赤髭王伝説のあるキフホイザー城廃墟(Burgruine Kyffhäuser)

ここが帝国城塞であったことの意味を、バルバロッサ伝説が物語っています。

皇帝フリードリッヒ一世(赤髭王)が眠っているという伝説のある帝国城塞の廃墟です。

フリードリッヒ1世は十字軍の遠征途中、イタリアの川で溺死したのだが遺体は見つからず、キフホイザーに眠っているという伝説が生まれました(但し,伝説は孫のフリードリッヒ2世と混同されているというか、融合しています)。

現在そこには,フリードリッヒ一世の記念碑が建てられています。立派な髭を生やしたフリードリッヒ一世の像があります。

この像は,ロマン主義の時代であった1890から1896年にかけて建築家ブルーノ・シュミッツによりヴィルヘルム一世により建てられた彫像です。

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キフホイザー城廃墟(記念碑)の見どころ

城はオーバーブルク、ミッテルブルク、ウンターブルクの3つの部分から成っており、全体で全長608m、幅60mです。

オーバーブルクがケルンブルクであり、居住階は暖炉のある3階、守衛のための張り出しの入り口は10.5mの高さのところにあります。
環状城壁の高さは10m。井戸の深さは176mもありドイツ一です。

ミッテルブルクは四角形で円形の塔があります。

ウンターブルクからミッテルブルクに抜ける通路があります。円形の塔の直径は11mあります。ブルクの北城壁に居住塔と礼拝堂の複合建築物があります。

1433年に後期ゴシック様式に姿を変えましたが、保存状態は良くありません。

中世の頃は、赤い禿山の上に建てられた木製の施設でした。石材も赤いものが使用されました。

赤は皇帝の権力を表しています。ここは軍事的な目的だけではなく、皇帝の権力を示す目的も持っていた城でした。

この塔からは,チューリンゲンとザクセン・アンハルトの素晴らしいパノラマが広がっています。

ドイツ人にとって,ここはドイツ中世の歴史を物語っている特別な場所でもあり,感慨深いものがあるようです。

キフホイザー城廃墟(記念碑)への行き方

駐車場が整っています。
駐車場から歩いて階段を登って行くのもよし,シャトルバスを利用してもよし。

キフホイザー城の歴史年表

10世紀
ティレダ宮を守るために建てられました。この時,国王ハインリッヒ5世とザクセン公ロタールが争っており、1118年に攻撃されたことがあります。
シュタウフェン朝時代
ここは帝国領であり、1150年以前には巨大なブルクが建築されていました。
1222年
皇帝ハインリッヒ6世とハインリッヒ獅子公がブルク下のティレンダで和解しました。国王の死後ブルクの重要性はなくなり、帝国ミニステリアーレのミルデンシュタインの領主が城主として就きました。
1290年
ハプスブルク国王ルドルフがバイヒリンゲン伯をキフハウゼンの城伯に任命しました。

その後たびたび城主が変わり、1435年に崩落しました。

1890年から1896年
皇帝フリードリッヒ一世(赤髭王)の像が建てられます。
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