シュトルツェンフェルス城(Schloss Stolzenfels)―プロイセン国王のロマン主義の城

シュトルツェンフェルス城(Schloss Stolaengels)

シュトルツェンフェルス城は、ライン川中流にあるコブレンツ(Kobrenz)の中心街から南に数キロ、ライン川左岸、ラーン川(Lahn)とライン川の合流地点の反対岸にある城です。

航行距離の短いパックツアーではコースに入っていない可能性が高いですが、ライン川下りで船から見ることのできるライン川の城で、三方が急斜面になっている尾根に建っていることを確認できます。

城の立地から分かると思いますが、ライン川を航行する船からトリアー司教が通行関税を徴収するために建てた税関城です。また、対岸にはマインツ司教のラーンエック城(Burg Lahneck)があり、領土争いの前哨基地の役割も持っていました。

19世紀初頭にプロイセン皇太子によってネオゴシック様式に改築されたこの城は、ライン・ロマン主義の代表的な優れた作品ともなっています。

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シュトルツェンフェルス城の見どころ

城から眺める美しいライン川の景色は一見の価値があります。

廃墟の上に建てられたロマン主義の城ということもあり、廃墟からは中世の時代に思いを馳せ、またロマン主義の城からは華やかなりしプロイセンの時代を偲ぶことができます。

博物館として整備されており、ツアーに参加することによって内部の素敵なインテリアたちを見ることができます。

ベルクフリート

ベルクフリートは1244年に建てられ、その後2回改築されており、現在のベルクフリートはプロイセン時代に改築されたものです。

ベルクフリートを上から見ると、将棋の駒のような五角形の形をしているのが分かります。

攻撃を受ける山側に尖った方を向け、敵の砲弾を斜めに受けてかわすようになっています。

保存状態が良いものと鳴っております。

礼拝堂

シュトルツェンフェルス城の礼拝堂

プロテスタントの礼拝堂は、シュトゥラー(Stüler)とシュニッツラー(Schnitzler)が設計し、ネオゴシック様式で1843年から1847年にかけて建設されました。

内部は初期ゴシック様式で建設されており、カラフルなリブヴォールトが特徴できで、目を引きます。

なお、シュトゥラーはホーエンツォレルン城の再建も手掛けています。

蔓棚庭園(Pergoragarten)

シュトルツェンフェルス城のペルゴラ庭園

環状城壁で囲まれた蔓棚庭園は、ゴシック様式のバラ窓を模した花壇とがあり、木製の蔓棚で囲まれています。

シュトルツェンフェルス城への行き方

車で行く場合

ライン川沿いを走るB9を利用します。城の近くに駐車場があり、駐車場から歩いて城まで行きます。

駐車場から城まで徒歩約20分です。

公共交通機関を利用していく場合

コブレンツ駅からタクシーを利用していく方法もありますが、650番のボッパルト(Boppard)行きのバスを利用すれば安くいけます。

シュトルツェンフェルス城の歴史年表

多くの城にも言えることかもしれませんが、シュトルツェンフェルス城は大きく分けて、ブルクシュトルツェンフェルス時代とシュロスシュトルツェンフェルス時代に分けることができます。

ブルク シュトルツェンフェルス(Burg Stolzenfels)

1242年から1259年

トリアー大司教アルノルド二世・フォン・イーゼンブルク(Trierer Erzbischof Arnold II. von Isenburg)がシュトルツェンフェルス城(Burg Stolzenfels)を建てます。マインツ司教のラーンエック城とライン川を挟む領土争いの前哨基地となります。

1248年

騎士ヴァルター・フォン・シュトルツェンフェルス(Walter Burggraf von Stulzenvels)の名前が文献に記載されています。

1300年頃

大司教バルディイン・フォン・ルクセンブルク(Balduin von Luxemburg)のもと、さらに増築され、川岸まで城壁が建設されました。

1388年から1418年

大司教クノ(Kuno)およびヴェルナー・フォン・ファルケンシュタイン(Werner von Falkenstein)が増築し、居住等とパラスが建てられました。税関城としての役割はクノシュタイン城(Burg Kunostein)に移しました。

三十年戦争

1632年にスウェーデン軍に選挙され、その後3年間フランス軍に占領されました。

プファルツ継承戦争

フランス軍に破壊され、以後、150年にわたって廃墟となり、フランスの統治となります。

1802年

コブレンツ市に資産として譲渡されました。

1815年

コブレンツ市は、プロイセン皇太子フリードリッヒ・ヴィルヘルム(後のフリードリッヒ・ヴィルヘルム四世)にこの建物を贈りました。

シュロス シュトルツェンフェルス(Schloss Stolzenfels)

1826年から1833年

プロイセンの夏の離宮として改築されます。建築家ヨハン・クラウディウス・フォン・ラッサウルクス(Johann Claudius von Lassaulx)の手により、廃墟は、古典主義・ネオロマネスク様式のシュロスへと変貌します。

フリードリッヒ・ヴィルヘルム四世の意向により、廃墟の古い建築物が統合されました。

部屋には中世や中世を彷彿とさせる美術品や絵画などが飾られました。

1842年9月14日

フリードリッヒ・ヴィルヘルム4世が入居します。

1918年

第一次世界大戦の終了とともにプロイセン王国も終演となり、シュトルツェンフェルス城は州の宮殿管理局が所有し、管理することになります。

2002年

ユネスコ世界文化遺産「ライン渓谷中流上部(Oberes Mittelrheintal)の一部となります。

2011年

大規模な修繕作業が行われます。門やベルクフリート、パラスなどが復元されていきます。同時に発掘調査も行われました。

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