城に住んでいるのは、お姫様や王子様といった貴族よね。憧れちゃうわ~。貴族はどうやって貴族になったの?
城に住んでいるから貴族なのではなく、貴族は社会的特権階級です。独自の生活様式、風習、倫理観を持った社会階級。
貴族の起こりは国により地域により異なっており、また時代により一般人でも貴族になることができました。
中世の社会秩序は、個人の権利の不平等に特徴づけられます。
ここでは中世ドイツ貴族の始まりと歴史について説明するね。
貴族の始まりと歴史
社会的分化はゲルマニア時代にまで遡ることができます。
ゲルマニア時代にも階級がありましたが、ゲルマニアの支配構造とその後の中世の封建制度の間に、連続性は確認されていません。
中世になり、支配階級と非支配階級がはっきりと分かれることになります。
フランク帝国時代
各地域に有力家系が存在していますが中世初期にはその痕跡が見られなくなり、閉鎖的な世襲貴族はまだ存在せず、社会的流動性の高い状態が続いていたと考えられています。
フランク帝国時代、貴族は戦争生活者(兵士)を意味していました。
フランク帝国建国期には、ゲルマン民族諸部族対ゲルマン民族諸部族の争いが続いており、戦士が支配階級となったのは当然の流れ。
ヴァイキング、マジャル人の侵攻から守るため、自然発生的に形成された剣による貴族。農民を守り、その見返りとして農民から食料や馬や武器を与えられ、従者がつけられました。
馬に乗った戦士は特に重要視され、やがて決定的な存在となります。
時間的、経済的な理由から、農民は兵役を果たすことができません。農民たちは税金を支払う代わりに、兵役を免除されていました。
外的危機が去ると、戦士カーストにより対立するようになります。
有力者は家来に封土を与え、弱いものは自分の土地を君主に渡したうえで封土として与えられる封建制度は発生したよ。
忠誠を尽くしたものには土地所有権、つまり封土が与えられ、戦士の大半は地主でもありました。
ザクセンおよびフリーゼン
外国人による征服の結果に基づき、支配階級の始まりは土地と支配権の所有することにあったと考えられています。世襲貴族の存在が、最初に明らかにされています。
フランク
国王に近い存在(役人)であり、国王への奉仕が高貴さをもたらしたと言われています。
バイエルン
バイエルンはザクセンよりも早く部族公国が現れ、早くもメロヴィング朝時代には世襲公爵が存在していたとされています。5つの氏族による大規模氏族連合により、地位の差別化が行われました。
カール大帝(別名:シャルルマーニュ)の時代
カール大帝は、武器を持つことのできる全自由な土地所有者を、ヨーロッパ各地で行われる軍事作戦に徴用しました。巨大な部隊を組織するために、軍隊を7つの階級(軍盾)に分け、そこには封建的な義務と権利を伴っていました。
伯爵料や辺境の管理者を任命し、特定の個人に仕事を与えるようになるとそれが職業的称号となり、すぐに世襲制となり階級が形成されました。
- 公爵
- 辺境伯
- 伯爵
伯爵は王に仕え、辺境伯は国境を守るために大きな権限を持っていました。
高貴な自由民がその地位を継承し、騎士への昇格には一定の条件が必要でしたが、裕福ではない自由民や不自由民の男性にも昇格の機会がありました。
地方有力貴族の台頭
東フランク帝国カロリング朝の支配が終了すると、地方の有力家系が特別重要視されるようになります。
- 政治への参画
- 都市の設立
- 修道院や聖堂学校への寄贈や後援
- など
中世の文化に永続的に貢献しました。伯爵や侯爵になった有力家系はこのような貢献をし、後に上級貴族を形成します。
- ヴェルフ家
- レニエ家
- ヴェッティン家
は1000年以前から確実に記録されている家系です。
ハプスブルク家やホーエンツォレルン家、ヴィッテルスバッハ家はまだ登場していないんだよ。
10世紀以降、中世貴族は大規模土地所有者であり、教会員であることを理由に地域の教会支配を行使しました。
王権によって任命され、承認された郡大臣や教会機関により任命された教会執行官は、この階級出身者です。特に司教座とは密接な関係がありました。貴族の多くが、王宮礼拝堂で司教の教育を受けていたからです。
中世中期-騎士から貴族へ
13世紀になると封建制の重要性が低下し、封建家臣の代わりに騎士叙任式を経たミニステリアーレが雇われるようになりました。
ミニステリアーレたちも、12世紀なかばから階級意識に基づいて閉鎖的な集団となっていきました。
騎士の息子は騎士家系の女性と結婚し、三世代を経れば世襲騎士となることができました。
ドイツの貴族は、この時に昇格した家系がほとんどだよ。
騎士という職業は自由民もいましたが、騎士叙任式を行った不自由民(ミニステリアーレ)でさえ、貴族に数えられるようになりました。
戦場では、貴族も従者も関係ありません。
小貴族自由民が身分を捨てて帝国侯爵に仕えることでミニステリアーレの社会的地域は強化されました。自分の完全私有地を手放す一方で、君主から封土として取り戻すような例もあります。
自分の所有地の他に、新しい城を与えられたり、新しく与えられた奉仕領に城(モット・アンド・ベイリー)の建築を許可されたりして、経済状況を改善させることもありました。
14世紀以降には貴族になることができました。
帝国ミニステリアーレから貴族に昇格した家系の例として
- ロイス家(Reuß)
- エアバッハ家(Erbach)
- ヴァルトブルク家(Waldburg)
などがあります。
新しい貴族の時代
古くからの貴族家系は中世時代は騎士だった家系に由来します。
しかし中世後期から近現代にかけて、新しい形の貴族が登場するようになりました。
新貴族(Briefadel)
中世にはまだ騎士ではありませんでしたが、叙爵書によって騎士に昇格した家系を新貴族と言います。
皇帝カール4世がマインツのシュテファン教会の学者ヴァイカー・フロッシュに発行した叙爵書が最古のものです。
貴族階級の分化
もともとは一様だった貴族ですが、次第に帝国侯爵の上流貴族、その下に伯爵および男爵、そして国王支配下の騎士や地方小領主といった下級貴族へ分化していきます。
上流貴族は中世初期の大領主に由来し、国王の側近や管理職に就いていました。
中世初期の領主は領主のいない土地を開墾して領主になりました。騎士のような臣従貴族は上流貴族である侯爵の従者に由来します。
封建制度の形式化にともない、貴族の階級差が12世紀になるとはっきりと現れるようになります。
より強力な貴族は、男爵、伯爵、侯爵へと発展し、帝国直属、つまりローマ・ドイツ国王のみに服従し、封土も帝国から直に受けていました。
12世紀に帝国侯爵の地位が確立したのと同じく、14世紀には騎士の家柄も確立しました。
貴族の称号
貴族の称号が与えられるようになったのは、皇帝カール4世の時代、役人(法学者)を貴族に昇格させたことに始まります。
上級貴族:侯爵や帝国直属の伯爵
下級貴族:その他の伯爵、男爵、騎士
ほとんどの伯爵は上級貴族ではなく下級貴族になるんだよ。
- 選帝侯(Kurfürst)
-
国王を選ぶための選挙権を持つ。
- 公爵(Herzog)
- 宮中伯(Pfalzgraf)
- 方伯(Landgraf)
- 辺境伯(Markgraf)
- 侯爵(Fürst)
-
誰に対しても封建的な義務を追わず、自由地領(Allod)のみを所有する。
- 伯爵(Graf)
- 城伯(Burggraf)
- 男爵(Freiherr・Baron)
- 騎士(Ritter)
これらの称号は、時代によってあったりなかったりしているから、注意してね。