新着記事一覧
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ドイツ中世の生活
中世ヨーロッパの子どもの教育―騎士と淑女の育て方
昔の日本と同様に、ヨーロッパでも基本的に上流階級の母親は自分で母乳を与えず、乳母に子どもの世話を任せました。 乳母は農民の出身が多く、時には実の母以上に子どもと強い絆を結ぶこともありました。 子どもたちの教育が本格的に始まるのは、小学校入... -
ドイツ中世の生活
中世ドイツの食文化にタイムスリップ!黒パン、ジビエ、香辛料が語る当時の暮らし
中世ドイツの人たちはどんな食事をしていたのかしら?日本と違ってヨーロッパの寒いから、あまり豊かではないイメージがある。 中世の時代は今のように、便利な水道もなければ冷蔵庫もありません。便利なシステムキッチンもありません。 人々は保存食や香... -
ドイツ中世の生活
中世ドイツの飲み物にタイムスリップ!アルコールが主役だった時代の暮らし
ヨーロッパの水は日本と違い、硬くて飲みにくいと聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。 水よりも牛乳やワインのほうが安いなんていう噂を聞いたことあるほどです。 流通の発達した現代でもそう言われるくらいなのですから、ましてや中世時代、... -
ドイツ中世の生活
ヨーロッパ中世の貴族たちの娯楽と遊び
中世は、今のようにスマホやゲーム機はありません。楽しいテーマパークだってありません。 中世の人たちだって、遊ぶことはあるよね? もちろん、中世の人たちだって、仕事や勉強ばかりでなく、時には思い切って遊ぶことだってあったよ 日々の辛い仕事を乗... -
ドイツの城の構造
ドイツの城の構造―日本の城と西洋の城の違いと共通点
ドイツを始めとするヨーロッパの城の構造は、機能的に日本の城と同じところもあれば、日本の城にはないものもあります。城の各部分がどのような機能と目的を持っているのかを知ると、城を見る目が変わり、よりいっそう楽しくなります。このページでは、ヨーロッパの城の構造と機能を解説します。 -
ドイツ中世の生活
中世貴族の服装の変遷
中世の人々も、現代人と同じようにファッションを楽しんでいました。 中世ヨーロッパの中でも、特に独特な文化と歴史を持つドイツ。その服装も例外ではありません。フランスやイタリアのような洗練された美しさとは異なる、力強く重厚なイメージが特徴です... -
ドイツ中世の生活
中世の城で騎士たちはどんな日常生活を送っていたのか
ドイツ中世の城で騎士たちによる華やかな宮廷生活が…、と言いたいところですが、実際の生活は厳しいものでした。衣食住は基本的に自給自足です。城は窓が少なくて暗く、石造りの壁は寒さがこたえます。中世の騎士たちはいったいどんな生活を送っていたのでしょうか。 -
城とは何か
ドイツには城がいくつあるの?城が多い理由は?
ドイツにはたくさんの城があると言われているけど、その数はいったいいくつなのか?ドイツに城が多いのはどうして?そんなことを考えたことはありませんか。ドイツにある城の推定数と、ドイツに城が多い理由を解説しています。 -
ドイツ中世の社会制度
騎士叙任式(Ritterschlag)とは?中世ヨーロッパで少年が騎士になるまでの道のり
騎士叙任式は、中世ヨーロッパの騎士道文化において、若い戦士が正式な騎士として認められる最も重要な通過儀礼です。この儀式を通して、若者は騎士身分とそれに伴う権利・義務が与えられました。 この儀式で新たに騎士となる者は、騎士としての精神(騎士... -
城とは何か
ドイツの城:ブルク(Burg)とシュロス(Schloss)、フェストゥンク(Festung)の違い
一口に「ドイツの城」といった場合、そこには「ブルク」や「シュロス」、ときに「レジデンツ」や「要塞」が一緒くたにされてしまっていることがあります。しかし言葉が違うということは、その意味することも違うことを示しています。ここでは、その違いについて解説します。 -
ドイツ中世の社会制度
中世ドイツ貴族(Adel)階級の始まりと歴史
城に住んでいるのは、お姫様や王子様といった貴族よね。憧れちゃうわ~。貴族はどうやって貴族になったの? 城に住んでいるから貴族なのではなく、貴族は社会的特権階級です。独自の生活様式、風習、倫理観を持った社会階級。 貴族の起こりは国により地域... -
ラインラント・プファルツ州の城
ネコ城(カッツ城)とは?ライン川を見守る可愛くて堅固な古城の物語
ドイツ・ライン川のほとり、世界遺産「ライン渓谷中流上部」に位置し、有名なローレライの岩のすぐそばに、ひときわ目を引く古城があります。 その名はカッツ城(Burg Katz)。 「Katz」はネコを意味しているから、親しみを込めて、日本語ではよくネコ城と...
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バーデン・ヴュルテンベルク州の城
ホーエンツォレルン城の歴史―プロイセン王家発祥、破壊と再生の城
日本ではよく雲海の上にそびえ立つ天空の城として紹介されることのあるホーエンツォレルン城。 晴れた日にはその美しい姿を見せますが、この城は天気によっていろいろと表情を変え、時に美しく時に妖しい、いや、怪しい城と映ります。 たまたま訪れた時の... -
バーデン・ヴュルテンベルク州の城
ジグマリンゲン城の900年史:中世の要塞からホーエンツォレルン侯の壮麗な居城へ
黒い森(Schwarzwald)の北端近く、ドナウ川(Donau)上流の町ジグマリンゲン(Sigmaringen)にそびえるジグマリンゲン城。 ドナウ川が狭い谷を抜ける要衝に位置し、ジュラ紀に由来する石灰岩の岩山の上に築かれた山城で、川からの標高差は35m。 中世には... -
バイエルン州の城
ハールブルク城の歴史ーオットー朝の砦から帝国城塞・伯爵居城へ
ドイツ南部・ロマンティック街道(Romantische Straße)はネルトリンゲン(Nördlingen)の南東、リース(Ries)盆地の縁、ヴェルニッツ(Wörnitz)川の谷を見下ろす急峻な尾根に位置する山城、ハールブルク城(Burg Harburg)。 ハールブルク城はドイツ南... -
バーデン・ヴュルテンベルク州の城
リヒテンシュタイン城(Schloss Lichtenstein)ー中世へのあこがれを具現化した城
ドイツ南部のシュヴァーベン・アルプの標高817mの断崖絶壁に佇むリヒテンシュタイン城(Schloss Lichtenstein)。 まるでおとぎ話の世界から飛び出してきたかのようなその姿は、 崖の上に立つロマンティックな城 ヴュルテンベルクの童話の城 妖精の城 とも... -
テューリンゲン州の城
ヴァルトブルク城の真実ー伝説・改革・ドイツ統一を見届けた古城の物語
ドイツ・テューリンゲン州のアイゼナハの山の上に静かに佇むヴァルトブルク城。 ヴァルトブルク城の歴史は、ドイツ史そのものです。 11世紀の設立から、ルードヴィング(Ludwing)家の支配、聖エリザベート(hl. Elisabeth)の生涯、13世紀の文化的な開花... -
バーデン・ヴュルテンベルク州の城
ハイデルベルク城:廃墟に刻まれた栄光と没落の物語
古城街道にあるハイデルベルク城は、プファルツ選帝侯の居城でした。戦争と落雷で、現在は廃墟と化してしまった城ですが、廃墟なのにかつての栄光と繁栄を伺わせるほどに素晴らしく、一方で衰退と没落をも感じさせる城になっています。ここでは、そんなハイデルベルク城の見どころと歴史を紹介します。 -
ヘッセン州の城
フリードベルク城(Burg Friedberg):城伯たちが治めていた城
フランクフルト(Frankfurt am Main)の北西約30kmに位置するヴェッテラウ(Wetterau)にあるフリードベルク城は、約3.9ha(東京ドームの約85%の広さ)の広さを持つ大規模な城郭です。 広さに圧倒されちゃうわ 神聖ローマ皇帝フリードリッヒ1世(バルバロ... -
ヘッセン州の城
ハイン城(Burg Hayn)―ザリエル朝の狩猟の館
フランクフルト国際空港から東南東に約5km、ドライアイヒ(Dreieich)にある城跡。 その歴史は古く、城郭軍の最古の部分は11世紀にまで遡ります。 城の地勢水城城の種類ブルク城主の階級帝国ミニステリアーレ→ハーナウ伯爵最初の城の築上年1080年頃 ハイン... -
ヘッセン州の城
エプシュタイン城(Burg Eppstein)の歴史と見どころを紹介!―城の東西で異なる歴史
フランクフルト・アム・マイン市の北西に位置するエプシュタイン城。タウヌス山地の山の尾根筋に立つ山城。中世時代はこの地域の有力な貴族の邸宅でした。 城の地勢山城城の種類ブルク城主の階級神聖ローマ帝国→エプシュタイン伯爵→マインツ大司教→ヘッセ... -
ヘッセン州の城
シュタイナウ城(Schloss Steinau)の歴史と見どころを紹介!―グリム兄弟ゆかりの城
シュタイナウ城・アン・デア・シュトラーセ(Schloss Stenau an der Straße)はメルヘン街道にある城。 シュタイナウは、フランクフルト(Frankfurt am Main)とライプツッヒ(Leipzig)を結ぶキンツィヒ街道沿いにあり、ドイツ東部・中部・西部間の交易で... -
バーデン・ヴュルテンベルク州の城
ヴィンプフェン城(Pfalz Wimpfen)の歴史と見どころを紹介!-都市に取り込まれた帝国城砦
古城街道のバード・ヴィンプフェン(Bad Wimpfen)にあるヴィンプフェン城は、シュタウフェン朝時代のカイザープファルツで、帝国城砦の一つ。 城の立地山城城の種類ブルク城主の階級神聖ローマ皇帝→ヴォルムス司教→ヴァインスベルク卿→都市ヴィンプフェン... -
ヘッセン州の城
ゲルンハウゼン城(Kaiserpfalz Gelnhausen)の歴史と見どころを紹介!-バルバロッサの城
フランクフルト(Frankfurt)の北東約20kmのところに位置し、フランクフルトから日帰り観光できる場所。城はもちろんのこと、ゲルンハウゼンの町は木組み建築の家々が立ち並ぶ美しい街並みを楽しむことができる場所です。 ゲルンハウゼンなんて、聞いたこ...
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ドイツ中世の生活
【徹底比較】騎士道vs武士道:東西の「戦うエリート」を育てた英才教育の違いとは?
遠く離れたドイツと日本。 文化も宗教の異なるこの2つの地で、奇しくも同時代に誕生したのが「戦士のエリート階級」こと、「騎士(Ritter)」と「武士」。 ともに社会の根幹を支える存在だった両者。 彼ら「戦うこと」を生業としていますが、「武力」だけ... -
ドイツ中世の生活
中世ドイツの飲み物にタイムスリップ!アルコールが主役だった時代の暮らし
ヨーロッパの水は日本と違い、硬くて飲みにくいと聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。 水よりも牛乳やワインのほうが安いなんていう噂を聞いたことあるほどです。 流通の発達した現代でもそう言われるくらいなのですから、ましてや中世時代、... -
ドイツ中世の社会制度
伯爵(Graf)称号の変遷:権力者からただの肩書へ
「伯爵」と聞いて、あなたはどんなイメージを思い浮かべますか? 王族や公爵といった上級貴族には及ばないものの、華やかな衣装を身にまとい、大きなお屋敷に住んで、多くの使用人を抱えた貴族様! こうした貴族イメージを抱く人は多いでしょう。 一言で「... -
社会的背景
首都がない!?中世ヨーロッパの巡幸王権(Reisekönigtum)とは
首都を持たない王国 首都がないって、どういうこと? 現代を生きる私たちからは想像しにくいかもしれませんが、中世ヨーロッパの王国には、今日のような「首都」と呼べる恒久的な都市は存在しませんでした。 特に神聖ローマ帝国では、皇帝や国王が定まった... -
社会的背景
フランク王国メロヴィング朝はどんな時代?―中世の始まり
古代から中世への変換点はいつなのか。 ドイツにおける中世の始まりは、375年のフン族の襲来を始まりとする説が一般的です。 フン族の襲来によりゲルマン民族の大移動が発生し、移動してきたゲルマン民族により古代ローマ帝国が滅び、ゲルマン民族のフラン... -
ドイツ中世の社会制度
騎士叙任式(Ritterschlag)とは?中世ヨーロッパで少年が騎士になるまでの道のり
騎士叙任式は、中世ヨーロッパの騎士道文化において、若い戦士が正式な騎士として認められる最も重要な通過儀礼です。この儀式を通して、若者は騎士身分とそれに伴う権利・義務が与えられました。 この儀式で新たに騎士となる者は、騎士としての精神(騎士... -
ドイツ中世の生活
中世の騎士(Ritter)とは一体どんな存在だったのか?
中世ヨーロッパ、または中世ヨーロッパ風世界観の物語には必ずといっていうほど登場する騎士。 みなさんは、騎士に対してどのようなイメージをお持ちでしょうか? よくある騎士のイメージは、悪いドラゴンを倒し、お姫様を救い出すような英雄物語に登場す... -
社会的背景
中世ドイツの農業革命と人口爆発
1000年頃、神聖ローマ帝国とスカンジナビア半島の人口は約400万人であったとされていましたが、14世紀なかばになると1160万人に増えたとされています。 6世紀と14世紀に疫病で人口増加曲線は崩れるとはいえ、13世紀以降になるとそれまでには見られなかった... -
社会的背景
十字軍の遠征とその影響ー騎士道の進化と築城術の発展
キリスト教の騎士たちが聖地エルサレム奪還を目指して遠征した「十字軍」。 聖地を恒久的に支配することは叶わなかったものの、この遠征はヨーロッパ世界に文化・産業・社会・軍事など多方面で大きな変化をもたらしました。 当時、ヨーロッパよりもイスラ... -
ドイツ中世の社会制度
国王選挙と王位継承―血統主義と選挙原理の間で
国王選挙という言葉を聞くと、多くの人が首をかしげるかもしれません。 万世一系の日本の皇室とは異なり、中世ヨーロッパにおいて国王は諸侯による選挙で選ばれます。 王位継承は血統がすべてでは?選挙で選ばれるの? と不思議に思う方が大半でしょう。 ... -
社会的背景
騎士とキリスト教(カトリック)との関係のはじまり
中世ヨーロッパ騎士道とキリスト教との間には、切っても切れないような深い関係があります。 礼拝堂のある城が多く専属の司祭がいることもあった毎朝必ず城の礼拝堂でミサを行う教会から破門されることがなによりも恐ろしいと騎士は思っている そんなイメ... -
ドイツ中世の社会制度
ドイツ中世の封建制度と封建契約
封建制度は、中世に始まりました。 封建制度は、もともとはフランク王国が戦闘力の高い重装騎兵を調達する方法として生み出したものです。 皇帝オットー二世は981年に約2千の重装騎兵、約4千の盾持ちから成る軍を擁していたことが明らかになっています。 ...
