ホーエンアスペルグ要塞(Festung Hohenasperg)

シュツットガルトの北,ルードヴィッヒスブルク(Ludwigsburg)にある要塞です。約356mの丘の上にある山城であり要塞です。

要塞の歴史は古く,ケルト時代にまで遡ることができます。

現在は刑務所および医療刑務所として使用されているため,内部を見学することはできません。しかし外部施設である博物館と飲食店は利用できます。

目次

ホーエンアスペルグ要塞の見どころ

内部は一般公開はされていませんが,外部施設は開放されており,遊歩道が整備されているのでウォーキングの目的地としては素晴らしい場所となっています。

要塞からはルードヴィッヒスブルクを一望できる素晴らしいパノラマが広がっています。景色を楽しむための望遠鏡も,要塞には設置されています。

ウォーキングと,眺めを楽しむ場所です。

ちょっとした博物館と飲食店があるようですが,情報が少なすぎて詳しいことは分かりません。
博物館は,ホーエンアスペルグ要塞の刑務所としての歴史を展示しています。

ホーエンアスペルグ要塞への行き方

公共交通機関で行く場合,ルードヴィッヒスブルクからS5に乗ってAspergで下車するとよいでしょう。駅から要塞へは徒歩約20分です。

車で行く場合,A81をルードっヴィッヒスブルク北ICで降り,アスペルグ方面へ向かってください。城門の外に祝日に利用可能な駐車場があります。

ホーエンアスペルグ要塞の歴史

石器時代(ケルト時代)~500年頃まで
石器時代,アスペルグにはすでに集落がありました。ホーエンアスペルグは避難ブルクとして使用されていました。この時代の墓地が周辺から見つかっています。
500年頃(フランク王国時代)
フランク族の征服後,フランク王国の領主の支配地域となりました。「Ascisberg」と呼ばれるようになりました。
1280年
神聖ローマ帝国時代,ハルトマン一世・フォン・グリューニンゲン(Hartmann I. von Grüningen)がホーエンアスペルグに捕らえられ,獄死します。以来,ホーエンアスペルグは政治犯収容所としても使用されます。
1519年
シュヴァーベン連合はホーエンアスペルグに滞在中のウルリッヒ・フォン・ヴュルテンベルク(Ulrich von Württemberg)を包囲します。
1535年
村長が捕らえられ,ホーヘンアスペルグにルネッサンス様式の要塞が建設されます。要塞への改築に伴い,中世以前のブルクの痕跡はほとんど消失してしまいます。この近辺に住んでいた村民たちはホーエンアスペルグの麓に移住させられます。
三十年戦争
ウルリッヒ・フォン・ヴュルテンベルクは最初のプロテスタント侯爵であり,以後,この地はプロテスタントの地となっています。三十年戦争では要塞としてさらに強固され,デンマーク軍がまたさらに強固し,カトリック軍(帝国軍)に対抗しました。しかし最終的には,帝国軍に降伏しました。戦争終了後は再びヴュルテンベルクの所有に戻ります。
プファルツ継承戦争
フランス軍に選挙され,防御施設としての機能を失いました。以後,刑務所として使用されます。
第二次世界大戦
反ナチスの活動からが捕らえられます。戦争によりアメリカ軍に占拠されていましたが,戦後も刑務所として再び使用されることになりました。

ホーエンアスペルグ要塞の営業案内

博物館の開館時間
4月~10月:火曜日~日曜日 10:00~18:00
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