パッペンハイム城(Burg Pappenheim)

パッペンハイム城は、フランケン中部地方のパッペンハイム市にある城で、アルトミュール川が大きく蛇行している場所の尾根にある城廃墟です。

元は帝国ミニステリアーレでしたが、後にパッペンハイム伯爵に昇格したパッペンハイム家の居城で、現在もパッペンハイム伯爵家の所有となっています。

フランケン地方では最大級の貴族の城になります。

目次

パッペンハイム城の見どころ

城の建物

フォアブルク

尾根側に広大なフォアブルクがあり、フォアブルクと主城の間には岩盤を破壊して造られた深さ15mの深い堀切があり、石橋が掛けられています。かつては小さな橋と跳ね橋が掛けられていました。

主城

主城の3面は急勾配となっており、天然の守りとなっています。

ベルクフリート

巨大なベルクフリートが主城への入り口を守っており、度重なる戦禍から比較的無傷で乗り越えた唯一の建物です。

現在は高さ25mとなっていますが、かつては30m以上はあったとされています。

コブ付きの切石が、このベルクフリートがシュタウフェン朝時代に建てられたということを示しており、シュタウフェン朝の国王とその支持者たちの権力の象徴ではないかと考えられています。

展望台として使用されており、ここから全方位の眺望を楽しめます

博物館

自然および狩猟博物館があります。

この城の歴史とパッペンハイム家についてを紹介する展示も、もちろんあります。

中世祭り

毎年夏には、騎士トーナメントと、中世マーケットが開催されます。

騎士のヘルメットが本格的ですね。

ここの中世祭りは、ひじょうに高く評価されています。

パッペンハイム城への行き方

アウトバーン9号線(A9)をアルトミュールタール(Altmühltal)で降ります。

パッペンハイム城の歴史年表

フォアブルクの敷地内、中世初期にはすでに小さなブルクがあった可能性があります。

1030年頃

以前にあった城が破壊され、修復されたと考えられていますが、存在を疑う研究者もいます。

1140年頃

現在残っている城の建物の最古の部分はこの頃のもので、パッペンハイムの帝国ミニステリアーレたちによって建てられたとされています。ザリエル家に使用人として仕えていました。

13世紀初頭

大規模な拡張工事が行われました。環状城壁、居住用の建物、ベルクフリートにあるコブ付き切石がこの時代のものです。

1220年頃

バイエルン公オットー栄光公(Bayernherzog Otto der Erlauchte)がこの要塞を包囲し、損害を与えました。公爵は対立国王ハインリッヒ・ラスペを支持しており、対立に巻き込まれました。

1264年

戦禍により、再び修復が必要になりました。

13世紀末

分割相続されます。ハインリッヒ・フォン・パッペンハイム(Heinrich von Pappenheim)が城の拡張工事を始めます。特に西側のフォアブルクを重点的に拡張しました。

1593年

一族は山のブルクを離れ、谷間の新しいシュロスに移り住みます。しかし城には人が住み続け、三十年戦争の際には攻撃に耐えられるように要塞化されました。

三十年戦争

なんども所有者が変わります。近代的な稜堡式の要塞に建て替えられる計画もありましたが、実行されませんでした。プロテスタント軍の砲撃を受け、大きな損害を受けます。

1703/04年

スペイン継承戦争で再びフランス軍に破壊され、占領されました。以後,城は放棄され、崩壊していきます。

1960年

パッペンハイム城友の会(Gesellschaft der Freunde der Burg Pappenheim)が保存するための行動を開始します。

1990年以降

保存対策を強化し、敷地内に小さな博物館を複数設立しました。

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