中世の時代から現代に続く名門貴族家系ホーエンローエ(Hohenlohe)家発祥の城。
ヴュルツブルク(Würzburg)の南、ローテンブルク(Rothenburg ob der Tauber)の西北西に位置し、ドイツロマンティック街道の見どころの一つです。
城の立地 | 水城 |
城の分類 | バロックシュロス |
城主の階級 | ホーエンローエ侯爵 |
最初の城の設立年代 | 1156年以前 |
元はタウバー川(Tauber)の支流フォアバッハ(Vorbach)の水城(Wasserburg)でしたが、現在は改築されてバロックシュロスになっています。
ホーエンローエ家は、英国の故エリザベス女王二世陛下の夫君である故フィリップ殿下の姉君の嫁ぎ先であり、英国王室とは親戚関係にあります。
ヴァイカースハイム城はホーエンローエ家所有の城の中では小さな部類ですが、規模はそこそこ大きいです。
本記事では、ホーエンローエ家発祥の城ヴァイカースハイム城の見どころと歴史を紹介します。
ヴァイカースハイム城の見どころ
城壁に囲まれた城下町の佇まいも趣があり、城塞都市とシュロスの両方を一度に楽しめる場所です。城塞都市も城もコンパクトに纏まっていますので、短時間で散策できます。
ヴァイカースハイム城の城下町
城下町を軽く散策しながら城を目指します。都市城壁の外側には水路があり、もともとは水堀で防御を高めていたことがわかります。
マルクト広場と教会
マルクト広場に建つ教会。屋根に苔が生えて緑色をしているところに味を感じました。
マルクト広場のすぐ近くに、城の入口があります。
ヴァイカースハイム城のガイドツアー
ガイドツアーは時間が決まっており、その時間になるまで庭園を少し散策。
庭園と城の間に掘
この堀に水はないけど、形からして元水堀であることが分かります。
ヴァイカースハイム城の庭園
曇っていたので分かりづらいかもしれませんが、手入れの行き届いた美しい庭園です。
ガイドツアーの時間になりました。それでは城をご案内いたします。
まずはツアーの際の注意事項の説明を受けます。見学の際は、注意事項をしっかり守ってくださいね。
平階段を上っていった3階からツアー開始。ここの平階段は広くて角度が緩やかで上りやすいです。
ベビーカーを押した子ども連れの方がおり、紳士2人がベビーカーを持ち上げて登ってきました。そのぐらい傾斜が緩くて広い登りやすい階段です。
ベビーカーに優しいドイツ人
最初に案内されたのは、18世紀初頭にアパート形式(同じような部屋が並んでいて、廊下がある)に改築されたランゲンブルク館(Langenburger Bau)。
部屋の一つ一つは調和が取れていますが、全体としてみるとテーマはバラバラです。ある部屋はオリエンタル風、ある部屋は真っ赤、またある部屋は…といった感じです。
そこでの説明は、
この男性はどこの何某の誰某で…、どこの誰某と結婚し……
お決まりの家系の説明です。
アパートを出て反対側の建物へ入ると、こちらは古い時代の廊下のない造りになっています。
Gleichenzimmer(同じ部屋?上手く訳せません)の天井はすばらしいです。17世紀末頃に作られたもので,モチーフはローマの兵士。レリーフのようですが,レリーフというには飛び出しすぎています。この部屋には他にトイレ(Kloset)が隠し部屋のようになっていました。
隠し部屋の中のトイレ(Kloset)
クローゼットの中にトイレ!
ちょっと衝撃
兵士の間(Treppenraum)には陶器製の暖炉があります。ここでは、
女の子は昔、14歳で大人になりました。
という説明がありました。日本もかつてはそうでした。
この部屋から見える部屋は現在でも使われていて、音楽の練習に使われているとのこと。たしかにこの日も、音楽が聞こえてきていました。
騎士の間(Rittersaal)
騎士の間(Rittersaal)は見ごたえがありました。壁の動物が飛び出してくるような見せ方というか、実際に首から上の部分は立体で表現されていました。
騎士の間のクマ
よりリアルに見えるように、壁に穴が空いています。
Tilman2007, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
ヨーロッパに生息していない動物を作成するの難しかったらしく、かなりの部分が創作されています。天井の絵を見ると、動物の絵がところどころなんだかおかしい。
それはそれで味がある
天井からぶら下がっている大きなシャンデリアは、200kg以上あるとのこと。この部屋の暖炉の細工はなかなか興味深いものでした。暖炉は三層構造になっているそうです。
これで内部の見学は終わり。螺旋階段は左螺旋で平階段同様に緩くて広くなっていました。
ヴァイカースハイム城の公式サイト
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ヴァイカースハイム城の歴史
ヴァイカースハイム城が文献に初めて登場するのは1156年のこと。ヴィガルテスハイム城(Wasserburg Wighartesheim)の領主として述べられます。
ヴァイカースハイム城がいつ築城されたのか、わかっていません。
中世時代の遺構はベルクフリート、タウバー側北側の塔に隣接する翼と中庭の地下にあるのみ。
ホーエンローエ家は分家の新設と統合、分割相続や所有権の交代が繰り返されています。
ヴァイカースハイム城の改築
- 1551年
-
領地分割により、ノイエンシュタイン(Neuenstein)とヴァルデンブルグ(Waldenburg)に2大家系が誕生しました。次の代になるホーエンローエ=ノイエンシュタイン家はさらに分かれます。
- 1586年
-
ホーエンローエ=ノイエンシュタイン家から分かれたランゲンブルク(Langenburg)家のヴォルフガング二世(Wolfgang II.)が移り住みました。
しかしこの城はルネッサンス期の伯爵が住むにはふさわしいものではありませんでした。
ちょっと北翼を仮住まいにして、改築するわ
ということで、ヴァイカースハイム城とランゲンブルク城を同じ建築家により改築がすすめられました。
- 1598年
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正三角形のシュロスへの改築が完了しました。
- 1602年
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錬金術に興味のあった伯爵は、城の北東角に実験室を建て、実験に必要な設備を整えました。
つくったものの、使わなかったけどね
- 1603年
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正三角形の設計図が放棄され、南翼正面にアルタネが建設され、ホール、礼拝堂、公文書館のある新館ができました。
城を上から見ると、ちょっと崩れた三角形になっているね。
- 1600年頃
-
庭園が整備されます。
まだ城を軸としたものではなく、ドイツでは左右対称性の概念はまだ弱く、浸透するようになったのは17世紀後半のことです。
三十年戦争による破壊と改築
1610年にヴォルフガング二世伯爵がなくなり、息子のゲオルグ・フリードリッヒ(Georg Friedrich)の代になったとき三十年戦争が勃発し、ヴァイカースハイムも戦争に巻き込まれました。
フェオルグ・フリードリッヒはボヘミア・プロテスタント側として参戦しました。
- 1634年ネルトリンゲンの戦い
-
帝国軍による激しい略奪を受け、領土をドイツ騎士団に割譲されることになってしまいました。
- 1645年
-
ゲオルグ・フリードリッヒ死亡。甥のジークフリート(Siegfried)伯爵があとを継ぎます。
- 1648年
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ヴェストファーレン条約により、ヴァイカースハイムはホーエンローエ家に返還されました。
戦後復興
ジークフリートとその後継者はヴァイカースハイム城を都市に向けて拡張し、細長い厩舎を建設し、城と城下町発展の原動力としました。
- 1708年
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伯爵一家が住む(似たような部屋が廊下でつながっている)アパートが完成しました。
- 1710年頃
-
2つのパビリイオンが庭園の南の角に建てられます。
並木道と生け垣に囲まれた大きな下段。軸線上にある十字架。中央の噴水。この地方で最も古い部類に入る庭園の一つで、よく保存されています。
バーデン=ヴュルテンベルク州の城へ
しかし城そのものは1963年に火災により焼失したランゲンブルク城の再建資金を確保するために、ヴァイカースハイム城はヴバーデン=ヴュルテンベルク州に売却されてしまいました。
売却後も住ませてもらえてたんだね。
以後、城の所有者はバーデン=ヴュルテンベルク州で、州が管理しています。
ヴァイカースハイム城へのアクセス
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