ボーデン湖を望む丘の中腹にある中世の城で,ドイツで初めて火器が使用された城です。
ドイツで最も古い,人が住んでいるブルクです。
目次
メールスブルク城の見どころ
北側のベルクフリートと胸壁はこの城の最古の部分で,建設時期は7世紀になります。
城の南側は断崖絶壁,北側にある城の門へは橋を渡って入るのですが,ひじょうに深い堀切の上にかかっています。
博物館
博物館では,台所,デュルニッツ(Dürnitz),パラス,井戸部屋,武器庫,城壁,騎士の間,城の地下牢,2つの礼拝堂,馬小屋,北の稜堡など,中世の趣を多く残す部屋を30部屋以上見学することができます。
これだけ多くの中世の生活感漂う部屋を見学できる城は,そう多くはありません。
部屋はあっても何もないのではなく,各部屋には調度品や,人形などを使用して当時の生活が分かるような展示の仕方をしています。
近世のような華やかさはありませんが,中世の質素な生活を垣間見ることができるので,中世好きにはたまらないのではないでしょうか。
ボーデン湖と城下町
城から眺めるボーデン湖と古い城下町は,古き良き欧州を感じさせるものがあります。
青いボーデン湖と赤い屋根の古い城下町は,色合いが素晴らしくとても美しい光景となっています。
メールスブルク城への行き方
シュツットガルト(Stuttgart)方面からはA81,ミュンヘン(München)およびオーストリア方面からはA96を利用すると良いでしょう。
メールスブルク城の歴史年表
- 630年
- メロヴィング朝の国王ダゴベルト一世(Dagobert I.)がメールスブルク城のベルクフリートであるダゴベルト塔(Dagobertsturms)を建設されたことが,688年の文書に記されています。
ダゴベルト国王は,船着き場を建設し,貿易ルートを確保しようとしていました。そして,アレマン人のキリスト教化に取り組んでいました。 - 1210年
- メールスブルクはロールスドルフ(Rohrsfdorf)伯爵家の所領でしたが,伯爵家が断絶します。
- 1213年
- ホーエンシュタウフェン朝のフリードリッヒ二世(Friedrich II.)は聖週間をこの城で過ごしました。
- 1334年
- 司教のフェーデ(Bischofsfehde)が勃発します。二重選挙の末の権力争いです。ニコラウス・フォン・フラウエンフェルト(Nikolaus von Frauenfeld)は、大聖堂支部の教皇派の多数派によって選出され、教皇ヨハネス12世によって支持されました。彼の対抗馬であるアルブレヒト・フォン・ホーエンベルク(Albrecht von Hohenberg)は、皇帝ルートヴィヒ・デア・バイヤー(Kaiser Ludwig der Bayer)の支持を受けていました。
14週間にわたる籠城戦となりました。そして,この戦いでドイツで初めて火器が使用されました。 - 1414年
- 皇帝ジギスムント(Kaiser Sigismund)がコンスタンツ評議会の際に城に滞在しました。
- 1647年
- 三十年戦争時,スウェーデン軍により屋根組に火をつけられました。
- 1750年
- 新しいシュロスを建設し,フランツ・コンラート・フォン・ロト(Franz Konrad von Rodt)が新しいシュロスに移住したため,メールスブルクは行政目的でのみ使用されることになります。
- 1802年
- 世俗化により,バーデン大公の所有となります。
- 1838年
- ヨーゼフ・フォン・ラースベルク男爵(Freiherr Joseph von Laßberg)がメールスブルク城を購入し,再び私有地となります。
- 1877年
- カール・マイヤー・フォン・マイヤーフェルス(Carl Mayer von Mayerfels)が城を購入します。彼は中世史の研究者であり,紋章などの収集家でした。メールスブルクを博物館として利用できるようにしました。
- 1977年
- ヴィンツェンツ・ネスル=ドムス(Vinzenz Naeßl-Doms)が所有者および城主となり,現在に至ります。
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