中世ドイツ貴族(Adel)階級の始まりと歴史

社会制度

中世のブルクは貴族の城です。

貴族の起こりは国により地域により異なっています。

ここでは中世ドイツ貴族の始まりと歴史について述べます。

中世の社会秩序は,個人の権利の不平等に特徴づけられます。

スポンサーリンク

貴族の始まり

社会的分化はゲルマニア時代にまで遡ることができます。

中世になり,支配階級と非支配階級がはっきりと分かれることになります。

フランク帝国時代は戦争生活者(兵士)を意味していました。

地域により異なる出現

いずれの場合も,大きな資産とそれに関連する司法および教会の主権が,高貴さを決定づけています。

異なる出自ですが,中世の東フランク帝国では,帝国貴族階級はまだ均一的でした。

ザクセンおよびフリーゼン

外国人による制服の結果,始まりは土地と支配権の所有にあったと考えられています。

フランク

国王に近い存在であり,国王への奉仕が高貴さをもたらしたと言われています。

バイエルン

5つの氏族による大規模氏族連合により,地位の差別化が行われました。

地方有力貴族の台頭

東フランク帝国カロリング朝の支配が終了すると,地方の有力家系が特別重要視されるようになりました。

それらの家系から,部族公国の代表者が現れます。

10世紀以降,中世貴族は大規模土地所有者であり,教会員であることを理由に,地域の教会支配を行使しました。

王権によって任命され,承認された郡大臣や,教会機関により任命された教会執行官は,この階級出身者です。

特に司教座とは密接な関係がありました。貴族の多くが,王宮礼拝堂で司教の教育を受けていたからです。

姓の始まり

11世紀以前の貴族家系の研究は,困難を極めます。

11世紀以前には姓や氏族の名前が存在しなかったからです。

父系相続から家系は父系親族の連合として理解されるようになり,姓を名乗る習慣が11世紀より始まります。殆どの場合,名字の由来は領土と行政の中心地である一族の城の名前に由来しています。

例えば,名前の後にフォン・○○ブルクとなっていれば,○○ブルクが名字となります。たいてい,土地の名前か城の名前になっているので,貴族の名前を見れば,その貴族の発祥の地が分かることが多いです。

騎士(Ritter)の登場

兵士には厳しい組織と服従が必要であり,同時に領主であり,気高い奉仕対し領土が与えられていました。従者たちには強い結びつきが生まれました。

このような発展はメロヴィング朝時代にもう始まっており,カロリング朝時代末期からは,騎馬隊が戦略的戦術的部隊として利用されることが広まり,より強固なものになっていきました。

マジャール人といった周辺からの襲撃により,兵士は馬を持っていることが重要となり,騎士であることが重要視されました。

12世紀に始まる『騎士(Ritter)』という言葉は『騎馬兵士(Reitersoldat)』を意味し,それは貴族の称号となりました。

騎士はある種特別な職業資格となりました。

特殊な武器と戦闘技術に基づいて構成された騎士団は,騎士道精神を発展させ,最終的に帰属社会全体を特徴づけるまでに昇華させました。

ミニステリアーレ(Ministeriale)

ミニステリアーレ(Ministeriale,Ministerialität)
カロリング朝,メロヴィング朝の時からからすでにその身分は見られました。貧者もいれば富者もいます。もともとは農民階級であり,自由のない使用人の上流階級です。隷属的ではありますが騎士になることができたという点で,自由民の富裕農...

騎士という職業は自由民もいましたが,騎士叙任式を行った不自由民(ミニステリアーレ)でさえ,貴族に数えられるようになりました。

国王領や侯爵領では,使用人が最高の役職に就くことができ,大きな威信と上流貴族との繋がりを持つことができました。

武器を持つことと君主に奉仕することは名声となり貴族の生活に適応していきました。

戦争奉仕において自由民の貴族と不自由民のミニステリアーレという階級ができました。

1200年頃までにミニステリアーレは貴族生活の大部分を請け負うようになりました。

12世紀は自由貴族とミニステリアーレ間の結婚はまれでしたが,13世紀には頻繁に見られるようになりました。

フリードリッヒ一世(赤髭王)はミニステリアーレをよりどころにし,フリードリッヒの恩寵に依存する忠実な従者を得ました。

フリードリッヒ一世(赤髭王)(Friedrich I. Barbarossa)
1147年から1152年まではシュヴァーベン公爵フリードリッヒ三世(Friedrich III. Herzog von Schwaben)でしたが,後に皇帝に即位してフリードリッヒ一世赤髭王と呼ばれるようになりました。皇帝としての...

馬上槍試合(Turniere)

騎士の武器を持つ権利は,13世紀以降に始まった馬上槍試合ことトーナメントに参加するための前提条件でした。

この頃は身分に排他性が求められるようになり,騎士になりたいものは,騎士叙任式の前に,8人または16人の祖先が騎士生活をしていたことを証明しなければなりませんでした。

15世紀に,馬上槍試合参加権が馬上槍試合の規制に結び付けられているのは,出場する騎士が貴族的上流階級であると見られていたからです。

騎士のスポーツ馬上槍試合(Turnier)
英語ではトーナメントといいます。トーナメントというと,一般にスポーツの勝ち抜き戦形式(それは本来はノックアウト形式といいます)を思い浮かべるかもしれません。しかし本来のトーナメントとは馬上槍試合のことです。これなくして中世...

貴族階級の分化

もともとは一様だった貴族ですが,次第に帝国侯爵の上流貴族,その下に伯爵および男爵,そして国王支配下の騎士や地方小領主といった下級貴族への分化していきます。

上流貴族は中世初期の大領主に由来し、国王の側近や管理職に就いていました。

中世初期の領主は領主のいない土地を開墾して領主になりました。騎士のような臣従貴族は上流貴族である侯爵の従者に由来します。

封建制度の形式化にともない,貴族の階級差が12世紀になるとはっきりと現れるようになりました。

12世紀に帝国侯爵の地位が確立したのと同じく,14世紀には騎士の家柄も確立しました。

中世後期には,帝国貴族と地方貴族に分けられるようになりました。