ライン川中上流部、ザンクト・ゴアルスハウゼン(St. Goarshausen)のヴェルミヒ(Wellmich)地区の丘の上に佇むのが、通称「ネズミ城(Burg Maus)」。
正式名称は「トゥルンベルク城(Burg Thurnberg)」で、「ペテルスエック城」「ドイエルンブルク城」といった別名でも知られています。

ネズミ城なんて可愛らしい名前ね。ネズミがたくさんいたという伝説でもあるのかしら?



ネズミではないけれど、近くにあるネコ城と関係があるんだよ。
近くにあるノイ=カッツェンエルンボーゲン城(通称ネコ城)を建てたカッツェンエルンボーゲン伯爵が、虎視眈々とこの地を狙っていたことから、ネコ城に対して“ネズミ”と皮肉られたことがきっかけです。


ネズミ城の方がやや小さかったこともあり、皮肉を込めてこの名が定着しました。
ネコ城と同じく、2002年よりユネスコ世界文化遺産『ライン渓谷中流上部』の一部となっています。
本記事では、ネコに睨まれていたネズミ城の見どころと歴史について紹介します。
ネズミ城の構成と見どころ


giggel, CC BY 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by/3.0, via Wikimedia Commons
ネズミ城はライン川下りで見ることができる城。
近くにノイ・カッツェネツンボーゲン伯爵が所有するネコ城とラインフェルス城があり、ネコに睨まれたネズミの姿が想像できる立地にあることが確認できます。


ネズミ城の構成
愛称は可愛らしい「ネズミ城」でも、実際の作りは非常に堅固。
ライン川の通行税徴収や領土防衛の拠点として、立地的にも戦略的な城になっています。



ライン川沿いの城の多くが破壊を経験しているのに対し、ネズミ城は大きな破損なしに乗り切っているよ!



ネズミだけに、すばしっこかったのかしらね。


ネズミ城の縄張り
弱点となりやすい尾根側には、堀切が設けられており、ベルクフリートも尾根側に向けることで、防御を強化していることがわかります。
ほぼ方形の内郭部分の西側に居住棟、南側にパラスがあり、中庭を囲んでいます。
Ferdinand Luthmer, Public domain, via Wikimedia Commons
塔とベルクフリート
ネズミ城のベルクフリートは、高さ333m、直径8mの円筒形。
ベルクフリートの両側から、高さ10mの盾壁が伸びています。
かつては円錐形の屋根があったとこが、昔の版画から確認されています。



ベルクフリートは円筒形だけど、他の塔は四角形や八角形の角塔になってるね。
防御プラットフォームには、1924年に増設された銃眼が4つあります。
Whgler, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons


パラス


建物は、急勾配の切妻屋で、石板葺きであったことが、版画がから確認されています。
- 西側の4階建ての建物
-
7 x 8.5mの床面積を持つ建物・
トリアー大司教ボエモンド2世(Erzbischof Boemund II. von Trier)の時代に建てられ、当時は現在の半分の床面積しかありませんでした。
- 北側の建物
-
1362年から1388年の間に増築されたものであり、おそらく1階に司教の部屋があったと考えられています。
礼拝堂
城の南側1/3を占めます。



礼拝堂の面積が大きいのは、大司教の城ならではだね。まるで“祈りで守られた城”って感じだよ。
ネズミ城の歴史


giggel, CC BY 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by/3.0, via Wikimedia Commons
ネズミ城は、カッツェンエルンボーゲン伯爵が建てたノイ=カッツエルンボーゲン城(ネコ城)に対抗するために建設された城です。
ライン川沿いの税徴収と防衛を目的として設計され、戦略的な立地と堅牢さが重視されています。



関税目的はライン川沿いの城あるあるね。
ネズミ城の築城
- 1353年~1357年
-
トリアー大司教ボエモンド2世(Erzbischof Boemund II. von Trier)が、後のネズミ城であるザンクト・ペテルスエック城(Burg St.Petersegg)の築城を計画し、着工します。
- 1362年~1388年
-
ボエモンド2世の跡を継いだクノ2世・フォン・ファルケンシュタイン(Kuno II. von Falkenstein)とヴェルナー・フォン・ファルケンシュタイン(Werner von Falkenstein)がザンクト・ペテルスエック城を完成させ、居住します。
城山塔子特にクノはここがお気に入りの場所だったようで、ここで亡くなったんだよ。
ザンクト・ペテルスエック城のほか、ザンクト・ペテルスベルク城(Burg St.Petersberg)の築城計画もあったようですが、実現したのはザンクト・ペテルスエック城のみでした。
下記の理由で、ザンクト・ペテルスエック城は「ネズミ城」という愛称で呼ばれるようにありました。
- ネコ城に比べて小規模
- カッツェンエルンボーゲン伯爵が「まるでネコに狙われているネズミのようだ」と揶揄



皮肉が効いてていいわね。「ネズミ城」なんて、可愛らしくていいじゃない。
- 15~16世紀
-
ナッサウ(Nassau)家の支配下に入り、17世紀初頭まで堅固な山城として機能していました。
三十年戦争やナポレオン戦争といった戦争でも大きな破壊を受けることなく存続し続けましたが、18世紀以降になると、次第に荒廃し始めました。
18世紀以降
- 1806年
-
放置されて半ば廃墟となっていた城は競売にかけられ、城を保存したいと考えたフリードリヒ・グスタフ・ハーベル(Friedrich Gustav Habel)が購入しました。
- 1900年~1906年
-
建築家ヴィルヘルム・ゲルトナー(Wilhelm Gärtner)が歴史的意匠を重視し、中世の外観のまま再建します。
- 2010年以降
-
改築や調整が行われ、ガイドツアー付きで内部を見学できるようになりました。
城山塔子現在も個人所有の城だから、自由に見学はできないよ。
ネズミ城へのアクセス
ライン川沿いに車を走らせ、St.Goarshausen Wellmichへと入ります。その先に駐車場があります。
ネズミ城へは、そこから約1時間ほど山道を登って行くことになります。
ネコとネズミの対立から名付けられたこの城は、見た目こそ廃墟ですが、今も中世の物語を静かに語り続けています。
ライン川沿いの旅では、ぜひその“物語の舞台”に足を運んでみてください。