ホーエンツォレルン城(Burg Hohenzollern)の歴史

バーデン・ヴュルテンベルク州

シュヴェービッシュアルプ(Schwäbisch Alb)にある,プロイセン(Preußen)のホーヘンツォレルン(Hohenzollern)家の居城。中世の頃に建てられたブルクの跡は殆ど無く,新ゴシック様式で建てられた新しい城です。

この城に,ホーエンツォレルン家の歴史があります。

ホーエンツォレルン城の訪問記は,そちらをご覧ください。城へのアクセス等の情報は訪問記の方で紹介しています。

Hohenzollern

ホーエンツォレルン城のHof

スポンサーリンク

ホーエンツォレルン城の歴史年表

11世紀頃

推測される最初のブルクは環状城壁に取り囲まれ,四角いベルクフリートと礼拝堂があったとされています。
1407年
ツォレルン伯フリードリッヒ(Friedrich XI)が亡くなると,5人の息子のうち長男と次男(どちらも名前はフリードリッヒ)が遺言通り共同相続します。しかし次男はキレ易い性格から兄と衝突し,盗賊騎士に成り下がり,ついには戦争になります。
1423年10月
城は陥落し,略奪され,当時の慣習に反して礼拝堂をも徹底的に破壊されます。そして皇帝ジギスムント(Sigismund)はツォラーブルク再建を永久に禁じます。

 破壊されたツォラーブルクの再建禁止令を取り消そうと,ヨス・ニクラス一世(Jos Niklas I.)は精力的に活動し,フランスの親族の支援のお陰で皇帝フリードリッヒ三世の許可を得ることに成功します
1454年
ヨス・ニクラス一世により定礎が行われます。3つのベルクフリート,住居翼,ミヒァエル礼拝堂のある馬蹄系のブルクができました。3つのベルクフリートの名と,建物の原型,ミヒァエル礼拝堂は現在の城にも受け継がれています。

1576年
16世紀ごろになると,貴族は不便なブルクから快適なシュロスへと移り始めます。ツォレルン城もアイテル・フリードリッヒ四世(Eitel Friedrich IV.)の即位の際に,ヘッヒンゲン(Hechingen)に完全移住します。ブルクは住居として使われることはなくなりましたが,有事の際の避難場所として残りました。
1618年から1623年
ヨハン・ゲオルグ(Johann Georg)伯爵はブルクを要塞へと変化させ,稜堡が設置されます。難攻不落の要塞へと変貌します。
三十年戦争
ブルクはヘッヒンゲンに住む人々の避難場所になります。
1633年1月
カール・フォン・ホーヘンツォレルン・ハイガーロッホ(Karl von Hohenzollern-Haigerloch)伯はブルクに兵士と共に逃げ込み,その1ヶ月後にスウェーデン軍に占領されてしまいます。その後ヴュルテンベルク軍が包囲し,1634年春,兵糧攻めにより奪い取ります。
1635年
ブルクをバイエルン選定侯マクシミリアン軍に明け渡し,1650年まで所有します。

1667年
オーストリア政府と要塞設備の修復・維持にあたりますが,費用は全然足りません。そのため,18世紀の始めにはブルクの一部は壊れ,井戸や暖炉も壊れたままになっていました。
皇帝カール六世の死後
オーストリア継承戦争勃発します。ホーエンツォレルン城をオーストリア軍が陣取り,ヘッヒンゲンをフランス軍とプロイセン軍が支援します。戦闘することなく交渉により1744年に引き渡されます。
1745年春
ブルクから駐屯軍が撤退した後,人の住まない状態が続き,ブルクは荒廃し,19世紀初頭には倒壊寸前の状態になります。
1819年
当時のプロイセン皇太子で後の国王フリードリッヒ・ヴィルヘルム四世(Friedrich Wilhelm IV.)がホーエンツォレルンを訪れ,家族の住む城へと再建を志します。しかし,財源が確保できず,すぐに実行に移せませんでした。
1846年
再建を担当する委員会が設置され,47年に建築が始まります。が,48年の三月革命で一時中断を余儀なくされます。
1850年9月23日
プロイセン王子ヴィルヘルム(後の皇帝ヴィルヘルム1世)による定礎式が行われます。
1841年
要塞建築士モーリッツ・フォン・プリットヴィッツ・ウント・ガフロン(Moritz von Prittwitz und Gaffron)は山道設備の建築を担当することになります。フォン・プリットヴィッツの成し遂げた仕事は,19世紀の戦争建築術の傑作といわれています。
1853年
要塞設備が完成し,城館部分の建築が始まります。費用の2/3はプロイセン王家,1/3はジグマリンゲン侯爵家が捻出します。
再建途中の1866年
ホーエンツォレルンはドイツ戦争に巻きこまれ,ヴュルテンベルク軍に一時占領されます。
1867年10月3日
完成式が行われます。ドイツの新聞の多くがこの事を報道。完成した城は最初の二つの城とは異なり「定住」するためのものと考えられたことはなく,狩猟途中など,一時的な滞在地として使用されたにすぎませんでした。
第二次世界大戦後
プロイセン王家は殆どの資産を失いましたが,ホーエンツォレルン城は残りました。プロイセン皇太子ヴィルヘルムは1945年の秋にブルクに移り,51年に亡くなるまで生活しました。皇太子の希望により,ブルクに埋葬され,夫人もまたここに埋葬されました。ホーエンツォレルンに始まり,またこの地に戻ってきた,というような言葉を残しています。

ホーエンツォレルン城の開館案内

開館時間
3月16日~10月15日:9:00~17:30
10月16日~3月15日:9:00~16:30
1年のうち2日だけ休館日が在ります。内部の見学はガイドツアーのみです。
所在地
Burg Hohenzollern 72379 Hechingen
Tel.07471-2428  Fax.07471-6812
Startseite - Burg Hohenzollern
:英語とドイツ語
城主
Vormals regierendes Preußisches Königshaus und Fürstliches Haus Hohenzollern