帝国城塞トリフェルス城(Reichsburg Trifels)イギリス国王リチャード獅子心王が幽閉された城

帝国城塞トリフェルス城は、プファルツ地方のアンヴァイラー(Anweiler)市、ワイン街道をちょっと外れたところにある,高さ494mの太陽山(Sonnenberg)の山頂に立つ山城です。ライン川側からプファルツの森(Pfälzer Wald)に入ると、すぐに目にすることができます。

連峰の3つの山にそれぞれブルク(いずれも廃墟)が建っており、トリフェルス群とまとめられることもあります。

岩山にそびえ立つ城の勇姿は、遠くから見ても下から見ても、人に感動を与えます。

12世紀から13世紀にかけて、ザリエル朝およびシュタウフェン朝の重要な拠点で帝国城塞であり、カイザーブルクでもあります。皇帝の権力を外に示す役割も果たしていました。

十字軍帰りのイギリス国王リチャード獅子心王が幽閉されていたことでも知られる城です。

この城は、ハーグ条約に基づいて保護されている文化財です。

目次

トリフェルス城の見どころ

映像を見ると、よくこんなところに城を建てたなと思うような岩壁の上に建っています。

シュタウフェン朝時代の中心地であったので、それだけでも歴史ロマンを感じさせます。

この時代の国王や皇帝たちは決まった城に定住するのではなく、城から城へ、都市から都市へと移動していました。このトリフェルス城も、皇帝たちが移動しながら一時的に住む城の一つでした。

周囲には小さなブルクがたくさんあり、シュタウフェン朝の皇帝フリードリッヒ二世(Friedlich II.)は、帝国ミニステリアーレたちに広大な地域を管理させていました。

即位の宝器

即位の宝器のレプリカ

皇帝に即位するためには、日本の三種の神器に相当する即位の宝器(Reichskleinodien)こと王冠(Krone)、笏(Zepter)、十字架付き宝珠(Reichsapfel)が必要です。

博物館には、これらのレプリカが常設展示されており、見ごたえのあるものとなっています。

レプリカとは言え、どこか神秘的なものを感じさせますね。

リチャード獅子心王の幽閉

イギリス国王リチャード獅子心王が幽閉された城とされています。

リチャード獅子心王の伝説と同様に、フリードリッヒ一世赤髭王(Friedrich I. Barbarossa)がここに眠っているという伝説があります。フリードリッヒ一世に関しては、キフホイザーで眠っている伝説のほうが有名です。

トリフェルス城に幽閉された人
  • リチャード獅子心王
  • グロイチュ伯爵ヴァイプレヒト(Grafen Wieprecht von Groitsch)
  • ケルン大司教ブルーノ4世(Kölner Erzbischof Bruno IV.)
  • ノルマンの諸侯たち

トリフェルス城への行き方

最寄りのバルバロッサ駐車場に車を停め、城まで山道を歩いて登っていきます。

公共交通機関を利用する場合でも徒歩で登ることになりますが、それほど離れた場所ではないので比較的簡単にアクセスできます。

トリフェルス城の歴史年表

1081年

トリフェルスに関する記録が初めて文書に登場します。

1113年

ザリエル朝の王の手に渡り、帝国城塞となります。ハインリッヒ5世はこの城をよく訪れていました。

1125年

神聖ローマ皇帝ハインリッヒ5世は、甥のシュヴァーベン公フリードリッヒ(Friedrich von Schwaben)に即位の宝器を譲渡します。

しかし国王選挙の結果は、フリードリッヒではなくザクセンのロタール三世が皇帝に選ばれてしまいました。

1138年

コブレンツ(Koblenz)で起きたクーデターにより、シュタウフェンのコンラート三世(Konrad III.)がドイツの国王になります。このときから、トリフェルス城はシュタウフェン家のものになりました。

1190年頃

宝物庫と礼拝堂のある主塔が建設され、権力の象徴であると同時に礼拝の場でもありました。

1193年から1194年

皇帝ハインリッヒ六世は、身代金目的でイギリス国王リチャード獅子心王をここに幽閉します。リチャード獅子心王は身代金として銀23トンが支払われるまで、ここに約3週間囚われていました。

1194年

イギリスからの身代金を財源とし、皇帝ハインリッヒ六世はここから戦利品目的で南イタリアに遠征にでかけます。その際、ここで軍議を開いていたと考えられています。多くの人質と財宝を得て、シチリアの新王としてプファルツの城に帰還しました。

収益は、ヴォルムス(Worms)とシュパイヤー(Speyer)の要塞化に使用されました。

1230年頃

皇帝フリードリッヒ二世の下、大規模な拡張工事が行われます。パラス、井戸塔、環状城壁などが建設されました。発掘調査によると、実はザリエル朝時代の城の方がシュタウフェン時代の城よりも大きかったのではないかと考えられています。

大空位時代

城の存在意義はなくなります。

1330年

プファルツ選帝侯のものになります。

1410年

フランス革命までプファルツ・ツヴァイブリュッケン公爵領(erzogtum Pfalz-Zweibrücken)になります。

1602年3月28日

落雷により、パラスを中心に消失してしまいます。その後、地元に人々の採石場として利用されてしまい、これによる損害が一番大きかったと言われています。

三十年戦争

付近住民の避難所となります。

1841年

バイエルン国王ルードヴィッヒ一世は城の再建計画を立てさせ、1881年に再建図が出来あがります。

1866年

トリフェルス協会(Trifelsverein)が設立され、現在も城の再建という目的のために尽力しています。

1937年

トリフェルス城の再建命令が出され、ルドルフ・エステラー(Rudolf Esterer)に任されます。パラスは2階建てのはずでしたが3階建てに再建され、皇帝の間(Kaisersaal)はネオ・ゴシック様式で再建されてしまいました。

これはクライアントのナチスの仕様によるものでした。

1948年以降

城は国の管理になります。

よかったらシェアしてね!
目次
閉じる