ダルムシュタット(Darmstadt)の南からハイデルベルク(Heidelberg)北部辺りにかけて広がるオーデンヴァルト(Odenwalt)にある山城,ブロイベルク城です。この城にはユースホステルとちょっとしたレストランがあります。

ブロイベルク城
この城は訪れているのですが,その時のファイルが行方不明になってしまい,歴史の紹介とうろ覚え記事になります。
ブロイベルク城の歴史年表
- 1150年(本によっては1189年)
- ライツェ・フォン・リュッツェルバッハ(Latze von Lützelbach)がフルダ(Fulda)修道院領のオーデンヴァルトの北部を守備する役職に就いたのが,最も古い記録です。
- 1229年に
- 3代目城主のとき,ブロイベルクと呼ばれるようになります。
- 1323年
- フルダの封土として維持しつつ,シュタウフェン朝の役人の地位も手に入れますが,家系が途絶えてしまいます。3人の娘婿たちによって分割相続され,ここはルドルフ・フォン・ヴェルトハイム(Ludolf von Wertheim)伯爵のものになります。
その後,周辺地域の領主立ちと幾度となく所有の交換が行われ,15世紀始めにはエプシュタイン家のものになっていました。 - 1433年
- 一部を抵当に入れますが,1497年にミヒァエル2世・フォン・ウェルトハイム(Michael II von Wertheim)が買い戻します。そして彼は城の防御力を強化し,政庁機関として改築します。この城の紋章は彼のものです。
- 1556年
- ヴェルトハイム家が途絶え,エアバッハ(Erbach)伯爵家とレーヴェンシュタイン(Lewenstein)伯爵家に分割相続されます。
- 1574年
- レーヴェンシュタイン家の当主が亡くなると,相続争いが起こり,1598年まで争い続きました。
- 1806年
- エアバッハ家とレーヴェンシュタイン家が所有していましたが,ヘッセン・ダルムシュタット(Hessen-Darmstadt)に組み入れられます。城はまだ役所として機能していました。
- 19世紀
- 30年ほど管理をしなかった時期があり,使用されない建物は荒廃し,一部壊れました。
- 1919年
- エアバッハ・シェーンベルク(Erbach-Schönberg)侯爵がケルンブルクをユースホステルにし,1942年にドイツ帝国ユースホステル連合に売却します。
- 1949年
- ヘッセン州のものになります。
この城で起こった戦争と言うのはまったく知られておらず,30年戦争でもまったく被害を受けませんでした。管理されていなかった時期の一部崩壊と,第二次大戦の終わり頃にここで雇われた外国人労働者による損害のみです。ほとんど破壊されたことがない状態の良い城と言えます。
ブロイベルク城の営業案内
- 所在地:
- Burg Breuberg, 64747 Breuberg
- 博物館の開館時間
- 3月~10月。冬季は要連絡。
平日は13:00~17:00。日曜・祝日は10:00~12:00,13:00~17:00。
火曜日休館。
Tel. 06165-1309 - ユースホステル
- 7:00~10:00,17:00~22:00。ただし日曜日は~14:00。
12月24日~26日はお休み
Tel. 06165-3403,Fax. 06165-6469 - 公式サイト
- http://www.burg-breuberg.de/
ドイツ語
写真が沢山あるのが良いです。破壊を受けていない美しい姿をご堪能下さい。