ランメナウ城は、その名の通りバロックシュロスで、ザクセン州の中でも保存状態の良いバロックシュロスになります。
ドレスデン(Dresden)の東北東約30kmのランメナウにある城です。
西ラウジッツ(Westrausitz)景観保護区に含まれています。
現在この城はザクセン州が所有し、城、庭園を管理しています。
ランメナウ城の見どころ
小ぶりな城ですが、室内はおとぎ話に出てくる城の部屋のような素敵な空間が広がっています。
城の建築物
バロック様式の塔を持つゲートハウスを通って城に入ります。
本館
マンサード屋根の2階建て3翼の建物です、破風や屋根にはバロック様式の装飾が施されています。
「エトルリアの間」、「ポンペイの間」、「黄金の間」、「フンボルトの間」に、1800年頃に描かれた古典主義時代の壁画がほぼ完全な形で保存されています。
ミラーホール(Spiegelhalle)
ミラーホールは2つの階にまたがっています。
ミラーホールでは、定期的にコンサートが開かれています。
こんな空間で聞く音楽は、どんな音色になって聞こえるのでしょう。素敵なメロディーであることには、違いありません。
庭園
ドイツ生まれの哲学者フィヒテ(Fichte)にちなんでフィヒテ公園と名付けられ、記念碑までありますが、単にシュロスパーク(Schlosspark)とヨガれることが一般的です。
英国庭園として整備され、珍しい植物、水遊び可能な池、多くの彫像やプットーが置かれています。
レストラン
歴史的観点から、特別な料理イベントが行われることもあるようです。
一般的な料理のほか、ヨーロッパらしいジビエ料理も楽しめます。
博物館
バロック時代や古典主義時代のザクセン貴族の生活やライフスタイルを展示しています。
ランメナウ城へのアクセス
アウトバーン4号線をブルカウ(Burkau)で降り、南に向かいます。
城の隣に駐車場があります。
ランメナウ城の歴史年表
- 1597年
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文献で騎士領ランメナウが初めて登場します。
- 1717年
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ランメナウ城の所有者が破産し、アウグスト強王の侍従長エルンスト・フェルディナンド・フォン・クノッホ(Ernst Ferdinand von Knoch)がランメナウを購入しました。
- 1721年~1731年
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バロック様式のシュロスと庭園を再建しました。クノッホは騎士領を7つ所有していましたが建設費用が足りず、内装工事が終わる前に破産しました。
このため、屋根組みは何年も放置されていました。
- 1744年
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フランツ・ヨーゼフ・フォン・ホフマン(Franz Josef von Hoffmann)がこの城を競り落とし、甥が城を完成させました。
- 1758年
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七年戦争時、プロイセンのフリードリッヒ大王(König Friedrich dem Großen)の一時的な拠点となりました。
- 1778年
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ホフマンは、ホフマンセグ(Hoffmannsegg)として帝国伯爵に昇格しました。
- 1794年
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ランメナウをプロイセン騎兵体長フリードリッヒ・フォン・クライスト(Friedrich von Kleist)に売却しました。彼は城の内瘻を古典主義様式に変え、庭園をイギリス庭園に改装しました。
- 1879年
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マリエンシュテルンの王室侍従兼修道院吏のハンス・クルト・クリストフ・エルンスト・フォン・ポゼルン(Hans Curt Christoph Ernst von Posern)が、この不動産を取得しました。
- 第一次世界大戦
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軍の病院として使用されました。
- 1945年
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赤軍に占領され、ソ連占領地域の土地改革によって、資産が没収されました。
- 1968年
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レストランがオープンします。