ローテンブルク城廃墟(チューリンゲン)Burgruine Rothenburg (Thüringen)

チューリンゲンのキフホイザー山地にあるブルク廃墟です。

キフホイザー城廃墟(Burgruine Kyffhäuser)と同じキフホイザー山地にあり,キフホイザー城の北にあります。

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赤い砂岩を使用しているので赤い城となっています。赤い色(Rot)をしたブルク(Burg)なのでローテンブルクと名づけられました。

ローテンブルクには,観光地として日本人には有名なロマンティック街道のローテンブルク・オプ・デア・タウバーを始めとして,複数存在します。ですから,ローテンブルクの後ろに識別するための地名を付けます。

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他のローテンブルクも赤いブルクだからローテンブルクという名前がつけられました。

ここで紹介するローテンブルクは,チューリンゲンにあるローテンブルクなので,チューリンゲンをつけて区別します。

バート・フランケンハウゼン(Bad Frankenhausen)からケルブラ(Kelbra)に行く塩の道を管理するために建てられた城です。

目次

ローテンブルク城廃墟(チューリンゲン)の見どころ

現在個人所有の城となっているため,残念ながら近づくことはできません。

かつてはハイキングコースが城の通っており,気軽に散歩することができました。今は,遠くから眺めることしかできません。

城の構造物

山の尾根に卵型の中核城(ケルンブルク:Kernburg)があり,かつては南側にフォアブルク(Vorburg)がありました。

中核城は城壁で守られており,山側には堀切で隔てられています。

円形のベルクフリート

城の攻撃側に巨大なベルクフリートがあります。

壁の厚さは約3m,直径は約12mあります。塔の高さは残っている部分だけで12mありますが,かつて何mあったのかは定かではありません。

塔にはかつて門につながる跳ね橋がありました。

ビスマルク塔(Bismarkturm)

1906年に建てられた新しいモニュメントです。ベルクフリートより目立っています。

この場所には,かつて住居や管理事務所の建物があったことが発掘調査よりわかっています。

ローテンブルク城廃墟(チューリンゲン)へのアクセス

ローテンブルク城(チューリンゲン)の歴史年表

いつ,誰が建てた城なのか,わかっていません。

1103年
クノ・フォン・バイヒリンゲン伯爵(Grafen Kuno von Beichlingen)殺害した人物として,クリスティアン一世・フォン・ローテンブルク(Christian von Rothenburg)という名を文献で確認できます。
1155年
クリスティアンの息子がキルヒベルク(Kirchberg)伯爵領の創設者となりました。
1209年
ローテンブルク伯爵家の本家が断絶し,バイヒリンゲン伯爵家が新しい城主になります。
1212年夏
ホーエンシュタウフェン(Hohenstaufen)家とヴェルフェン(Welfen)家が王位争いをしている中,皇帝オットー4世(Kaiser Otto IV.)はチューリンゲンに遠征し,攻城兵器を使用してドライブルク(Dryburg)とローテンブルクを制圧します。城は再建され,礼拝堂やパラスはこの時代のものと考えられています。
1300年頃
有名なミンネゼンガーであるクリスティアン・フォン・ルピン(Christian von Luppin)が訪れています。
1381年
バイヒリンゲン=ローテンブルク家が断絶し,その後はチューリンゲン方伯家の所有から,シュヴァルツブルク=ルドルシュタット(Schwrzburg-Rudolstadt)家の所有となり,その後は何度も抵当に入れられるなどして所有者が目まぐるしく変わります。
1576年
シュヴァルツブルク=ルドルシュタット伯爵家の所有に戻りますが,城はすでに人が住めない状態となっており,一部は廃墟となっていました。
1836年
カール・フリードリッヒ・ヴィルヘルム・バイヤー(Karl Friedrich Wilhelm Beyer)がローテンブルクで宿泊産業を営む権利を得て,ここで旅館業をはじめました。斬新で安いと評判だったようです。
1867年
バイヤーの死後,ヘルマン・プリンツが跡を継ぎますが,経営はうまくいかなかったようです。(Hermann Prinz)
19世紀末
大きな観光レストランが建てられました。
1906年
ドイツ学生協会連合(Verband der Vereine Deutscher Studenten)のキフホイザー連合により,城の北側にビスマルク塔(Bismarkturm)が建てられます。
東ドイツ時代
保養所として使用されていました。
東西ドイツ統一後
ドイツ連邦軍の将校と軍曹の兵舎と寮がありました。
2010年以降
城と敷地が売却され,個人所有となりました。城は閉鎖され,修復が行われています。
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