城主の邸宅パラス(Palas)はどのような建物なのか

城の基本構造の一つで、パラスは「本館」と訳されているのをよくみかけます。

城主の主な生活場所で、私的空間です。

ここでどんな生活をしていたのか、想像が膨らむね。

パラスは生活と仕事の場で、多少の防御力を備えていたこともあったよ。日本の城でいうところの、御殿に近いのかも。

部屋の構成は時代や背景,城の規模により変わります。

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パラスの部屋の構成

下層階は上層階に比べて壁が厚く、また、光を取り入れる窓や扉が小さく少なかったため、下層階は暗い。

生活のみならず、仕事の場でもあります。衣類を製作したり、書類の管理などもここで行われていました。

騎士の間・大広間(Rittersaal)

ブラウンフェルス城(Schloss Braunfels)の騎士の間
ブラウンフェルス城(Schloss Braunfels)の騎士の間
Leica Akademie, original uploader was Egetmeyer at de.wikipedia, CC BY-SA 3.0 DE https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/de/deed.en, via Wikimedia Commons

小さな前室を通った先は大広間へと続きます。大広間は19世紀になってから騎士の間と呼ばれるようになりました。

初期の頃は君主が食事をし、裁判を行い、会議を開いていました。祝賀会の時はテーブルが置かれ、夜になると客人のためのベッドが置かれました。

騎士の間は、行政と司法の中心であると同時に、客人をもてなす場でもありました。

中世中期に、主に上級貴族の宮廷や城に、より大きなホール空間のある建物があります。建物の大きさや装飾、凝った調度品がありました。

騎士の間の広さは、時代と城主の社会的地位により、その役割を変化させています。騎士の間が広さが、城主の社会的地位の高さと結びついていた時代もありました。

なるほど、騎士の間を見る時は、広さにも注目するといいのね。

そうなんだけどね、まだ建築技術が未熟だったこともあり、集まった客人の重みに耐えきれずに床が抜け、地下貯水槽に客人たちが落ちて何人かが亡くなったという悲しい記録が複数あるよ。

地下室もあることが多く、1回は複数の部屋に分かれていますが、上階に大広間があります。

現在、壁に武器が飾られていることの多い騎士の間ですが、中世当時は武器を飾るようなことはしていません。下級貴族の部屋には、飾ってあったかもしれませんが…。

「騎士の間」というようになったのは、19世紀のロマン主義の時代からです。それ以前はただの「大広間」でした。マールブルク城は、城主の階級を鑑み、騎士の間ではなく君主の間(Fürstensaal)という名称が使用されています。

居間(Kemenate)や寝室(Schlafzimmer)

城主の家族用の居間と寝室もありました。

辞書的には婦人の間とも訳されるKemenate(ケメナーテ)は、部屋の名前の由来となっている暖炉(Kamin)があり、暖房のある貴重な部屋となっていました。

ケメナーテという言葉は中世時代にはほとんど見られず19世紀の発明で、19世紀の女性蔑視的な視点がやや入っているといわれています。

ケメナーテは、居間や寝室として利用されました。

主人と客人が別の部屋で寝ることに意味があります。

城主夫人はここで、娘たちを教育していました。

まとめ

  • パラスは城主たちの生活と仕事の場
  • 騎士の間・大広間は仕事場でもあり、祝賀会場でもある
  • 騎士の間の広さは、城主の社会的地位を示す
  • 居間にだけは暖房があった

パラスの他にも、城を構成する要素はいろいろあるよ!

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