正式名称をブルク ノイ・カッツェネルンボーゲン(Burg Neu-Katzenelnbogen)といいますが,ブルク カッツ(Burg Katz),つまりはネコ(Katz)城と呼ばれて親しまれている城です。
ネコ城というのは城主の名前に由来します。
この城が猫に見えるとか,ネコがたくさん飼われていたからというわけではありません。(見れば見るほど,ネコに見えなくもないですが…)
2002年より,ユネスコ世界文化遺産『ライン渓谷中流上部』の一部となっています。
ザンクト・ゴアルスハウゼン(St. Goarshausen)の上流,有名なローレライ岩のすぐそばに立つ山城。ライン川下りで見ることができます。目立つ城なので,すぐネコ城とわかります。
ネコ城はラインフェルス城と並んで,カッツェネルンボーゲン家の税関城でした。ライン川を航行する船舶から税金を徴収していました。
ネコ城への行き方
現在,この城は日本人の個人所有となっており,訪問することはできません。近づくことは可能かもしれませんが,そばから眺めるだけですね。
ライン川下りをする方法はこちらで案内しております。ぜひネコちゃんに会いに行ってください。

この城が開放(訪問可能)になることを,多くの方が望んでいます。博物館であれ,ホテルであれ,何らかの形で訪れることが可能であったならば良いな…,と思います。
ネコ城の歴史年表
- 1371年頃
- ヴィルヘルム二世カッツェネルンボーゲン伯爵(Graf Wilhelm II. von Katzenelnbogen)が軍事拠点としてブルクを建設し始めました。城の主要部分はこの時代に建設されたものです。
- 1395年
- ヨハン・フォン・カッツェネルンボーゲンがトリアー司教に対抗するブルクとしてさらに完成したものにしました。もちろん,ライン川の通関としても使用されていました。
- 1479年
- カッツェネルンボーゲン家が途絶え,婚姻関係からヘッセン方伯のものになります。ヘッセン時代にベルクフリートに更に上層階が設けられ,ベルクフリートは60mの高さ(本によっては40~50m)に達し,ラインラントで一番高いベルクフリートとなりました。
- 1623年
- ヘッセン・カッセル家とヘッセン・ダルムシュタット家(Hessen-Darmstadt)),ヘッセン・ラインフェルス家(Hessen-Rheinfels)との間に争いが起こり,ヘッセン・カッセル家のものになります。
- 1626年
- 5週間に渡る包囲の後の砲撃で主塔との屋根と司令室が破壊され,火災により多くのものを失いました。そしてヘッセン・ダルムシュタット家のものになります。
- 三十年戦争の終わりの1647年
- ヘッセン・カッセル家が再び城を取り戻します。
- 七年戦争
- フランス軍の手に落ち,1763年までフランス軍が支配します。
- 1806年
- なんとか城は良い状態で維持されていましたが,最後のラインの砦としてナポレオン命令で爆破され,廃墟になりました。
- 1916年
- ナッサウ公国(Nassau)が取得して以来,何度も所有者が代りますが,当時のザンクト・ゴアルスハウゼン(St. Goarshausen)郡の郡長,フェルディナント・ベルクが城を手に入れます。彼はロマン主義の住居として再建します。一見中世風ですが,中世時代の城の姿とは異なるものになりました。
- 1989年
- 城の維持費の高さに,ザンクト・ゴアルスハウゼンは城を400万マルク以上で城を売り出しました。
現在,城は日本人の経営コンサルタント,サトシ・コスギさんが所有しています。もともとホテルに改築して観光客向けに運営する予定だったようですが,現在まで実現していません。
一説によると,ユネスコ世界文化遺産の一部になってしまったため,工事ができなくなってしまったとかいう噂ですが,真偽の程は定かではありません。
もし,ホテルへの改築が実現していたら,ライン渓谷の眺めが素晴らしい素敵な古城ホテルになっていたことでしょうね。
なお,猫城のあるザンクト・ゴアルスハウゼンは犬山市と姉妹都市になっています。
どちらも城の立地が似ているかもしれませんね。