ドイツとスイスの国境にあるボーデン湖。風光明媚で気候も温和。ドイツで人気保養地の一つであるボーデン湖には数多くの城が点在しています。
そんなボーデン湖を望む丘の中腹にあるメールスブルク城は、ドイツで初めて火器が使用された中世の城です。自然の地形を巧みに利用した全長92mの美しい城塞。
人が住んでいるブルクの中で、ドイツで最も古いブルクです。
メールスブルク城の見どころ
北側のベルクフリートと胸壁はこの城の最古の部分で、建設時期は7世紀になります。
城の南側は断崖絶壁、北側にある城の門へは橋を渡って入るのですが,ひじょうに深い堀切の上にかかっています。
博物館
博物館では、台所、デュルニッツ(Dürnitz)、パラス、井戸部屋、武器庫、城壁、騎士の間、城の地下牢、2つの礼拝堂、馬小屋、北の稜堡など、中世の趣を多く残す部屋を30部屋以上見学することができます。
これだけ多くの中世の生活感漂う部屋を見学できる城は、そう多くはありません。
部屋はあっても何もないのではなく、各部屋には調度品や、人形などを使用して当時の生活が分かるような展示の仕方をしています。
近世のような華やかさはありませんが、中世の質素な生活を垣間見ることができるので、中世好きにはたまらないのではないでしょうか。
ボーデン湖と城下町
城から眺めるボーデン湖と古い城下町は、古き良き欧州を感じさせるものがあります。
青いボーデン湖と赤い屋根の古い城下町は、色合いが素晴らしくとても美しい光景となっています。
メールスブルク城の歴史年表
メールスブルクは、おそらくダゴベルト王(Dagobert I.)が築いた古い街で、コンスタンツに向かう船の発着場であったと史料には記されています。
交通の要衝かつ軍事的にも重要な拠点でした。
帝国城塞の時代
- 630年
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メロヴィング朝の国王ダゴベルト一世がメールスブルク城のベルクフリートであるダゴベルト塔(Dagobertsturms)を建設させたことが、688年の文書に記されています。
ダゴベルト国王は、船着き場を建設し、貿易ルートを確保しようとしていました。そして、アレマン人のキリスト教化に取り組んでいました。ラエティエ人に備え、湖上通行の拠点にしたとも伝えラr照ります。
その後、王の後継者と戦ったアレマン族のゴットフリート(Gottfried)公に破壊されました。
- 8世紀頃
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カール・マルテル(Karl Martel)によって再建されます。730年から911年まで、カロリング朝のプファルツの一つになりました。
司教領時代
- 1210年
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メールスブルクはロールスドルフ(Rohrsfdorf)伯爵家の所領でしたが、伯爵家が断絶し、コンスタンツ司教領に属することになりました。その後、1803年まで一貫してコンスタンツ司教領です。
- 1213年
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ホーエンシュタウフェン朝のフリードリッヒ二世(Friedrich II.)は聖週間をこの城で過ごしています。
- 1334年
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司教のフェーデ(Bischofsfehde)が勃発します。二重選挙の末の権力争いです。ニコラウス・フォン・フラウエンフェルト(Nikolaus von Frauenfeld)は、大聖堂支部の教皇派の多数派によって選出され、教皇ヨハネス12世によって支持されました。彼の対抗馬であるアルブレヒト・フォン・ホーエンベルク(Albrecht von Hohenberg)は、皇帝ルートヴィヒ・デア・バイヤー(Kaiser Ludwig der Bayer)の支持を受けていました。
14週間にわたる籠城戦となり、この戦いでドイツで初めて火器が使用されたと言われています。 - 1414年
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皇帝ジギスムント(Kaiser Sigismund)がコンスタンツ評議会の際に城に滞在。
- 1647年
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三十年戦争時,スウェーデン軍により屋根組に火をつけられました。
三十年戦争(Dreißigjähriger Krieg) ドイツ各地の古城の歴史を調べていると,頻繁に登場するのが三十年戦争。 城の歴史を知る上でも,ドイツの歴史を知る上でも三十年戦争は重要な戦争で,時代の転換点でも… - 1750年
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新しいシュロスを建設し、フランツ・コンラート・フォン・ロト(Franz Konrad von Rodt)が新しいシュロスに移住したため、メールスブルクは行政目的でのみ使用されることになります。
世俗の城へ
- 1803年
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修道院領の還俗により、バーデン大公の所有となります。しかしバーデン政府の財政難から売却されてしまいます。
- 1838年
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ヨーゼフ・フォン・ラースベルク男爵(Freiherr Joseph von Laßberg)がメールスブルク城を購入し、再び私有地となります。
- 1877年
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カール・マイヤー・フォン・マイヤーフェルス(Carl Mayer von Mayerfels)が城を購入します。彼は中世史の研究者であり、紋章などの収集家でした。メールスブルクを博物館として利用できるようにしました。
- 1977年
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ヴィンツェンツ・ネスル=ドムス(Vinzenz Naeßl-Doms)が所有者および城主となり。現在に至ります。
メールスブルク城公式サイト
メールスブルク城へのアクセス
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