中世ヨーロッパ、または中世ヨーロッパ風世界観の物語には必ずといっていうほど登場する騎士。
みなさんは、騎士に対してどのようなイメージをお持ちでしょうか?
よくある騎士のイメージは、悪いドラゴンを倒し、お姫様を救い出すような英雄物語に登場する騎士よね。城に仕える騎士だったり、旅する騎士だったり。
ゲームや物語に登場する騎士を思い浮かべる人も、きっと多いのではないでしょうか。
一口に騎士と言っても
- 上は皇帝から下はミニステリアーレまで
- 宮廷に仕える者もいれば、田舎で農耕牧畜を行う者もいる
- 富者もおれば貧者もおり、貧者のほうが圧倒的に多い
- 君主のいる士官騎士
- 君主のいない旅する騎士(遍歴騎士(Fahrender Rittter)―豊かな生活を夢見て旅する若き騎士たち)
とひじょうに幅広い層が含まれています。
唯一、共通することは、
武器を手に取り、戦争に出ること
これこそが騎士の本質。
上は将軍から下は地侍までいた武士ともよく似ているよね。武士もいざというときは武器を取って戦に参戦していたし。
騎士階級の人々
中世の軍事階級を形成していたのが騎士。
「騎士道的」という言葉を、現在でも気高さ、勇敢さ、忠誠心を表す言葉として使っている時あるね
騎士って、本当にそういう人たちだったのかしら?
騎士は領土と領民を守り、行政、司法をはじめ社会的な任務を遂行する義務のある人でした。しかしその実態は?
騎士になるために
王侯貴族の男子も「騎士」であり、王侯貴族は王冠を戴くまで「騎士」に叙任されている必要がありました。
幼い頃から師匠となる騎士の下で、決められた規則に従って教育され、規則に従って生活し、騎士としての知識や武術。心構えなどを叩き込まれました。
ミニステリアーレ
騎士と呼ばれるものの約3/4は不自由な「ミニステリアーレ」と呼ばれる人たちでした。
ミニステリアーレたちは、平時は主君の城の管理や領土の管理を行い、有事の際は武装して軍務に服する男子のこと。
ミニステリアーレたちは主君から養われる存在でしたが、やがて彼らも自由民と同じように封土を与えられるようになりました。
旗本がミニステリアーレに近い存在かしら?
騎士たちの日常生活
騎士は、必ずしも城持ちとは限りません。
城持ち騎士でも、貧しいものが大多数でした。
平時にはもっぱら農耕牧畜を行い、その辺の農民と何ら変わらない生活をしていました。
田舎の騎士は、日本の地侍や土豪と何ら変わらない生活をしていたと考えると、理解しやすいかも。
騎士の財政基盤は基本的に農民からの税金のみ。否が応でも倹約が求められました。
「農民」は裕福でも決して「騎士」にはなれなかったので、貧乏でも「騎士」は「騎士」でした。とはいえ、後の時代には金の力で買えるようになってしまいましたが……。
「武士は食わねど高楊枝」とはならずに、生きていくためにはなりふり構わずっていう感じね。
騎士たちの衣食住
騎士は基本的に城に住んでいます。
初期の頃の多くの城はモット・アンド・ベイリーと呼ばれる堀と木柵の簡素な城で、後に石造りの城へと変わりました。
城持ちでない騎士は、城持ちの騎士に仕えるか、遍歴騎士となって旅をしていました。
モット・アンド・ベイリーについて詳しく知りたい方はこちらを読んでね
衣
男女に差のない服装
13世紀の終わり頃、男女の衣装は非常に似通ったものになっていました。男性の服装が女性に近づきました。
色には意味があり、
- 白:願いが聞き届けられる希望、純潔
- 緑:愛の芽生え
- 赤:激しく燃える愛、名声・闘争欲
- 青:誠実
- 黃:幸福をもたらす愛のしるし
- 黒:死
というもので、衣装は非常にカラフルでした。
騎士道が廃れると、長かった男性の上着の丈が次第に短くなっていくよ
食
食事は、戦う必要のある男性が優先されていました。
肉は大広間で食事をする男性のテーブルに並びましたが、ケメナーテで食事をする奥方たちにはベジタリアンな食事が配膳されます。
食事が終わるとテーブルの板が残飯ごと運び出され、召使いや下女たちはその残り物を食べていました。
男性たちの残り物とは言え、下女たちのほうが肉にありつけていました。
冬場、貴重なビタミン源となるリンゴなども男性が優先され、女性は週に1回だったり、虫食いのものが配られました。
こんな貧弱な栄養状態で出産育児をしろと!ひどくない!
住
防衛拠点である城での生活は、決して快適なものではなく、冬はジメジメしていて寒く、快適なのは夏の短い間だけ。
窓は閉め切り、暖房設備に乏しい城での生活。暗くて寒い冬は特に堪えるものでした。
王侯貴族は城から城へと移動する生活をしていたから、家具の数は少なく、畳んで持ち運びしやすいものが多かったよ。
帝国城砦(Reichsburg)や王城(Könichspfalz)といわれる城はどんな城?
騎士の心構え
騎士になると、騎士としての義務を果たさなければなりません。
- 勇敢さ
- 忠誠
- 自制心
- 節度を失わないこと
- 精神の高貴さ
- 隣人愛
騎士は、世俗と同様に神に対しても目を向けなければならず、神にささげる純粋な敬愛なくして騎士の名声はあり得ません。
- 困窮した未亡人、孤児の保護
- 困っている人々にたいする哀れみ
- 悲しみに対する戦い
騎士の心構えを見ると、まるで聖人君子のようですが……。
騎士の職業的特性や階級特性を考慮すれば、本来ならば闘争本能むき出しの粗暴な性格を帯びたものになりがち。家族間でさえ血なまぐさい抗争をすることもあります。
そのため、教会は騎士の心構えや美徳を何度も唱え、それらの荒々しさを抑え込もうと努力しました。
現実は騎士の美徳の正反対だったのね。
4つの奉仕
- 神
- 主君
- 宮廷
- 婦人
4の婦人に対する奉仕は「ミンネディーンスト(Minnediens)」といわれる独特の騎士文化だよ。
ミンネディーンストはいわゆる貴婦人崇拝で、選んだ貴婦人(多くは主君の奥方)に対して敬愛を捧げるものです。今日の恋愛とは異なり、厳格なルールのもとに行われた一種のゲームのようなものです。
ミンネディーンストの中から、ミンネザングが誕生しています。
騎士たちの娯楽
夏の間は狩猟にでかけますが、寒い冬は城の暖かい部屋にみんなで集まって、室内ゲームで退屈しのぎをしていました。
賽やチェスなどが行われましたが、金を賭けることが一般的。
賭けは帝国議会で中止がくだされてもお構いなしに、好んで行われました。
狩猟
夏は、薄暗くて不快な城の中ではなく、野外で過ごすことを楽しみました。
よく訓練された鷹を用いて、狩猟を楽しみました。
狩猟は武術の訓練になるだけでなく、食卓を豊かにしてくれました。
馬上槍試合
いわゆるトーナメントは、騎士の華です。自分の勇気と強さを証明する華やかな祭りでした。
戦争に近似の、一種の演習の場でもありました。
トーナメントが行われる時は、商人たちも大勢集まってきたので、騎士たちにとって買い物のチャンスでもあったんだよ
騎士の歴史
ドイツ語の騎士(Ritter)を見て分かる通り、その由来は馬に乗る人(Reiter)に似ていることから、騎士は騎馬兵を起源としていることが見て取れます。
言葉からわかるように「騎兵」を起源とし、中世の封建制度の中で主君から封土を与えられた家臣たちが騎士階級を形成していきました。
騎士の起源はフランク王国時代ですが、騎士が繁栄したのはザリエル朝時代、そして騎士文化の最盛期はシュタウフェン朝(1138-1254年)です。
封建制度と結びついて騎士階級が誕生しました。
大空位時代後
帝国の衰退は、騎士道の衰退を招き、封建制度はその重要性を失いました。
騎士の風習や戦法は生き続けましたが、騎士そのものはシュタウフェン朝の滅亡とともに没落していきましたが、さまざまな変化がありました。
- 騎士の意味が変わり、「騎士」であることが「貴族」であることを意味するようになった
- 宗教的騎士団「羊毛皮騎士団」のような上品な世俗騎士団の登場
- 騎士階級を金で買えるようになり、裕福な市民が騎士となった
- 高い名声を獲得して「帝国騎士」となり、王にのみ服従する者が現れた
これらの変化は良い変化と言えるかもしれませんが、変化は必ずしも良いものばかりではありません。
騎士の多くは悪い方向への変化しました。
- 騎士と呼ばれる連中は、略奪物の衣類にありつき、略奪物で財や封土を手にいれる
- 暴力の鎮圧を任務とするはずなのに、守るべき人々を虐げる存在になる
- 商人たちを襲って財を奪い、身柄を拘束し、多額の身代金を請求する
いわゆる「盗賊騎士」と呼ばれる存在に成り果てました。
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