ザクセン・アンハルト州のエルスター(Elster)川沿いにあるモーリッツブルク城です。ライプツィヒ(Leipzig)の南西約40kmのところにある城です。
同名の城が他にもありますので。地名のツアァイツ(Zeitz)を城名の後ろにつけて区別します。
モーリッツブルク城(ハレ)Moritzburg (Halle)‐ザクセン・アンハルト州立美術館 | ドイツの古城 〜歴史の...
ザーレ川沿いのハレ市にあるモーリッツブルクです。ライプツィヒ(Leipzig)の北東約20kmのところにある城です。後期ゴシック様式の城です。 南西約40kmのところに同名のモ...
城の歴史は古く,10世紀にまで遡ることができますが,今ある城の主要部分は17世紀に建てられたバロック様式のシュロスとなっています。
司教のブルクとしてその歴史は始まっていますが,後にザクセン選帝侯の所有となり,現在は市が管理する城となっています。
目次
モーリッツブルク城(ツァイツ)の見どころ
庭園はお散歩に最適。
城を訪れる前に,庭園を散策してみてはいかがでしょうか。
ドイツベビーカー博物館(Deutsches Kinderwagenmuseum Zeitz)
1840年から現在までのベビーカーが展示されており,ベビーカーの歴史を見ることができます。
石畳のドイツは,衝撃から子どもを守るため,タイヤが大きくなっているのが特徴です。日本の乳母車とは随分違います。
シュロスレストラン
ドイツの一般的なレストランで食べられるメニューが並んでいます。もちろん,典型的なドイツ料理です。
「騎士料理」というコース料理が用意されていますが,残念ながら団体様向けのメニューとなっています。
モーリッツブルク城(ツァイツ)へのアクセス
モーリッツブルク城(ツァイツ)の歴史年表
- 968年
- マグデブルク司教区(Erzbistum Magdeburg)が設立されたことに関連し,ツァイスは属司教区として国王オット―一世(Otto I.)によって設立されました。
- 976年
- オット―二世は所有していた王国ブルクを司教に与えました。しかしこの時代の城の遺構は,考古学的にはまだ証明されていません。
- 1028年
- 983年,1002年,1028年とスラブ人による反乱の際に破壊されたため,司教座はナウムブルク(Naumburg)に移りました。司教座は移りましたが,ツァイツの城は司教の住居として使用されました。
- 1259年
- マインツ辺境伯と領地を巡って長いこと争っていましたが,城の前衛設備を破壊することに同意しなければなりませんでした。
- 1429年
- フス戦争時,フス派の襲撃により城は大きな損害を受けます。
- 15世紀
- 8つの塔と不規則な形の環状城壁と堀があるゴシック様式の要塞が建設されました。現在でもその形は維持されています。
- 三十年戦争
- スウェーデン軍と帝国軍との戦闘により,城は大きな被害を受けます。
- 1657年から1667年
- モーリッツ公はモーリッツ・リヒター(Moritz Richter)を建築家兼バウマイスターとして任命し,城を再建させました。古い司教ブルクの形を尊重しながら,初期バロック様式のシュロスとなりました。主翼の中央に塔があり,三翼のシュロスとなり,稜堡がつきました。
- 1718年
- ザクセン・ツァイス家系が途絶え,ザクセン選帝侯領に戻ります。
- 1815年
- ウィーン会議によりプロイセン領となります。
- 1928年から1929年
- モーリッツブルクは市有地に転換され,ハローワークと大衆食堂が設置されました。
- 1931年
- ツァイツ歴史古美術協会(Geschichts- und Altertumsverein Zeitz)が博物館を設立するに当たり,南翼を提供します。
- 1946年
- 市立博物館モーリッツブルク城がリニューアルオープンします。
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