ドイツ・ライン川のほとり、世界遺産「ライン渓谷中流上部」に位置し、有名なローレライの岩のすぐそばに、ひときわ目を引く古城があります。
その名はカッツ城(Burg Katz)。

「Katz」はネコを意味しているから、親しみを込めて、日本語ではよくネコ城と呼ばれているよ。
正式名称はノイ=カッツェンエルンボーゲン城(Burg Neu-Katzenelnbogen)。
ネコ城という愛らしい名前は、城主のカッツェンエルンボーゲン伯爵の名前に由来します。



てっきり城の形が猫に似ているからか、猫がたくさん飼われていたからだと思っていたけど、違うのね。
長い名前「ノイ=カッツェンエルンボーゲン」を省略して「カッツ(猫)」と呼ぶようになり、伯爵自身もこの愛称を気に入って使うようになったのです。



とはいえ、見る角度によっては城のシルエットがネコに見えなくもないですけどね。
城の立地 | 山城 |
城の種類 | 名称はブルクですが、後にシュロスとして改築 |
城主の階級 | カッツェンエルンボーゲン伯爵→ヘッセン方伯→ザンクト・ゴアルスハウゼン郡長のフェルディナント・ベルク→ドイツ連邦共和国→経営コンサルタント小杉氏(現オーナー) |
1371年 |
日本人実業家である小杉恵氏の個人所有。残念ながら一般公開はされておらず、外観を眺めることのみ可能です。ライン川クルーズの際には、その美しい姿を川面から望むことができます。
2002年より、ユネスコ世界遺産『ライン渓谷中流上部』の一部となっています。
ザンクト・ゴアルスハウゼン(St. Goarshausen)の上流、有名なローレライ岩のすぐそばに立つ山城。


ライン川下りで見ることができ、目立つ城なのですぐネコ城とわかります。
ネコ城は対岸のザンクト・ゴアー(St.Goar)にあるラインフェルス城(Schloss Rheinfels)と連携し、カッツェネルンボーゲン家の重要な税関城として機能していました。
両城でライン川を航行する船を監視し、戦略的に国境を守る役割を担っていました。


ネコ城のあるザンクト・ゴアルスハウゼンは犬山市と姉妹都市になっています。
ネコ城の構造と見どころ:コンパクトながら堅固な守り


比較的コンパクトな城で、主要な構成要素は以下の通り。
- 巨大な円形のベルクフリート(Bergfried)
- パラス(Palas)
- 盾壁
外郭はなく、内郭のみ。外郭に配置される建物(台所や井戸等)は、全て内郭に組み込まれています。
防御システム
尾根側からの攻撃を想定し、以下のような防御システムで入念に防御されています。
- 岩盤を削ってつくられた深い堀切(現在は駐車場)
- 分厚い盾壁
- 三角形の稜堡
中世の遺構も一部残っており、特にベルクフリートと盾壁の構造は注目ポイントです。
ベルクフリートと盾壁の一部、ツヴィンガーには中世時代のものが残っていますが、それ以外のものは19世紀に後期歴史主義様式で再建されたものです。
圧倒的な存在感のベルクフリート


- 高さ:30m(かつては45~60mの6階建てであったと考えられている)
- 直径:11m



ドイツの平均的なベルクフリートの2倍の高さになるよ。
今はもう失われてしまっていますが、以下のものがあったとされています。
- 八角形の上層階
- 急勾配の寄棟屋根に4つのドーマー窓
- 1階に地下牢
- 監視室になっている屋根裏部屋
ベルクフリートは開放型の城壁通路のある盾壁とつながって城を守っています。
パラス


中世時代のパラスは地下室の部分しか残っておらず、現在の建物は19世紀末に後期歴史主義様式で再建されたものです。
住居塔は3階建てだったと言われています。
公式サイト


ネコ城の数奇な歴史物語


Johannes Robalotoff, CC BY-SA 3.0 DE https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/de/deed.en, via Wikimedia Commons
ネコ城は、ラインフェルス城とライヒェンベルク城を結ぶ拠点として建設された城です。
カッツェンエルンボーゲン伯爵時代(1371年~1479年)
カッツェンエルンボーゲン伯爵によって、ライン川の関税徴収と領土防衛の拠点として建設され、対岸のラインフェルス城とともにカッツェンエルンボーゲン伯爵の城砦ネットワークの一部です。
トリアー大司教によるネズミ城(Burg Maus)の建設への対抗策として建設され、ラインフェルス城とともに関所を形成しました。





ノイ=カッツェンエルンボーゲン城がネコ城と呼ばれるようになったら、トゥルンベルク城はネズミ城としか呼ばれなくなりました。
ネコ城よりもラインフェルス城のほうが快適だったため、伯爵は主にラインフェルス城に滞在していました。ネコ城には時々訪れる程度。
戦時中こそは貴婦人たちもネコ城に避難しましたが、基本的に荒くれ者の騎士たちが住む城で、城伯(管理人)と50~80人の射手によって守られていました。
- 1371年
-
礼拝堂の奉献が確認されているので、この頃には城が建設していたと考えられています。
「ノイ(新しい)」という名前は、既存のアルト=カッツェンエルンボーゲン城(旧城)と区別するためでした。
ちなみに、アルト=カッツェンエルンボーゲン城(Alt Katzenelnbogen:旧カッツェンエルンボーゲン城)はカッツェンエルンボーゲン城としてレストランおよびホテルとして利用されています。
Kaminsky, Peter, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
- 1479年
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カッツェンエルンボーゲン家が断絶。
最後の伯爵の娘と結婚していたヘッセン=マールブルク方伯ハインリヒ3世(Heinlich III. von Hessen-Marburg)が相続します。
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ヘッセン方伯家の時代と戦乱の嵐(1479年~1806年)
ネコ城がヘッセン方伯家の所有となったことで、ヘッセン=カッセル(Hessen-Kassel)系とヘッセン=ダルムスタット(Hessen-Darmstadt)系の相続争いに巻き込まれます。
そのため、城は何度も防御設備や砲台の補強が行われました。



火器が登場するまでは、ネコ城は難攻不落を誇っていたよ。
将校には個室が与えられましたが、一般兵士は3人で1つのベッドを使うなど、厳しい環境だったようです。
- 1583年
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ヘッセン=カッセルに譲渡され、17世紀から18世紀にかけて砲台が追加設置されていきました。
三十年戦争(1618年~1648年)
- 1626年7月21日~8月24日: 城が包囲され、一部が破壊
- 1647年: 再び激しい戦闘が発生
ヴェストファーレン条約によりヘッセン=カッセル家に属することになります。





三十年戦争後の平和は長くは続かず、再び激しい戦闘に巻き込まれちゃうんだよね。



戦争、また戦争。
プファルツ継承戦争(1693年)
ルイ14世の軍隊により破壊されましたが、ヘッセン軍は奇跡的な勝利を収めました(フランス軍死者4,000人に対しヘッセン軍死者564名)。


- 七年戦争1756年~1763年)
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再びフランス軍に占領されるも、1763年に返還されました。
- 最後の破壊(1806年)
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城壁がまだ無傷のまま残っていましたが、ナポレオン軍率いるフランス軍により、ついに爆破破壊されてしまいます。
所有者の変遷と再建(19世紀~20世紀初頭)
- 1816年
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廃墟となったネコ城は、ナッサウ公国の所有になります
- 1896年から98年
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ザンクト・ゴアルスハウゼン郡長のフェルディナント・ベルク(Ferdinand Berg)が城を購入。
ドイツ城郭協会の設立者でもある建築家ボード・エープハルトも関わり、中世の姿を必ずしも忠実に再現するのではなく、当時のロマン主義的な趣向を反映した住居として再建されました。
この際、城だけでなく周辺のぶどう畑なども整備されました。
- 1928年
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ネコ城は競売にかけられました。競売は荒れ、なかなか買い手がつきません。
第二次世界大戦後
第二次世界大戦後は、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)が法的城主となりました。
1964年まで、戦争で破壊されたザンクト・ゴアルスハウゼンの学校の仮校舎として使用されています。



城が学校の校舎だなんて、素敵じゃない!
日本人オーナーの時代(1989年~現在)
- 1987年
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連邦財務省のレクリエーションセンターとして使用されていましたが、防災上の理由で使用禁止となり売却されることになりました。
- 1989年
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ザンクト・ゴアルスハウゼンとその市民たちが落札を望んでいましたが、負債を抱えている上に補助金も見込めません。そこに、日本人が登場します。
観光業界の経営コンサルタントである小杉恵氏が、ネコ城を430万マルクで購入。
城って、買えるんだ!
地元住民からは当初反発もありましたが、観光業に従事する人が多いザンクト・ゴアルスハウゼンでは、日本からの観光客に期待する声もありました。
当初は日本人観光客向けの古城ホテルへの改築を計画していましたが、ユネスコ世界遺産登録により、景観保護、建築制限などから断念せざるを得ませんでした。
もしホテルになっていたら、とても眺めの良い素敵なホテルになっていたんだろうな。ユネスコ世界遺産という理由じゃ、しょうがないね。
公式サイト


ネコ城へのアクセス
現在ネコ城は個人所有のため内部見学はできませんが、ライン川クルーズで外観を楽しむことができます。
特にローレライの岩付近を通過する際には、ぜひネコ城を探してみてください。
中世においてネコ城へ至るには、麓のザンクト・ゴアルスハウゼンと近隣のボルニッヒ村を経由する必要がありました。
これらの集落も要塞化されており、ネコ城が「難攻不落」と称された一因となっています。



周囲の村と一体となった防御システムだったということだよ。
まとめ
ネコ城は、その愛らしい名前とは裏腹に、600年以上にわたって戦乱の歴史をくぐり抜けてきた戦略的要地でした。
ライン川の美しい風景に溶け込むその姿は、訪れる人々に深い感銘を与えます。
カッツェンエルンボーゲン伯爵から始まり、数々の戦争を経て、最終的に日本人の手に渡るという国際的な歴史を持つ稀有な城です。現在も世界遺産として、ライン川の美しい景観の一部を成しており、多くの観光客に愛され続けています。
いつかライン川を訪れる機会があれば、ぜひこの「ネコ城」の姿を探してみてください。その美しいシルエットと背後に秘められた物語が、旅の思い出をより一層豊かなものにしてくれるでしょう。

