馬上槍試合のことを、英語ではトーナメント(tournament)というので、聞き覚えのある方が大半ではないでしょうか。
トーナメントと言ったら、普通はスポーツの勝ち抜き戦のことよね?
スポーツの勝ち抜き戦は、本来ならノックアウト形式というんだよ。
本来の意味で、トーナメントとは馬上槍試合のことです。これなくして中世騎士道は語れません。
もちろん、現在の私達が使用するスポーツ競技のトーナメントという言葉は、この馬上槍試合に由来しています。
本記事では、
- トーナメントについて
- トーナメントの歴史
- 現在のトーナメント
について解説します。
トーナメントについて
基本的にキリスト教徒間での戦争が禁じられており、戦争があってこそ活躍できる武人たちは戦いがないと鬱憤が溜まってしまいます。その一方で、ノルマン人、マジャル人、サラセン人といった騎馬民族との戦いがありました。
騎士たちの鬱憤晴らしと軍事演習目的で始まったのが、スポーツとしての戦争です。
平和な時代、日本の武士たちは精神修養としての武道を発展させましたが、西洋では戦争の延長としてのスポーツに変化しました。
だから、ヨーロッパではスポーツで賭けをすることに何の不思議もないんだよ。代替戦争だったんだから。
一口にトーナメントと言っても、
- 団体戦:メレ、ブーフルト(Buhurt)、トゥルネイ
- 個人戦:ジョスト(独語ではシュテッヒェン:Stechen)
があります。
初期のころは団体戦のブーフルトが多く、後に個人戦のジョストが主流になりました。
一般的にトーナメントでイメージされるのは、個人戦のジョストだったんだ。
トーナメントの流れ
トーナメントは、色鮮やかな野外劇場と民俗祭を混ぜたようなもの。
最初に参加者の名前が呼ばれ、観衆の紳士淑女たちに紹介されます。
そして、カルテルが読まれます。
トーナメントは、ルールに基づいて行われます。
書き下ろされたルールのことを「カルテル」と言いました。カルテルは、現代スポーツにもある採点ルールの原型ともいえます。
トーナメントは夕方の表彰式で幕を閉じました。
その日のヒーローがメインスタンド前に登場し、女性が優勝の花輪を髪に飾ると、出席者から拍手が沸き起こります。
現在のスポーツ大会の流れとほとんど変わらないのね。
表彰式の後、参加者は傷の手当てを受け、風呂に入り、祝着を着て、踊りや大騒ぎをし、夜更けまで続くこともありました。
終わった後、どんちゃん騒ぎをするのも、現在となんら変わらないね。
トーナメントの歴史
初期は実践さながらの団体戦
初めのころは実戦さながらの団体戦です。武具も実戦で用いられるものが使用されました。
相手を斬り殺さないために武器はメイスを使用した模擬試合とは言え、実戦さながらにして行われたので、死亡者もひじょうに多く出ました。
一度に1,000人もの死亡者を出すことさえあったといわれます。
戦争よりもトーナメントで死んだ騎士が多かったとする研究者もいるぐらいだよ。
実践と違うことは、予め試合の日時が決められており、定時には終わったということぐらいです。
教会から禁止令が出ようが、死亡者が何人出ようが、騎士たちだけでなく王や諸侯たちもこのトーナメント大会を好み、熱狂しました。
- 好成績を収めるためにトレーニング指導を専門に行うプロのトレーナー
- トーナメントからトーナメントへと渡り歩く賞金稼ぎ
- 身代金稼ぎ
トーナメントは騎士の晴舞台でもあり、捕らえた相手から身の代金の請求もできる場。
スポーツとしてとはいえ、勝てば身の代金を請求して一攫千金を狙えました。
ペムブローク伯爵ウィリアム・ザ・マーシャル(William Marshal Earl of Pembroke)は、トーナメントを利用して約500人の騎士の身代金を手に入れただけでなく、貴族の地位にまで上り詰めました。
トーナメントは、金なしコネなしの若き騎士たちが成り上がるための千載一遇のチャンス
活躍できれば愛しの貴婦人からの寵愛も得られ、出来なければ100年の恋も一瞬にして冷めます。
中世初期を舞台とする『ニーベルンゲンの歌』には、馬上試合をする場面が多く登場します。
ニーベルンゲンの歌の世界で行われている馬上試合は、ほぼ団体戦のブーフルトです。
団体戦から個人戦へ
時代とともに、死亡者が余りにも多く危険な団体戦は次第に行われなくなり、比較的安全な一騎打ちのジョストが主流になっていきました。
一般にトーナメントと言うと、後期のジョストを指します。
死亡者があまりにも出ては困るので、試合ルールが出来上がり、トーナメント専用の武具も発達していきました。
ジョスト(Joust)
ジョストとは甲冑を着て盾と槍を持ち、お互いに馬に乗って全力でぶつかり合うのものです。
槍を持って全力で前面からぶつかり合うので、防具は左右非対称で突かれる部分が分厚くなっており、兜の視界は実戦用のものよりはるかに悪く頑丈になっています。
ジョスト用の武具は見ただけでそれと分かります。
決着が付かなかった場合は、馬から下りて剣で戦いました。
ルールや武具が発達して安全になっていったとはいえ、重い武具を付けて落馬すれば起き上がれず、槍の突きどころが悪ければやはり死の危険性がじゅうぶんにありました。
フランス国王アンリ二世がトーナメントの傷が元で死亡したのは、有名な話。
郊外から都市へ
団体戦のトゥルネイを行うためには広い場所が必要でしたが、個人戦のジョストになると場所の制約は小さくなります。
中世末期になると、城の中庭やツヴィンガーで行われていたジョストは都市の広場で行われるようにありました。また、転落から騎士と馬を守るために石畳に藁が敷かれました。
軍事演習だったトーナメントは次第に騎士の娯楽やトーナメントのプロの試合の舞台へと変わり、都市の市民は重要な観客でした。
トーナメントは都市の祭りと化していきます。
開催場所を都市に移した理由の一つに、費用負担増大による経済的問題があったよ。
16世紀末になるとお抱えの武器職人を地元で維持できなくなり、トーナメント用の甲冑を製作できる技術者は大都市のみとなります。
ゆえに開催地はインスブルック、ウィーン、ミュンヘン、ハイデルベルク、ドレスデンなどの居城都市に限られるようになりました。
トーナメント廃止運動
1559年6月30日、フランス王アンリ二世がトーナメントにより死去すると、同年フランスではトーナメントが廃止されました。
しかしドイツではその後も数十年に渡ってトーナメントは開催され続けます。
1568年および1571年、結婚式の際にトーナメントが開催されたことが記録されています。
さらに、1603年と1613年にミュンヘンの宮廷催事でトーナメントが開催された記録があります。
宮廷行事の一環でトーナメントが開催されるようになったことから分かるように、トーナメントは当初の軍事演習からかけ離れていってしまっています。
現在のトーナメント
ドイツ語のTurnierは、馬術用語として残っています。
ショー
各地では役者さん達によるトーナメントショーが行われています。
迫力あるね。
ロンネブルク城では、毎年騎士トーナメント祭が行われています
Tall Bike Jousting
馬を自転車に変え、槍を棒の先にグローブを付けたものに変え、両者がお互いにつ付き合って相手を自転車か落とすという競技があります。
形はジョストによく似ていますね。
ヨーロッパの自転車文化の一つ。
スポーツやゲームのトーナメント
言わずもがなですが、現在トーナメントと言ったら、スポーツやゲームのノックアウト方式の勝ち抜き戦のことです。
勝ち抜き戦を行う目的は、最強の選手やチームを決定することです。
中世のトーナメントも、最強の騎士を決める大会でもありました。
行う競技は変わっても、目的は同じ。最強は誰かを決めることに変わりはありません。
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