ドイツの城を調べていると、「帝国城塞(ライヒスブルク:Reichsburg)」や「王城(ケーニヒスプファルツ:Könichspfalz)」、「皇城(カイザープファルツ・Kaiserpfalz)やカイザーブルク(Kaiserburg)」という言葉をよく見かけませんか?
名前からすると、かつて国王や皇帝が住んでいたり、または政治を行っていたりする場所であることは想像できますが、実際の意味は少し複雑です。

えっ?帝国城塞ってコッヘム城のことじゃないの?ニュルンベルクのカイザーブルクも有名だけど、それだけじゃないの?



いやいや、それだけじゃないよ。帝国城塞やカイザープファルツは神聖ローマ帝国に100近くもあったんだ。定義を知れば、その理由がわかるよ。
本記事では、帝国城塞の定義や歴史的背景、代表的な帝国城塞たちを紹介します。
用語の整理
帝国城砦、王城、カイザープファルツやカイザーブルクに明確な違いがあるかといえばかなり曖昧で、明確に区別できるものではありません。
言葉の定義は歴史とともに変わりますし、中間的な存在の城も多く存在するからです。
だからといって、全く違いが無いというわけではなく、用語についてまとめると以下のようになります。
用語 | ドイツ語 | 意味・特徴 |
---|---|---|
帝国城塞 | Reichsburg | 神聖ローマ帝国の直轄財産としての城。国王や皇帝が巡幸の際に滞在。 個人資産ではない。 |
王城 | Königspfalz | 国王の居館。政治や裁判、儀式が行われる場。 |
皇城 | Kaiserpfalz | 皇帝の居館。Königspfalz とほぼ同義。19世紀に定着した用語。 |
カイザーブルク | Kaiserburg | 「皇帝の城」。特にニュルンベルク城でよく使われる呼び名。 |
カイザープファルツという名称は19世紀になってから使用されるようになった用語で、ドイツ国王がローマ皇帝の称号を得るのは、ローマ教皇の戴冠式後になります。国王の座という意味でケーニヒスプファルツ(Könichspfalz)のほうが適切かもしれません。



似たような言葉ばかりで混乱しそう。



大きな違いは、個人の城か、帝国の直轄財産かという点だよ。



日本に例えるなら、皇城は「皇居」、帝国城塞は「御用邸」みたいな感じかしら?
帝国城塞とは?カイザープファルツとの違い


帝国城塞は、国王選挙で選ばれた神聖ローマ帝国やドイツ国の帝国・王室財産であり、国王や皇帝の私有財産ではありません。巡幸王権の一時的な居城が帝国城塞です。



ドイツ国王は選挙で選ばれるから、必ずしも世襲じゃないんだ。だから城も“帝国全体のもの”とされたんだよ。
王権が他家に移ると、帝国城塞については王権とともに次の国王に引き継がれました。



つまり帝国全体の城なんだね
中世の王侯は一箇所に定住せず、領国内を巡り歩く「巡幸王権(Reisekönigtum)」を行っていました。帝国城塞はその滞在先として重要で、
- 議会の開催
- 裁判や外交交渉
- 宗教儀式
- 狩猟や饗宴
の場として使用されていました。



宿泊施設以上に、帝国の政治の“舞台”だったんだね!


帝国城塞の立地と構成
帝国城塞が帝国城塞として機能するためには、以下の要素を備えていました。
- 王や皇帝のための居館(パラス・大広間・礼拝堂)
- 大規模荘園と農地
- 狩猟可能な直轄の森
- 側近や騎士団を収容できる建物
数百人の随行者や客人を収容する必要があったため、肥沃で交通の便が良い場所に築かれることが多く、帝国自由都市の近隣に設けられる例もありました。
帝国自由都市ローテンブルクには、かつて帝国城塞ローテンブルクがありました





こうした条件を満たす帝国城塞は、全部で90〜100か所ほどあったんだよ。
歴史的背景
- カロリング朝(8~9世紀)
-
王権は修道院に依存していました。
- 10~11世紀
-
「王位継承問題」以降、教会資産に頼れなくなったため、王室直轄の帝国城塞が増加。
- シュタウフェン朝(12世紀)
-
皇帝権力を強化するため、帝国城塞が多く建設されました。
- 大空位時代
-
皇帝権力が衰退し、多くの城が諸侯や都市に譲渡されました。帝国権の衰退を象徴しています。



へえ、城の数は帝国の勢いそのものを映してるんだね。



そう。だから帝国城塞の盛衰を見ると、帝国の歴史そのものが浮かび上がってくるんだよ。
代表的な帝国城塞・カイザープファルツ
- アーヘン(Kaiserpfalz Aachen)
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カール大帝の宮廷。皇帝戴冠式の地として重要。
- ニュルンベルク城(Kaiserburg Nürnberg)
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帝国議会が開かれ、財宝庫も置かれた重要なプファルツ。
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当サイトで紹介している帝国城塞たち
帝国城塞は上記に紹介した以外にも、まだまだたくさんあります。



そんなに!有名な城だけじゃなく、もっと小さな城も含まれるんだね。
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まとめ
帝国城塞は、かつて神聖ローマ帝国の巡幸
王権を支えた直轄の拠点でした。
単なる「宿泊先」ではなく、帝国の政治・宗教・外交の中心地として機能し、中世の皇帝権力を象徴する存在でした。



ただの古城じゃなくて、帝国そのものを支えた場所だったんだね。



そうそう。ドイツ各地に残る帝国城塞を訪ねれば、中世の皇帝たちの姿が浮かんでくるよ。