2つの円柱形のベルクフリートが印象的な中世のブルク廃墟です。帝国ミニステリアーレの城でした。
フランクフルト・アム・マイン(Frankfurt am Main)とマールブルク(Marburg)のほぼ中間地点にある山城です。高さ239mの小高い山の上にあります。
アウトバーンA5またはA45からよく見える場所にある目立つ城なので,フランクフルト近郊在住経験のある方は,見覚えのある城かと思います。
目次
ミュンツェンベルク城の見どころ
東側の塔は登ることができます。ぜひ登ってください。
塔の上から眼下に広がる景色は非常に美しいです。
すぐ下に味のある城下町が広がり,更にその外側には田園風景が広がっています。
中世の帝国ミニステリアーレがここに住み,この地域を管理していたことに思いを馳せてください。
ミュンツェンベルク城への行き方
アウトバーンのA45およびA5から見えるので,城に向かって車を走らせましょう。A45のミュンツェンベルクでアウトバーンを降ります。
城の南側に駐車場があります。駐車場から城まで徒歩で3~5分です。
ミュンツェンベルク城の歴史年表
- 1151年
- コンラート・フォン・アルンスブルク&ハーゲン(Konrad von Hagen und Arnsburg)が,かつてのローマ軍砦跡地周辺をフルダ修道院に寄贈し,その返礼としてまだ何もないミュンツェンベルクを受け取りました。そしてここに城を築きました。
- 12世紀後半
- クーノ・フォン・ミュンツェンベルク(Kono von Münzenberg)はフリードリッヒ一世赤髭王(Friedrich I. Barbarossa)に仕え,イタリア遠征等にお伴しています。城はこのシュタウファー政権下で拡大されていき,ロマネスク様式のベルクフリート,環状城壁,パラス,礼拝堂や台所が建設されていきます。なお,シュタウフェン時代の建築物の正確な建設時期は議論の余地があるものであり,建設は完了していなかったとされています。
- 1255年
- 帝国ミニステリアーレのミュンツェンベルク家の男系が途絶えます。
- 1260年頃
- 男系は途絶えましたが,所領を相続した娘がフランケンシュタイン家と結婚していたため,フランケンシュタイン家のものとなります。この時代に西側の塔が建設され,建設途中であった環状城壁といった城の他の部分も建設が完了します。
- 1296年
- 居城をミュンツェンベルクからリッヒ(Lich)に移します。
- 1418年
- フランケンシュタイン家が途絶え,ゾルムス(Solms)家のものとなります。
- 1424年
- ゾルムス家が城を再建します。現在の中央門(Mitteltor)と外側城壁が建設されたのではないかと考えられています。
- 1514年
- ゾルムス家から別れた分家のブラウンフェルス=リッヒ(Braunfels-Lich)家が後期ゴシック様式のパラスを建設します。
- 三十年戦争
- 要塞として様々に拡張されていましたが,城は陥落しました。以後,再建されることなく廃墟のまま放っておかれました。放置されていたとはいえ,採石場として利用しようとしたものが捉えられて処罰されているので,本当は再建したくても様々な理由から再建できなかっただけなのかもしれません。
- 19~20世紀
- ブルク廃墟の保全活動が行われていきます。東側のベルクフリートに登ることが可能となり,ゴシック様式の台所等の修繕作業が行われます。
ミュンツェンベルク城の営業案内
いつでも出入り自由ですが,ケルンブルクに入るには入場料が必要となります。
- ケルンブルクの営業時間
- 3月:火曜日~日曜日 10:00-16:00
4月と10月:火曜日~土曜日 10:00-16:00,日曜日 10:00-17:00
5月~9月:火曜日~日曜日 10:00-17:00
7月~8月:月曜日も営業
11月:土曜日と日曜日 11:00-16:00
12月~2月:冬期休業 - ガイドツアー
- 4月~10月:12:00-13:00,15:00-16:00 Uhr