ライプツィッヒの西15kmぐらいのところにある城と同名のクヴェアフルト(Querfurt)という名の街にあるブルクです。
ザクセン・アンハルト州で最も古くからある巨大なブルクで,その大きさはヴァルトブルクの7倍の大きさがあります。城壁の外を堀が囲んでいます。
日本ではあまり馴染みがありませんが,ロマネスク街道にある城です。(注:ロマンティック街道ではありません)
中世ドイツの城の中では,保存状態の良い美しい城です。
そのせいか,映画のロケ地として使われることがあり,「映画ブルク」(Filmburg)という称号さえ与えられています。
ドイツ国内映画,国際映画のさまざまな作品に登場するため,一部の人にとってはどこかで見たことのある馴染みのある城のようです。
クヴェアフルト城の見どころ
映画の撮影に使用される城ですが,それほど有名ではないため普段は静かな環境で城を散策することができます。
イベントに参加すれば,よりドイツ中世世界が満喫できるのではないでしょうか。
中世ブルク祭り(mittelalterliche Burgfest)
6月の第3週末に中世ブルク祭りが開催されます。それも3日間行われます。中世の衣装を着たスタッフたちと大道芸人たちなどが中世世界を体験させてくれます。
中世といえば騎士たちの馬上槍試合(Turnier:いわゆるトーナメント)はもちろん行われます。中世の楽器を用いた音楽隊の演奏が行われ,中世の鍛冶屋をそのまま再現したものもあります。
立ち並ぶ出店ではきっと中世風の食事を楽しめることでしょう。
夏の映画祭り(Sommerkino)
8月の金曜日の夜に行われるイベントです。
城の礼拝堂やホールだけでなく屋外にもスクリーンとベンチが設置され,映画が上映されます。
中世の雰囲気を色濃く残すクヴェアフルト城で観る映画はまた格別で,多くの映画ファンが訪れます。
特に晴れた夜は星空とともに,ロマンティックな雰囲気の中で映画を堪能できます。
雨の日でも屋外イベントは開催され,テントが張られ,テントの中から映画を鑑賞することになります。
クリスマスマーケット(Weihnachtszauber)
クリスマスマーケットの名称が一般的な”Weihnachtsmarkt”ではなく,「Weihnachtszauber(クリスマスの魔法使い)」とシャレた名称になっています。
イルミネーションで彩られ,ライトアップされた中世の城で開かれるクリスマスマーケットは幻想的であり,魔法をかけられたようであるかもしれませんね。
もちろん昼間もクリスマスマーケットを楽しむことができます。サンタクロースのコスプレをしたり,トナカイに扮した馬が曳く馬車に乗ったりできます。
城の構造物
ベルクフリート「太ったハインリッヒ(Dicker Heinrich)
高さ27.5m,直径14m,壁の厚さが4m以上もある巨大な円筒形のベルクフリート(写真左)で,目を引きます。
窓や暖炉,トイレがありません。
12世紀に建てられ,この城の施設の中で唯一のロマネスク様式の建築物です。
下部は13世紀に初頭に住居塔として建てられ,14世紀には階が建て増しされました。30年戦争後は穀物庫として使用されていました。
環状城壁と空堀
1350年頃,厚さ2m,高さ10mの矢狭間のある外側環状城壁が設けられました。
空堀は,幅11m,高さ5mあります。透水性の石灰岩のため水を貯めることができず,空堀となっています。
三十年戦争時に壊滅的な打撃を受けましたが,その後修復されたものです。
侯爵館(Fürstenhaus)
さまざまな時代の建築様式の痕跡をを,ここに見ることができます。
1528年にルネッサンス様式に改築され,17世紀にバロック様式に改築されました。
博物館
戦争と平和における生活(Leben in Krieg und Frieden)をテーマとした博物館で,中世の馬上槍試合といった戦闘に関するものだけでなく,人々の生活に関する常設展示があります。
クヴェアフルト城への行き方
車がないとアクセスは困難な城のようです。駐車場はありますが,城の規模の割には小さいのが欠点です。
クヴェアフルト城の歴史年表
- 青銅器時代
- 発掘調査から青銅器時代初期の遺物が発見されています。ウーニッツェ文化の墓と,石器が発見されています。
- 866年~899年
- ヘアスフェルト修道院(Kloster Hersfeld)の什器記録簿に,クルンフルト(Curnfurt)の什器払の村として,初めて記載されます。ザクセン朝の皇帝オットー二世(Otto II)によりカステルムという名前がつけられています。
- 10世紀~
- クヴェアフルトの封建領主の居城となりました。内側の環状城壁と穀物倉および武器庫の痕跡が見つかっています。多くはまだ木製の建物であり,石造りの建物はベルクフリート「太ったハインリッヒ(Dicker Heinrich)」とブルク教会のみでした。これらの巨大建築物は,領主の権力を象徴しています。
- 1004年
- 城の礼拝堂が建設されます。
- 1162年
- 城の中庭中央に,ロマネスク様式の教会が建設されます。
- 15世紀
- 防衛設備が強化されます。この時代に西門と稜堡が建設されました。
- 1496年
- クヴェアフルト最後の領主であるブルーノ九世(Bruno IX)が死去すると,城と領地はマグデブルク司教区(Erzbistum Magdeburg)に没収されます。
- 三十年戦争
- 難攻不落とされていた城は,激しい包囲や砲撃を受けて,何度も所有者が交代することになります。また,。それに続き1642年から1650年までスウェーデン軍に占拠されました。
- 1663年から1815年
- ザクセン・ヴァイセンフェルス(Sachsen-Weißenfels)公に仕えるザクセン・クヴェアフルト侯爵の居城となり,侯爵領の首都となりました。侯爵館(Fürstenhaus)が建てられます。城教会はバロック様式に改築されました。
- 1700年頃
- ツヴィンガーに砲台が設置されます。ザクセン=ヴァイセンハウス(Sachsen-Weißenhaus)家が断絶し,ザクセン選帝侯国に戻ります。
- 1815年から1936年
- 都市と城はプロイセンの手に落ち,国有地となります。
- 20世紀
- 大規模な建築研究と,改築と修繕が行われました。