ザバブルク城は、グリム童話にちなんで眠れる森の美女の城、ドルンレッシェンシュロス(Dornröschenschloss:いばら姫の城)として親しまれている城です。
ラインハルトヴァルト(Reinhardswald)にあり、標高約315mの玄武岩の岩山の上にある山城になります。

日本の観光ガイドブックにもよく紹介されているので、なじみのある方も多いでしょう。

その改修工事も地盤問題で2024年にヘッセン州から工事の中断命令がでてしまったらしいよ。



4つ星ホテルになる予定だったのにね。残念!
2025年3月現在、ホテル&レストランの営業再開の目処は立っていません。
ボードゲーム「ザーガランド」のアイデアは、この城で誕生しました。


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ザバブルク城の見どころ



日本人に好まれていると紹介されてる♪
角塔(Eckturm)


ザバブルクの角塔は、ホテルの客室として利用されていました。
Giorno2, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
城からは、ドイツの田舎ののどかな田園風景が広がる眺望が楽しめます。ベートーベンのまさに『田園』が似合う風景が広がっています。
城の案内は
- ドイツ語
- 英語
- フランス語
の3ヶ国語に対応しています。
レストランではこの地域の美味しい郷土料理(ヘッセン料理)が楽しめます。



ホテルとレストランの再開が待ち遠しい
パラス(Palas)


Nemracc, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
パラスは壁だけが残った廃墟となっていますが、屋外劇場として利用されていました。



廃墟とはいえ、城の中で見る劇や演奏会は、ロマンティックね♪
ザバブルク城の周辺には、ザバブルク原生林や動物園があります。少し足を伸ばして、ザバブルク周辺の自然を楽しんではいかがでしょうか。
1571年、ヘッセン方伯によって建設されたヨーロッパ初の動物園


ザバブルク城の歴史


Wilhelm Dilich, Public domain, via Wikimedia Commons
3つの名前の時代に分けて紹介します。
ツァッペンブルク(Zappenburg)城時代
- 1334年
-
マインツ司教は北に勢力を拡大。近くの巡礼地ゴッツビュレンの巡礼者を保護するために城の建設を始めました。
ゴッツビュレン(Gottsbüren)は、1330年にイエスの遺体が発見されたとして、聖地になっているよ。
ゴッツビュレン巡礼教会(Wallfahrtskirche in Gottsbüren)
1330年に建設された歴史ある教会で、3廊式のホール教会になっています。
Benutzer-ID 85797, Public domain, via Wikimedia Commons
マインツ司教座はヘッセン方伯とパデルボルン司教座、ブラウンシュヴァイク公爵と領土争いをしており、この地は何度もその争いに巻き込まれています
- 1336年
-
城が完成します。初代ブルクマンはアーノルド・フォン・ポルテンハーゲン(Arnold von Portenhagen)。
ブルクマンとは中世において城塞守備封臣、つまり城を守るために城主から封土を与えられた家臣を意味します。城の防衛や管理を担当した騎士や貴族の一員です。
城内に居住し、城主の代理として様々な業務を行っていました。
- 1357年
-
マインツ司教が争いに敗れ、城はヘッセン方伯とパデルボルン司教に分割統治されます。
城としては使用しなかったみたいで、「荒廃地」とされたよ。
- 1462年
-
マインツはフェーデに敗れ、城は完全に方伯領になりました。
ツァプフェンブルク(Zapfenburg)城時代
城が「眠りの森の美女」の城を連想されるような状態になったのは、1571年から1591年。ツァプフェンブルク城と呼ばれていた時代です。
長さ5km、高さ3mもの茨の垣根に囲まれていたと言われています。



何のために茨で囲んでいたの?



野生動物から家畜を守るためだったと考えられているよ。
- 1508年
-
ヘッセン方伯ヴィルヘルム1世(Landgraf Wilhelm I.)は、もともとあった城の土台の上に、荘厳な狩猟用の城館を建てました。
この改修により水の需要が急増したため、水道管を敷設することになったよ。
- 1508年~1519年
-
パラスが建設されました。
- 1582年
-
城がギーゼルヴェルダー庁舎として使用されることになり、現在も存在する官庁が建てられました。
ザバブルク時代:戦争による荒廃から「眠れる森の美女の城」へ
- 三十年戦争(1618年~1648年)
-
ティリー(Tilly)将軍(1559-1632)率いるカトリック軍に占領され、城は甚大な被害を受けました。
あわせて読みたい三十年戦争と城の興亡:中世の城から近代要塞へと変わる歴史 ドイツ各地の古城の歴史を調べていると、頻繁に登場するのが三十年戦争。 この戦争は単なる宗教対立を超え、ドイツの城にも大きな影響を与えました。 多くの城が攻防戦…破壊されたけど、1651年には再建されたよ。
- 七年戦争(1756年~1763年)
-
七年戦争のさなか、1760年に城はフランス軍に占領され、城の大部分が破壊され、林業小屋として使用されるようになりました。
- 1812年
-
グリム兄弟がグリム童話を出版。グリム兄弟はこの地を訪れ、城の伝承から『いばら姫(眠れる森の美女)』を着想したと言われています。
- 1826年
-
ヘッセン方伯フリードリッヒ2世が城を再建するも次第に老朽化。一部は崩壊し始め、再び放置されます。
- 1957年
-
城の保護運動を受けて、ヘッセン方伯が1957年にレストランとカフェを併設する高級ホテルへと城を改修。1961年からホテルとしての営業を始めています。
- 1987年
-
結婚式場が増設され、2002年にはさらにもう1つの結婚式場が増設されました。
「眠れる森の美女」の城で挙げる結婚式だなんて、おとぎ話の王子様とお姫様になれちゃうのね


ザバブルク城へのアクセス
ホーフガイスマー(Hofgeismar)駅からタクシーで行くとよいようです。


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