ブランデンブルク城廃墟(Burgruine Brandenburg)

ブランデンブルク城廃墟は、チューリンゲンヴァルト(Türingerwald)にある城で名前はブランデンブルクでも、所在地はチューリンゲン州です。

この城はアウトバーンの4号線からその姿を見ることが出来ます。

大きく蛇行するヴェラ川(Werra)が流れる山地に立つ山城です。

バート・ヘルスフェルト(Bad Hersfeld)からアイゼナッハ(Eisenach)に向かう中世の重要な街道のそばに立ち、街道を守る役目を担っていました。

目次

ブランデンブルク城の見どころ

ロマネスク様式の双子の山城で、東城(Osterburg)と西城(Westerburg)から成り、堀と岩によって隔てられています。

西城と東城はそれぞれ独立した城であり、常に所有者も違っていました。

西城はベルクフリートと崩れた環状城壁と城門が残っており、東城にはそこそこの環状壁と六角柱のベルクフリートと古い建物が残っています。

人が住まなくなって以降は、他の城などを建設するための採石場として使われたため、多くを失ってしまっています。

中世イベント

廃墟ですが、実際にテントを張って武器を持って城を攻めています。

実際に破壊槌でドアをぶち破ったり、石礫(おそらくクッション)を投げたり、なかなか本格的で、けが人が出ないのかと心配してしまうほどです。

でも、楽しそうです。

博物館

東城には博物館があり、かつての居住者たちの生活を説明する展示がなされています。

ただし、開館は夏のみです。

展望台

展望台は、城ではなく向かいの山にあります。

展望台から、ブランデンブルク城廃墟と周囲の美しい景色を眺めることができます。

ブランデンブルク城への行き方

駐車場とハイキングコースが整備されています。

ブランデンブルク城の歴史年表

先史時代

城のある山の背には、鉄器時代にはすでに人が住んでいたことが、出土品から分かっています。

1138年

チューリンゲン方伯のためにヴァルトブルク城を管理していたヴィガー・フォン・ヴァルトブルク(子孫はヴァルトブルク城伯)が所有していたことが、分かる範囲で最も古い記録です。

1227年

ヴァルトブルク伯爵家は、ブランデンブルク伯爵も名乗るようになります。この時代には、すでにブランデンブルクが存在していたと考えられています。

1280年

アルベルト2世・フォン・ブランデンブルク(Albert II. von Brandenburg)東城をアルプレヒト二世方伯に売却します。アルベルト2世は伯爵号を持つ最後の伯爵になります。

1290年

アルプレヒト方伯は、息子のアピッツ(Apitz)に譲渡します。

1306々~1436年

西城はエアフルト市(Erfurt)の抵当に入ります。

1322年

ハインリッヒ・フォン・ヘリンゲン(Heinrich von Heringen)が方伯の封土として東城を受け取りました。

1349年以降

東城は何度も所有者が変わります。ヴィッツレーベン(Witzleben)、ヴェバーシュタット(Weberstadt)、コルマチ(Kolmatsch)など。

1415年~1892年

ヘルダ・ツー・ブランデンブルク(Herda zu Brandenburg)が東城を所有していましたが、断絶後は封建君主者のものとなりました。

16世紀半ば

軍事的に重要でなく成り、西城が放棄されました。

三十年戦争

東城はかんたんに崩壊し、人が住めなくなりました。

1841年

ザクセン・ヴァイマール・アイゼナッハ大公カール・フリードリヒ(Großherzog Carl Friedrich von Sachsen-Weimar-Eisenach)が崩壊を止めようとし、観光開発と結びついていきました。

東西ドイツ分裂時代

東西ドイツの国境近くにあったため、フェンスで囲まれ、ラフッフレーデン(Lauchröden)の村民でさえ、近づくことができなくなりました。

東西ドイツ統一後

ラウッフレーデン村民たちがすぐに保全工事をはじめました。チューリンゲン州と協力し、西城のベルクフリートと東城の居間(Kemenate)の保全に着手します。

1994年11月7日

チューリンゲン城館庭園財団(Stiftung Thüringer Schlösser und Gärten)に移管され、以後、この財団が城の保全と管理を引き継いでいます。

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