絵になる美しい城,エルツ城(Burg Eltz)

Burg Eltz ラインラント・プファルツ州

モーゼル川(Mosel)(正確にはその支流のエルツ川(Eltzbach))沿いにある騎士の城。
周辺の城はプファルツ継承戦争でことごとくフランス軍に破壊されていますが,当時のエルツ城主がフランス軍の将校であったため破壊を免れています

城の最も古い部分は中世初期の頃から存在する古い歴史のある城であり,美しく絵になる城であるため世界中から観光客が訪れています。

一般的に城というものは防衛施設という観点から山の上に立っているものですが,エルツ城は谷にあります。一見谷間に見えますが,谷に突き出た高さ70mの岩山の山頂,つまりは三方を谷に囲まれた山城であることは間違いありません。

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エルツ城の見どころ

ドイツ中世の城の中でもっとも保存状態が良いだけあって,城のたたずまいそのものが美しいです。当時の貴族の生活を思わせるものが品々が数多くあります。

当時の生活の様子が再現した展示がなされている部屋もあり,主人のその召使の様子がわかります。

エルツ城への行き方

かなり辺鄙な場所にある城なので,車で行っても公共交通機関を利用しても行くのは大変です。

レンタカーまたは自家用車で行く

モーゼル川(Die Mosel)とライン川(Der Rhein)の合流点にあるコブレンツ(Koblenz)からモーゼル川沿いにブンデス(Bundes)412号線をトリアー(Trier)方面に走らせること数時間。「Burg Eltz」の看板があるので,看板の指示に従って城に向かいます。

城へ行くルートは3つあり,1時間ぐらい山道を歩くコースもあれば,歩く距離は短いものの車で走りにくい道を行くコースなどがあります。

公共交通機関を利用して行く

30分毎にコブレンツ駅からコッヘム/トリアー方面に行き,モーゼルケルン(Moselkern)駅で下車します。エルツ川に沿って山道を約1時間半,距離にして約5kmを歩きます。

歩くのがしんどい方はタクシーを呼ぶか,城バス(Burgenbus)を利用するとよいです。ただし,城バスは週末および祝日のみの運行です。城バス乗り場は,船着き場近くのモーゼルアリー(Moselallee),カルデン駅(Karden),マルクトプラッツ(Marktplatz)にあります。

城バスは城近くの駐車場まで行き,そこから約15分歩きます。

エルツ城の訪問記

この城はガイドツアーに参加することで内部を見学できます。しかし,エルツ城を訪れたときはあまりにもドイツ語が未熟な時であり,ガイドツアーの存在すら気付くことができませんでした。

しかし,宝物庫は自由に見学することができ,当時の生活を思わせる品々が数多く展示されていました。宝物庫はそれぞれの家系が所有してきたコレクションが展示してあります。

宝物庫の入り口では聖人像が迎えてくれます。展示品は鉄砲や時計もあれば,東洋から持ち込まれたとおぼしき品々が展示されていました。斧と剣と拳銃が合体した,どのように使うのか分からない武器もありました。

これは鉄砲なのか,斧なのかピッケルなのか,一体何なんだ?

食事の様子を再現した場所があり,主人の食事の準備をする召使いと食事をする城主。当時のフォークは現在のような四又ではなく,まだ二又です。二又のフォークとはいえ,とても上品なものを使用しています。

宝物庫だけでもかなり満足できました。

中庭は狭く,周囲を建物で囲まれてしまうため,見上げる空はとても狭いです。

エルツ城の中庭より空を見上げる

残念ながら,訪れているのにガイドツアーに参加することが出来なかった城です。ガイドツアーに参加して内部を見学させてもらえたなら,いったいどんな世界が広がっているのでしょうね。

ガイドツアーに参加して内部を見学することがかなわなかった城なので,私にとってはやや消化不良なところがあります。いつかまたエルツ城に行って,今度こそガイドツアーに参加したいと願っています。

エルツ城の歴史年表

12世紀初頭
モーゼルラントとマインフェルトを結ぶ街道沿いのエルツ川の谷にブルクがあったことがわかっています。この街道は帝国にとって需要な貿易ルートであり,戦略的に重要な拠点でした。
1157年
フリードリッヒ一世赤髭王(Friedlich I. Barbarossa)よりルドルフ・フォン・エルツ(Rudolf von Eltz)の名が与えられます。シュタウフェン朝時代,エルツは栄えます。この時代の後期ロマネスク様式のベルクフリートは現在でも残っています。
1268年
エルツは3兄弟で相続されることになります。分割相続されていくのが一般的ですが,分割してしまうと所領が小さくなりすぎてしまうため共同管理,共同所有の形で本家および分家で共同相続されることになります。城もまた,共同相続ブルク(Ganerbenburg)として代々相続されていきます。分家の名を城の建物の名称に見ることができます。岩山の上の場所が狭いため上へ上へと増築していき,部屋の数は100を超えました。部屋があっても必ずしも城に住んでいるとは限らず,周辺の村や街の家に住んでいる人も多かったようです。
1331年から36年
トリアー司教バルドゥイン・フォン・ルクセンブルク(Balduin von Luxemburg)と帝国自由騎士の領土争いエルツ・フェーデ(Eltzer Fehde)が勃発し,攻撃を受けます。司教側はエルツ城を取り囲むようにいくつかの城砦を建てます。2年は耐えましたが,ついに耐えきれず自由騎士の身分を捨て,司教に仕えることになってしまいました。
司教が建てたカウンターキャッスルであるトルツェルツ城廃墟(Burg Trutzeltz)は現在でも見ることができ,エルツ城を見下ろせる位置にあります。その廃墟とエルツ城をともに撮った写真を見かけることがありますね。

 

エルツ城が攻撃を受けたのはこのときのみで,以後,現在に至るまで攻撃を受けたことはありません。

1490年から1540年
ローデンドルフ家の娘と結婚したことからローデンドルフも所領となり,エルツ・ローデンドルフ家(Eltz-Rodendorf)が設立します。敷地内に後期ゴシック様式のローデンドルフ館が建てられます。
1563年
ヤコプ三世・フォン・エルツ(Graf Jakob von Eltz)伯爵がトリアー選定司教に選出されます。彼は法学と神学を学んだ後,聖職者の道へ進み,トリアー大学の学長を務めていました。彼は強力な反宗教改革派の擁護者でした。
1604年から1661年
木組みが特徴のケンペニッヒ館(Kempenicher Häuser)が建てられます。この建物が中庭からの城を印象づけています。このとき,階段塔の地下に井戸が造られました。
プファルツ継承戦争(1688年から1689年)
ライン川やモーゼル川沿いの城はことごとく破壊されたにもかかわらず,ハンス・アントン・ツウ・エルツ=エッティンゲン(Hans Anton zu Eltz-Üttingen)がフランス軍の将校であったためエルツ城は破壊を免れました。
1794年から1815年のフランス統治下
フーゴ・フィリップ・ツウ・エルツ伯爵(Graf Hugo Philipp zu Eltz)はフランスから移民として扱われ,ライン川近くやトリアー近郊の所領は没収されました。エルツ・リューベニッヒ家の所領やエルツ・ケンペニッヒ家の所領を買い取り,エルツ家の唯一の所有者となりました。
1845年から1888年
ロマン主義活動が盛んになっていた頃,カール・ツウ・エルツ(Graf Karl zu Eltz)はエルツ城を修繕することにしました。修繕費用は現在の貨幣価値に換算して,日本円で約15億円ぐらいになるでしょうか。注意深く本質的な修繕を心がけたために,大きく改変されることなく修繕されました。
2009年から2012年
景気対策と記念碑保護の観点から440万ユーロの費用を投じた大規模な修繕作業が行われました。

エルツ城の博物館の開館案内

開館時間

4月1日~11月1日 9:30~17:30

城の内部はガイドツアーのみ

所有者というか,現在の城主様

Dr.Karl Graf zu Eltz

博士号持ちなんですね。フランクフルト・アム・マインにお住まいのようです。

Startseite - Burg Eltz
Burg Eltz hat täglich von 09:30 bis 17:30 h bis einschließlich 2. Nov. 2020 geöffnet.