バロックとは、16世紀に始まり1760、70年頃まで続いたヨーロッパ美術史の時代を指します。
ルネッサンスの後、古典主義の前の時代になります。
ドイツ語では、男性名詞の der Barock、中性名詞の das Barockの両方があります。
バロックという概念は統一された概念ではなく、バロック時代には同時に様々な芸術表現や背景があり、地域により国によって様々に異なる発展をしてきました。
1650年頃までの初期バロック、1650~1700年頃の中期バロック、1700~1730年頃の後期バロックに分けることができますが、後期バロック様式はロココ様式と同一視されることがあります。
初期と中期は主にイタリアでカトリック教会復権のために、後期はフランスで国王権力を示すために用いられました。
バロックの時代は植民地が広がった時代でもあり、バロック様式は遠く南米やアメリカにも見ることができます。
バロックの語源
ポルトガル語で不規則な形の真珠を示す「barroco」に由来するというのが、一般的な説です。
その他にも、バロック初期に活躍した画家フェデリーゴ・バロッシ(Federigo Barocci)と、建築家ジャコモ・バロッシ(Giacomo Barozzi)に由来するという説もあります。
17世紀のイタリア建築の作品を示す言葉として使われ始めたのが、最初です。
フランスでは当初、侮辱的なニュアンスで使われていたようです。
バロック様式の特徴
バロック芸術は、イタリアに始まりヨーロッパ全体へと広がっていきました。
バロック様式は建築だけでなく、文学や哲学、音楽や絵画など、幅広い分野に渡る芸術活動です。
バロックは、建築、彫刻、絵画といった芸術分野の垣根を曖昧にしました。
統一と静寂を目指したルネッサンス様式に変わり、表現の豊かさと動きを追求すると同時に、シンメトリーを好む傾向にあります。
反宗教改革と「絶対主義」の政治的・宗教的理念に影響を受けていますが、イタリアやイギリスでは異なる政治形態であったため、必ずしも絶対主義的な政府と関係があるとは言い切れません。
王侯貴族は権力の増大を、ローマカトリック教会は信者の維持と回復を目的とし、バロック芸術の力を借りて一般の人々にアピールしました。
小さな天使やプティを好む傾向にあります。
ランメナウ城の庭園には、多くのプティが置かれています。
バロック様式の伝播
この時代の多くの建築家がイタリアに留学して建築を学び、ヨーロパ中を旅してヨーロッパ各地へと広めていきました。
イタリアで始まったバロック様式は、フランスでは古典的バロック主義となり、より穏健で合理的な特徴を持つようになりました。
イギリスやオランダの建築も、初期の古典主義に通じるような形となっています。
神聖ローマ帝国では、三十年戦争後に建築活動が活発に成り始め、多くの都市や郊外に壮大なバロック様式の教会やシュロスが建てられました。
ドイツ北部ではフランスのバロックやプロテスタント文化の影響を、ドイツ北部ではイタリアのバロックやカトリック文化の影響を受けており、プロイセンはフリードリッヒ大王風ロココとオーストリアはテレジア風などと呼ばれています。
バロック建築の特徴
表現豊かで感情に訴え、建築や室内装飾においては豪華絢爛さを特徴とします。
柱、ピラスター、骨組みなどの古典的な形式要素を大事にしながらも、それらを誇張して表現したり、豪快で遊び心のある装飾が施されています。
凸凹のあるフォルム、ドーム、切妻など、装飾にこだわり、見るものに力強さと躍動感を感じさせます。
神秘的な雰囲気を醸し出すような照明効果を利用し、絵画、彫刻、彫刻も建築の枠組みの中に取り込まれてります。
アウグスト強王(Ausust der Starke)の下でドレスデン・バロックが発展し、ツヴィンガー宮殿はその最高傑作です。
ツヴィンガー宮殿は、カトリック・反宗教改革、北欧プロテスタントがすべて融合した存在となっています。
バロック様式の庭園
ヴェルサイユ宮殿の庭園がバロック様式を代表する庭園です。
噴水、水路、植込み、花壇などがあり、宮殿と周囲の自然を結びつけるヨーロッパ全体のモデルとなっています。
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