中世の祭り(祝賀会)

祭りは人々の最大の楽しみの一つ。単調でつらい毎日は,この日を糧にして頑張って日々を過ごしていました。

今も昔も,洋の東西を問わず,(一部の)人々の祭りへの意気込みは変わりません。

特別な日には大規模なお祭りが行われ,数日間続くこともありました。

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開催時期

お祭りを行うとき,と言えばたいてい,「収穫祭」,「春祭り」,その他クリスマスなどのキリスト教の祭日でした。

しかし祭りを行うにはお金が必要です。それもかなり莫大なお金が必要でした。それゆえ財政上の問題から,そうしょっちゅう祭りを行うことはできませんでした。

年中行事としての祭り以上に,最も盛大に行われた祭りは領主関連の祝い事です。洗礼,婚約,結婚,戦勝(新しい領地の獲得),相続(先代の死亡に伴う新領主の誕生),昇進(新しい称号をもらった時),十字軍からの生還,騎士叙任祝い。

多くの場合,父親の葬儀が最初に客人を招待して行うものが最大の祝賀会でした。

父親の死と同時に新しい領主として「就任」することになります。自分の同僚や部下たちに最高の自分を提示し,華やかな自分を見せつけたいと思うのは,いつの時代も変わりません。

祭りの準備

祭りの準備は1ヶ月以上も前から行われました。祭に必要な準備期間に関しては,今でも変わらないのではないでしょうか。現代も祭の担当者は数ヶ月前から準備しているのを見かけます。

まず使者を四方に送り,招待客の参加・不参加をまず聞き出すところから始められます。

旅人の間で,近日中に行われる祭りの知らせが瞬く間に広がり,多くの人々が祭りが行われる城に駆けつけます。

そして城主夫人は,農民たちからどのような物資を調達するか,都市で何を購入するか,いろいろと綿密な計画を立てます。

お祭りにはエンターテイメントも欠かせません。大道芸人の手配,商人,歌手,演奏家,詩人の手配等をしなければなりませんでした。有名な詩人や大道芸人,演奏家,ミンネゼンガー(Minnesänger)ははるばる南仏から招待されました。

今風に例えると,お笑い芸人や歌手,露天商,マーチングバンドの手配といったところでしょうか。

メンネゼンガーは婦人の間で大変人気がありました。ニーベルンゲンの物語やアーサー王と円卓の騎士の物語,その他英雄の物語や教訓詩を歌ったようです。

祭り前の礼拝のために,有名な僧侶も招きました。

馬上槍試合(Turnier:英語のトーナメント)の準備もしなければなりませんでした。

城は祭りに向けて大掃除が行われ,城の内部に敷かれている藁も真新しいイ草に取り替えられました。

祭りの進行

礼拝

祭りの朝は厳粛な礼拝から始まります。日本のお祭りでも,神社での祈祷から始まる祭りがありますね。それと同じことでしょう。

飾り付けられた教壇の上から僧侶が,「暴飲暴食は慎みましょう」などと言う説教を聞くことから始まります。暴飲暴食は謹みましょうというのは,これから宴会をする者たちにとって馬耳東風のような気もします。実際に,誰も真剣に受け止めてはいなかったようです。

最大の見どころ‐馬上槍試合

そしてブルクの周りに馬上槍試合の場所が整えられ,祭り最大の催し物,馬上槍試合が行われます。馬上槍試合は,13世紀に最も発展しました。

馬上槍試合は一種の戦争ごっこスポーツで,自分の馬術,武術,勇気を証明する場でもあります。ただのあそびとはいえ,本気で殴ったりするので死人もかなりでたようです。(西洋のスポーツが技よりも力のぶつかり合いの体力勝負のものばかりなのは昔から)

馬上槍試合で得られる賞金を糧に生活するプロも次第に現れるようになり,馬上槍試合を求めて諸国を放浪していた騎士もいたようです。

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城の周辺

馬上槍試合の会場周辺では芸人一座による数十のアトラクションが用意されていました。綱渡り,手品,人形劇,詠会,占い等など。

熊使いが熊を踊らせ,人形遣いが小さなステージで勇敢な騎士が聖地で異教徒を倒した物語などを演じます。

歌人は,城主が気に入らない隣人をからかう歌を詠み,良いチップを得ています。

下女やドライフルーツや焼きたてのパンを配り,台所から牛を焼く匂いが漂います。

ブルクの周りには乞食も集まってきます。祭りの日はパンや果物等,ごちそうの一部が下女より恵んでもらえることを知っているからです。

宴会

夕方になると,花や旗印で飾られた騎士の間(Rittersaal)に客人を案内しました。

城主と夫人,主賓のみが上座のハイテーブルにある肘掛け椅子に座り,他の客(上流階級)はみんな長椅子に座りました。さらにその従者たちはその周りの壁際のベンチにひしめいていたようです。

食事

領主夫妻と主賓はすべてのメニューに手をつけることができましたが,それ以外の客はその余り,さらに外側に位置する従者たちはさらにそのお零れにしかありつけませんでした。

ハイテーブルは食事の約半分を占め,他の貴族客は4分の1を,残りの客はさらにそのおこぼれの食事で満足しなければなりませんでした。

当時,食器類はまだナイフとスプーンのみでフォークはありません。食事に用いるナイフは,普段から腰に差している短剣です。スプーンは木製。自分専用のものを普段から持ち歩いていました。

お皿はハイテーブルにしかなく,それ以外はスライスしたパンを皿代わりにして用いていました。

肉や野菜を一口大に切ってパンの上に乗せ,手掴みで食べました。熱くて手で持てないものは,ナイフをフォークの様に食べ物に突き刺して口に運びました。使用済みのパンはブルクの外で待っている乞食にやりました。

食事はたいてい4,5品用意され,銀や金の器に入れて小姓たちが運んでいました。

前菜

前菜はサラダとスープです。エンドウ豆の粥に脂身と牛乳を入れてスープを作り,仕上げに前処理した豚肉を入れて軽くかき混ぜたものなどが出されました。

「シナモンクラフトスープ」とは、茹でた鶏肉をワインを中心に水で煮込んだもので、その上に濃厚なシナモンソースをかけたものです。

メインディッシュ

メインディッシュジビエ料理になります。

シカやカモシカの焼いた腿肉,白鳥やサギ肉を衣で包んで焼いたもの,ウサギの焼いたものに生姜ソースをかけたものなどがありました。

また,スポンジ生地で包んだハトのパイ,マトンのローストレッグ,焼鮭やヤマウズラのソイバソース等などがテーブルを彩りました。

デザート

最後はリンゴや洋ナシのスライス,葡萄,トーストした白パン,外国の果物(オレンジ,ナツメヤシ,イチジク等)や郷土もの(ウイキョウ,生姜,ネズの実)の砂糖漬けが出されました。

工芸菓子」もありましたが,マンネリ化していたのか,目にとまることはあまりなかったようです。

食事が終わると人々は城の中庭に出てダンスをしました。宴会は,夕方から早朝まで行われたようです。

祭りを楽しむ人々の姿は今も昔も変わらないのではないでしょうか

余興

ミンネザング(Minnesang)

コース料理の合間に,有名で高額な報酬を得ているミンネゼンガーが登場し,場を盛り上げます。

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これらのトルバドールは主に南フランス出身者であり,歌人であると同時に詩人や騎士でもあることが多い。主にミンネを題材にした歌を披露していました。

宴もたけなわの頃,ニーベルンゲン伝説や,アーサー王と円卓の騎士たちの物語など,人気のある偉大な英雄譚な一部を歌い上げます。

これらの歌は同時に教育的な詩にもなっており,高貴な騎士はどのように振る舞うべきなのかという例を示していました。

歌手たちは,時事問題も巧みに織り交ぜました。

ダンス

最後の料理が運ばれると,吟遊詩人たちがバイオリンを持ってきて,ダンスのための演奏を始めます。

紳士淑女がお互いに歩み寄って,城の中庭へと移動し始めます。

夜も更けるにつれて踊りは激しさを増し,貴族のカップルは平民たちと同じように大騒ぎをしていました。

夜が明けるまで,踊り明かしました。

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