オスターブルク城(Schloss Osterburg)ヴァイダ(Weida)‐段差のあるベルクフリート

チューリンゲン州ヴァイダ(Weida)市にある山城です。ヴァイダ川とアウマ(Auma)川に挟まれた山の上にあります。

特徴的な段差のあるベルクフリートは,高さ54mでドイツで3番めの高さを誇り,現存するベルクフリートの中でも最古の部類に入ります。

中世の時代,カイザープファルツのあった場所から東(オスト:Ost)の方角にあったことから,この地はオスターラントまたはオストラントと呼ばれていました。城がオスターブルクと呼ばれるようになったのは,17世紀に入ってからです。

フォークト(Vogt:城代)が住み,この地を治めていたことから,この地域はフォークトラントとも呼ばれていました。

目次

オスターブルク城の見どころ

ベルクフリート

狭間胸壁があり段差のあるベルクフリートは,他では見られません。

この城で唯一建築当時からあるものです。それ以外はバロックやルネッサンス様式の建物になっています。

中世イベント

中世の古城なので,中世を模したイベントがしばしば開催されています。

チェーンメールを着た兵士たちによる剣闘などを見ることができます。

旧刑務所

ザクセン・ヴァイマール・アイゼナッハ大公国(Großherzogtum Sachsen-Weimar-Eisenach:SWE)時代,オスターブルク城は地方裁判所および刑務所として使用されてました。

1879年10月1日に設立され,1951年12月31日まで使用されていました。

地方裁判所として民事と刑事事件を扱うと同時に,短期間の懲役はここで執行されていました。

1833年に行われた処刑では,約2万人の野次馬が訪れたと言われています。

当時使用されていた独房,囚人たちの庭を訪れることができ,当時の司法制度や決り文句などを知ることができます。

オスターブルク城へのアクセス

オスターブルク城の歴史年表

オスターブルク城の最近の発掘調査により,スラブ人がいたという証拠が出てきました。スラブ人の城があったと推測されていますが,その証拠となる遺構はまだ発見されていません。

12世紀初頭
発掘調査により,この頃城の建設が始まったことが確認されています。
1163年から1193年
ヴァイダの創始者となるフォークトの弟のハインリッヒ一世が,戦略的に有利な山の上にロマネスク様式の防衛施設を拡張しました。当初はヴァイダの家(Haus zu Weida)と呼ばれていました。皇帝フリードリッヒ一世(赤髭王)(Kaiser Friedrich I. (Barbarossa))は,フォークト家に包括的な全権を与えています。
1354年から1357年
皇帝カール四世の下,フォークトラント戦争が起こります。ザクセンのヴェッティン家が勝者となり,フォークトの権力の衰退が始まります。
15世紀初頭
相続分割と交換により,ヴェッティン家のマイセン辺境伯の所有となりました。
1531年
ヴァイダのフォークト家系が断絶します。
三十年戦争
ベルクフリート以外の建物はすべて破壊されてしまいます。しかしヴェッティン家は壊されても壊されても,城を再建し続けました。
1718年
ヴェッティン家の最後の居住者,ザクセン・ツァイツ公爵モーリッツ・ヴィルヘルム(Herzog Moritz Wilhelm von Sachsen-Zeitz)が亡くなります。彼はシュロスなどの建物を再建したり修繕したりしました。
1813年から1815年
軍事病院として使用されます。
1818年
地方裁判所が置かれます。
1930年
郷土史協会が博物館を城に移転しました。
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