コブレンツ(Kobrenz)の中心街から南に数キロ,ライン川左岸にあるお城です。
航行距離の短いパックツアーではコースに入っていない可能性が高いですが,ライン川下りで船から見ることのできる城です。
城の立地から分かる通り,ライン川を航行する船からトリアー選定司教が通行関税を徴収するために建てた城です。
また,対岸にはマインツ司教のラーンエック城(Burg Lahneck)があり,領土争いの前哨基地の役割も持っていました。

シュトルツェンフェルス城
シュトルツェンフェルス城の見どころ
城から眺める美しいライン側の景色は一見の価値があります。
廃墟の上に建てられたロマン主義の城ということもあり,廃墟からは中世の時代に思いを馳せ,またロマン主義の城からは華やかなりしプロイセンの時代を偲ぶことができます。
博物館として整備されており,ツアーに参加することによって内部の素敵なインテリアたちを見ることができます。
シュトルツェンフェルス城への行き方
車で行く場合
ライン川沿いを走るB9を利用します。
城の近くに駐車場があり,駐車場から歩いて城まで行きます。
駐車場から城まで徒歩約20分です。
公共交通機関を利用していく場合
コブレンツ駅からタクシーを利用していく方法もありますが,650番のBoppard行きのバスを利用すれば安くいけます。
シュトルツェンフェルス城の歴史年表
- 1242年から1259年
- トリアー選定司教アルノルド二世・フォン・イーゼンブルク(Trierer Erzbischof Arnold II. von Isenburg)がシュトルツェンフェルス城(Burg Stolzenfels)を建てます。マインツ司教のラーンエック城とライン川を挟む領土争いの前哨基地となります。この時代に建てられた5つのベルクフリートは現在まで保存されています。
- 1300年頃
- バルディウム・フォン・ルクセンブルク(Balduin von Luxemburg)のもと,さらに増築され,川岸まで城壁が建設されました。
- 1388年から1418年
- 住居塔とパラスがライン川サイドに建設されました。1412年に税関城としての役割を下流のクノシュタイン城(Burg Kunostein)に移しています。
- 三十年戦争
- 1632年にスウェーデン軍に占拠され,続いてフランス軍に占拠されました。
- プファルツ継承戦争
- フランス軍に破壊され,以後,150年間は廃墟となります。フランスの統治となります。
- 1802年
- フランス統治の時代でしたが,フランスは廃墟の所有を都市コブレンツに移管します。
- 1823年
- 都市コブレンツはプロイセン皇太子フリードリッヒ・ヴィルヘルム(Friedlich Willhelm),後の国王フリードリッヒ・ヴィルヘルム四世に城を贈与しました。
- 1826年から1833年
- ブルク廃墟はライン川の辺りのプロイセンの夏の宮殿として改築されます。ロマン主義の城となります。フリードリッヒ・ヴィルヘルム四世の意向によって,廃墟部分がそのまま残されます。
- 1918年
- 第一次世界大戦の終了とともにプロイセン王国も終焉します。以後,城はstaatlichen Schlösserverwaltungの管理となります。
- 2002年
- ユネスコ世界文化遺産,ライン渓谷中流上部(Oberes Mittelrheintal)の一部となります
シュトルツェンフェルス城の営業案内
- 会館案内
- 2月1日~3月14日:土,日曜日,祝日 10:00~17:00
3月15日~10月31日:火曜日から土曜日,祝日 10:00~18:00
11月1日~30日:土,日曜日,祝日 10:00~17:0012月1日~1月31日:休館
ガイドツアーはドイツ語のみ
- 公式サイト
- http://www.schloss-stolzenfels.de/