リヒテンシュタイン城(Schloss Lichtenstein)ー中世へのあこがれを具現化した城

ドイツ南部のシュヴァーベン・アルプの標高817mの断崖絶壁に佇むリヒテンシュタイン城(Schloss Lichtenstein)。

まるでおとぎ話の世界から飛び出してきたかのようなその姿は、

  • 崖の上に立つロマンティックな城
  • ヴュルテンベルクの童話の城
  • 妖精の城

とも呼ばれています。

見る角度によっては、まさに「天空の城」ね。

現在のリヒテンシュタイン城は、ヴュルテンベルク伯ヴィルヘルム・フォン・ウラッハ(Graf Willhelm von Urach)が、ヴィルヘルム・ハウフ(Wilhelm Hauff )が書いた騎士物語『リヒテンシュタイン』に感銘を受け、建設した城です。

著:Hauff, Wilhelm
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城山塔子

中世の騎士の城を再現しようと、古い城の上に2年の歳月をかけてネオ・ゴシック様式の城を建設してしまった情熱はすごい!

城地山城
城の分類シュロス
城主の階級リヒテンシュタイン公爵→チロル系ハプスブルク家→ヴュルテンベルク公爵→ウラッハ公爵
最初の城の築城年代12世紀前半

文学作品への憧れが形になった城が、このリヒテンシュタイン城です。

本記事では、断崖絶壁立つメルヘンの城、リヒテンシュタイン城の見どころと歴史を紹介します。

スイスとオーストリアの間にあるミニ国家リヒテンシュタイン公国のことではありません。ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州にあるリヒテンシュタイン城です。

また、ザクセン州リヒテンシュタイン市にもリヒテンシュタイン城(Schloss Lichtenstein)が、オーストリアにもリヒテンシュタイン城(Burg Lichtenstein)がありますので、要注意。

目次

リヒテンシュタイン城の構成と見どころ

城主である現公爵様が城と伝説について案内しています。

現在もウラッハ公爵家が所有しており、約30分のガイドツアー参加で内部見学が可能となっています。

内郭と外郭のある構造であることが、上空写真から見て取れます。

外郭(Vorburg)

フォアブルクの建物
フォアブルクの建物
André Karwath aka Aka, CC BY-SA 2.5 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5, via Wikimedia Commons

1867年に拡張された外郭。

外郭部分にかけられた橋

外郭も堀を巡らせてあり、中に入るためには木製の橋を渡らなければなりません。

城山塔子

中世時代の騎士城を再現しようとする意気込みが伝わってきます。

Heribert Pohl — Thanks for half a million clicks! from Germering bei München, Bayern, CC BY-SA 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0, via Wikimedia Commons

内郭

跳ね橋

現在のリヒテンシュタイン城が建てられたロマン主義の時代。

跳ね橋という防御設備は意味をなさなくなっていますが、ロッドを突き出して、橋をチェーンで釣り上げているように見えます。

城山塔子

跳ね橋として機能しているのかどうかはわかりませんでいた。

Llez, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons

跳ね橋の入口

跳ね橋を取り入れているところに、中世の騎士城に対するオマージュが伝わってきます。

円筒形のベルクフリート

リヒテンシュタイン城のベルクフリート

19世紀のロマン主義による設計思想のため、防御機能はなく、塔の胸壁などはただの装飾にすぎません。

しかし断崖絶壁の上に立つその姿は、地域のランドマークとしての機能を十分に果たしています。

Llez, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons

リヒテンシュタイン城のベルクフリート

ガイドツアーによる内部見学

内部を見学するためには、ガイドツアー(ドイツ語、英語は要予約)に参加しなければなりません。

内部は写真撮影不可です。公式サイトをご覧いただくと、内部の様子を少し垣間見ることができます。

1階には、武器庫、15世紀から16世紀の貴重なステンドグラスのある礼拝堂、後期中世の絵画、そして豪華な木製パネルと狩りのシーンを描いた壁画、意味深な格言が刻まれたバーがあります。

ウラッハ伯爵は中世の美術品、武器、鎧といった膨大なコレクションを保管するための場所としても、リヒテンシュタイン城を利用していました。

城山塔子

伯爵が集めたコレクションは一見の価値あり!

聖母マリアの出産(Geburt Mariens)

マイスター・リヒテンシュタイン(Meister von Lichtenstein)と呼ばれる無名画家による作品。

1445年から1450年頃の作品と考えられています。

Master of Schloss Lichtenstein, Public domain, via Wikimedia Commons

聖母マリアの出産
聖母マリアの死

聖母マリアの死(Marientod)

マイスター・リヒテンシュタイン(Meister von Lichtenstein)と呼ばれる無名画家による作品。

1450年頃。

リヒテンシュタイン城で最も有名な絵画。

Creator:Meister von Schloß Lichtenstein, Public domain, via Wikimedia Commons

2階には、豪華な装飾が施された王の間、紋章の間、中世の家具が置かれた出窓の間があります。

ここから、最も大きく最も美しい部屋である騎士の間に入ります。壁は木製のパネルで覆われ、天井と窓の枠は極めて豪華で印象的な装飾が施されています。

城の階段ホールでは、最後に有名な「リヒテンシュタインの射手」に出会うことができます。

リヒテンシュタインの射手(Schütze vom Lichtenstein)

階段ホールの先にあるこの絵画は、ガイドツアーの終着点を示しています。

Rainer Halama, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons

リヒテンシュタインの射手

リヒテンシュタイン城の公式サイト

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小説『リヒテンシュタイン』

この小説は、ヴュルテンベルク公国の歴史的出来事を巡る物語を概観するものです。

特にシュヴァーベン地方での領土回復と、それに伴う政治的・軍事的対立が描写されており、

  • 貴族間の忠誠心
  • 裏切り
  • 戦争

を詳細に描き出しています。

登場人物の個人的な感情や運命にも焦点を当てており、城や都市の描写を通じて、当時の社会情勢や人々の生活が垣間見える作品となっています。

物語のざっくりとしたあらすじ

小説の時代背景は、シュヴァーベン地方のヴュルテンベルク公国が再奪還された時代(1519年頃)を時代背景にしています。

主要人物
  • ヴュルテンベルク公の忠実な支持者である騎士ゲオルク・フォン・シュトゥルムフェーダー
  • リヒテンシュタイン家の娘マリー

ウルリヒ公のヴュルテンベルク奪還に向けた闘争と、それに関わる人々の運命を中心に物語は展開します。

ゲオルクの任務と捕縛

ゲオルクは公爵のために重要な任務を遂行するため、ウルムを離れて旅に出ます。しかし、彼は捕らえられ、騎士の墓室に監禁されます

マリーの献身

マリーは、ゲオルクへの揺るぎない愛情を示し、彼を助けるためにあらゆる手を尽くします。公爵に敵対する父親に影響を与えようとし、最終的には牢獄にいるゲオルクを訪ねます。

和解と凱旋

ゲオルクは開放され、ウルリヒ公はシュトゥットガルトに凱旋。これは公爵がその地位を取り戻したことを示しています。

幸福な結末

最終的に、ゲオルクとマリーの結婚という形で、個人的な幸福とヴュルテンベルク公国の平和が訪れます。

「リヒテンシュタイン」という名は、ヴュルテンベルク地方に古くから存在する騎士家系の名として言及しており、この点で、物語が史実に基づいていることを示唆しています。

リヒテンシュタイン家の騎士は、最初こそ公爵の敵対者として描かれていますが、後にヴュルテンベルク公の忠実な支持者であることが明らかになります。

物語の中のリヒテンシュタイン城

リヒテンシュタイン城は、マリーとその父、騎士リヒテンシュタイン家の居城として描かれています。

  • 城へは跳ね橋を通って行く
  • 落とし格子がある

城は防御性の高い構造をしていることが示されています。

同時に、

  • 美しい谷
  • 美しい森
  • 壮大な景色

が広がっていることも描写されており、ゲオルクはその景色に感動している様子が描かれています。

今のリヒテンシュタイン城の景色とも重なるね。

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リヒテンシュタイン城の歴史

Schloss Lichtenstein
Schloss Lichtenstein © MFSG / Wikimedia Commons

リヒテンシュタイン城の歴史は、武力抗争や領主交代、ロマン主義的再評価、そして現代に続く修復と保存活動まで、ドイツ南部の中世・近世・近代を象徴する城郭史の縮図といえます。

リヒテンシュタイン城の築城と戦乱

この地に最初に城が建てられたのは、おそらく12世紀前半。

旧リヒテンシュタイン城跡

旧リヒテンシュタイン城はどこに建物があったのか分かっていません。

内郭と外郭の部分からなる城であり、盾壁と塔の残骸が残っています。

Roland Puskaric, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons

12世紀後半、ゲプハルト・フォン・リヒテンシュタイン(Gebhard von Lichtenstein)が、2番目の旧リヒテンシュタイン城(Burgruine Alt-Lichtenstein)を築いていた記録があります。

ゲプハルト・フォン・リヒテンシュタインはロンスベルク辺境伯ハインリヒ(Markgraf Heinrich von Ronsberg)の家臣。

シュタウフェン朝時代特有の、背丸角石(Buckelquader)が特徴の城でした。

1311年

ヴュルテンベルク伯エバーハルト1世(Graf Eberhard I. von Württemberg)に対する帝国戦争で、城が破壊されてしまいますが、1315年の和平終結後に再建されました。

1381年

1311年の帝国戦争に続き、1381年のシュヴァーベン都市戦争により、旧リヒテンシュタイン城が破壊され、放棄されます。

シュヴァーベン都市戦争(1387-1389)

シュヴァーベン都市同盟(Schwäbischen Städtebund)とバイエルン公爵の間で起こった戦争。

1387年にシュヴァーベン都市同盟とザルツブルク大司教(Salzburger Erzbistum)が結んだ協定はバイエルン公爵たちを挑発するものでした。

バイエルン公フリードリヒはザルツブルク大司教ピルグリム(Pilgrim)を捕虜にし、その解放条件としてシュヴァーベン都市同盟との協定破棄を要求しています。

1390年頃

1389年に城は廃墟のままヴュルテンベルクに譲渡されましたが、その場所ではなく、旧城から約500m離れた現在の場所に、新しいリヒテンシュタイン城が建設されます。

中世後期で最も防御力の高い城の一つに数えられる堅固な要塞で、南側に初期の地下壕があり、火器用の射撃孔が設けられているのが特徴です。

衰退と荒廃

時代とともに戦略的重要性を失い、1567年にはリヒテンシュタイン公爵家の居城としての地位を失い、林務所として使用されるようになりました。

三十年戦争(1618年~1648年)

チロル(Tilol)系ハプスブルク(Habsburg)家のにより、建物はアハルム(Achalm)の低当地の一部として所収されました。

建物は、次第に交配していきます。

トルコ戦争(1687年)

リヒテンシュタイン家最後の公爵がトルコ戦争で戦死し、後継ぎがいなかったため断絶します。

狩猟用ロッジへ

1802年

後のヴュルテンベルク王フリードリヒ1世(König Friedrich I. von Württemberg)により、森林管理所および狩猟用ロッジが建設されました。

城の廃墟部分は、林業用住宅の基礎として利用されます。

ヴュルテンベルク王フリードリッヒ1世

ヴュルテンベルク王フリードリヒ1世(1754-1816)

ヴュルテンベルク公国最後の公爵であり、初代ヴュルテンベルク王。

ナポレオン戦争時、ナポレオンと同盟を結んだ見返りとして、1806年にヴュルテンベルク王の称号を与えられます。

絶対君主制を志向し、強力な中央集権化を進めました。

ナポレオン失脚後は、オーストリアやプロイセンなどの反フランス同盟に寝返っています。

Johann Baptist Seele, Public domain, via Wikimedia Commons

19世紀ーロマン主義による復興

1826年

ドイツの作家ヴィルヘルム・ハウフが、中世後期のリヒテンシュタイン城を題材にした小説『リヒテンシュタイン』を発表。

これに感銘を受けたウラッハ伯ヴィルヘルム(後のウラッハ公)は、「中世風の本物の騎士の城」を築くことを決意。

もともと城趾を夏の別荘として再建する計画を長年温めており、リヒテンシュタイン城を国王から購入しました。

ヴィルヘルム1世(ウラッハ公)Friedrich Wilhelm Alexander Ferdinand Graf von Württemberg:1810-1869

1867年よりウラッハ公(Herzog von Urach)

ヴュルテンベルク家の分家

Wilhelm von Urach
リヒテンシュタイン城が建設される前の狩猟ロッジ

リヒテンシュタイン城が建設される前、1839年の狩猟用ロッジ

Hauptstaatsarchiv Stuttgart, HStAS GU 99 Nr 399 a, Public domain, via Wikimedia Commons

1840年~1842年

カール・アレクサンダー・ハイデルオフ(Carl Alexander Heideloff)の設計に基づき、リヒテンシュタイン城を建設。

  • 彫刻家エルンスト・マホルト(Ernst Machold)
  • ガラス画家フリードリッヒ・マホルト(Friedrich Pfort)

といった者たちが建設に参加しています。

内郭の他、角堡や砲台を備えたフォアブルク(Vorburg)が建設されました。

新城が完成し、その落成式には国王も出席して盛大に行われました。

1867年

ウラッハ公に昇格。

熱心な砲兵将校であったヴィルヘルム公爵は、自身の設計に基づいて外郭の要塞を拡張しました。

当時のドイツの要塞建築に準拠したカポニエールと、その前に広大な外郭とバービガンが建設され、前堡の壁の周囲には堀が掘られました。

さらに稜堡(Bastion)と壁の後ろには大砲を設置。

これは城と城内に収蔵されている美術品などを、予想される襲撃から守ることを目的とするものでした。

自分の身を守るためではなく、美術品を守るために防御力を強化しているなんて、公爵様らしいわね。

1869年

ウラッハ公爵家の正式な居城となります。

アルプ山脈の風景に溶け込む装飾的な配置と、高品質な建築と内装により、ドイツのロマンティック歴史主義の最高傑作の一つに数えられています。

20世紀以降ー戦争と修復

城山塔子

城までケーブルカーで建設する計画があったようだけど、城の美観を損ねるという理由で、1911年に却下されています。

第二次世界大戦

中央塔に戦車砲弾の直撃を受けるも、不発だったため大破は免れました。その後、幾度か修復工事が行われます

1980年代以降

地元財団や団体によって徹底的な保存・修復活動が継続。2002年までに塔や屋根、内装が修復され、当時の姿を再現しています。

現在でもウラッハ公家の子孫が所有しつつ、一般公開されています。

リヒテンシュタイン城へのアクセスおよび営業時間

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