エーレンブルクという名の城は複数あるので,城名の後ろに場所名をつけてエーレンブルク城(ブローデンバッハ)となります。
モーゼル川支流のエールバッハ谷(Ehrbachtal)に突き出た岩山(標高230m)の上に立つ城廃墟です。廃墟ですが,古城ホテルとして運営されています。
この城が廃墟になった理由は言わずもがな,プファルツ継承戦争の時にフランス軍によって爆破されたからです。
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この城に限らず,この辺一帯の城はことごとくフランス軍に爆破されています。
目次
エーレンブルク城の見どころ
中世イベントが多く開催されています。訪れようと思ったら,イベントカレンダーをチェックし,イベントに合わせて訪問してみるのが良いと思います。
中世風の音楽や食事,アーチェリー体験などができます。
ホテルやレストランで中世の騎士気分を味わえるのはもちろんのこと,3月から10月までは中庭に騎士テントを張って宿泊できるサービスもあります。
エーレンブルク城へのアクセス
駐車場は城の正面と麓?の2箇所にあります。
下に停めた場合は歩くことになります。美しい景観を眺めながら山道を登り,どのような地形に城が建っているのか,理解が深まります。
エーレンブルク城の歴史年表
中世初期には,トリアー教会所有の避難および防御施設として存在していたと考えられています。この城で現存する最古の部分は,オーバーブルクの正方形をした住居塔(Whonturm)です。
- 12世紀前半
- シュタウフェン朝の小さなブルクとして建設が始まりました。
- 1161年
- „Castrum Eremberch“として皇帝フリードリッヒ一世(赤髭王)の調書に名前がはじめて登場します。コンラート・フォン・ホーエンシュタウフェン(Konrad von Hohenstaufen)の退位に伴うトリアー司教区と都市の管理に関するものです。
- 1189年
- ケルンおよびトリアー教会並びにプファルツ帝国伯爵に仕えるエーレンベルク(Ehrenberg)の領主がブルクを建設しました。この城は共同相続ブルク(Ganerbenburg)として多くの分家に共同所有されることになります。
- 1331年
- ヴァルデック(Waldeck),シェーネック(Schöneck),エルツ(Eltz)の帝国ミニステリアーレと同盟を結び,トリアー選帝侯ヴァルディウム・フォン・ルクセンブルク(Baldium von Luxemburg)と領地争いをし,敗北しました。
- 1397年
- 最後のエーレンベルクの領主はフェーデによりコブレンツの城と都市を破壊しましたが,コブレンツ市民の反撃により城は包囲されました。この戦争では,当時まだ珍しかった大砲が使用されています。エーレンベルク家が絶えて以降,この城に城主が居住するということはなくなりました。
- 1668年
- フェーデ以後,城の所有権はエルツやシェーネックをはじめ,様々な領主のもとを移り変わりましたが,クロト(Clodt)男爵に封土として与えられました。
- 1688年
- プファルツ継承戦争によりフランス軍に占拠され,翌年1689年に城は爆破されました。ただし,礼拝堂だけは爆破を免れています。
- 19世紀以降
- 城の所有は再び様々な家系を渡り歩きました。現在もこの城は個人所有の城となっています。個人資産および非営利団体によって城は再建,維持されています。
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エーレンブルク城の営業案内
春分~諸聖人の日
月曜日~土曜日 10:00~18:00
日曜日および祝日 11:00~18:00
レストランおよびホテルは年中無休