン集の一部としてプロイセンに割譲されます。
- 1848年
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プロイセン国王フリードリッヒ・ヴィルヘルム4世(Königs Friedrich Wilhelm IV.)からの寄贈により、城は再びザイン家の所有となりました。麓のシュロスをネオゴシック様式で再建し、ツウ・ザイン=ヴィトゲンシュタイン・ザイン(zu Sayn-Wittgenstein-Sayn)と名乗るようになりました。
- 1981年~1987年
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現城主であるアレクサンダー・ツウ・ザイン=ウィトゲンシュタイン=セイン侯爵(Alexander Fürst zu Sayn-Wittgenstein-Sayn)の下で、建物の修繕と拡張が行われ、自然動物園(現在は閉園)が作られました。
- 2006年
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古城レストラン「DIESAYN BURG 」がオープンします。