ライプツィヒ(Leipzig)とドレスデン(Dresden)のだいたい中間あたりにある,中世の面影を多く残す騎士の城です。
チョッパウ(Zoppau)川が大きく蛇行しているところの尾根に立っている山城で,山側には堀切があり,外敵の侵入を防ぐ構造になっています。
目次
クリープシュタイン城の見どころ
川辺りから見上げる岩の上に立つ城の姿は,なんとも美しい。
上級貴族の豪華絢爛さはありませんが,地方の小領主の小さな城も,また非常に魅力的です。
この城は,中世の面影を多く残しているとはいえ,19世紀に大きく改築され,後期ゴシック様式から新ゴシック様式に変わってしまったところが多くあります。
大きな改変があったとはいえ,それでもなお中世の要素を多く残す城であることは否定できません。
22m×12mで高さ45mの住居棟(Wohnturm)と,強大な城門(Torhaus),それを取り巻く卵型の環状壁(Ringmauer)が特徴的で目を引きます。
特に塔は屋上小塔が目を引き,独特なフォルムを生み出しています。
城の内部は,現在博物館として利用されています。
クリープシュタイン城へのアクセス
辺鄙なところにある城なので,車で行くことをおすすめします。
公共交通機関を使う方法
ドレスデンまたはケムニッツからヴァルドハイム(Waldheim)まで電車で行きます。
ヴァルドハイム駅からクリーベタール(Kriebethal)まで平日のみバスが出ています。
クリープシュタイン城の歴史年表
- 1384年
- ディートリッヒ・フォン・ベーアヴァルデ(Dietrich von Beerwalde)の領主がクリープシュタインにブルクを建立しました。クリープシュタイン城が建てられる前,領主は丘の上にあるモットに住んでいました。城の大部分は,この時代に建てられたものです。
- 1408年
- ディートリッヒが亡くなると,妻のエリザベート(Elithabet)が相続し,次に娘のクララ(Klara)が相続することになりました。
- 1465年
- フーゴルト三世・フォン・シュライニッツ(Hugold III. von Schleinitz)が城と領地を買収し,第二の建築期に入ります。シュライニッツはアルプレヒツブルク・マイセンの建築士アーノルド・フォン・ウェストファーレン(Arnold von Westfalen)にクリープシュタイン城の改築を依頼しました。ダンスホールや井戸部屋,経済翼などが増築されます。この時代のゴシック様式の建築は,現在でもみることができます。
- 1490年
- フーゴルト三世・フォン・シュライニッツが亡くなります。以後,所有権は頻繁に変わります。
- 1825年
- ハンスカール・フォン・アルニム(Hanscarl von Arnim)がクリープシュタインを手に入れます。
- 1866年~1868年
- 宮廷建築家カール・モリッツ・ヘネル(Karl Moritz Haenel)の指揮下で城は大規模な改築が行われ,ネオゴシック様式となりました。この改築により,残念ながら建築物の一部が壊されてしまっています。特にキュッヘンハウス(Küchenhaus)の破壊は深刻でした。
- 1930年
- 一部が一般公開されます。
- 1945年
- 城は没収され,国有となります。
- 1949年8月6日
- 博物館が再開されました。
- 1993年1月1日
- クリープシュタイン城はザクセン州の所有となり,州が管理しています。
クリープシュタイン城の営業案内
夏期(5月~10月)
火曜日~金曜日 10:00~17:00
土曜日,日曜日 10:00~18:00
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