ドイツ史年表(主に中世)

少しずつ加筆しています。

375年
フン族の襲来。
ゲルマン人の大移動
476年
ゲルマン人傭兵隊長オドアケル(Odoaker)がローマ帝国皇帝ロムルス・アウグストゥス(Romukus Augustus)を倒し,西ローマ帝国滅亡。オドアケルは皇帝の名を避け,「国王」を名乗る。
481年
フランク王国クロヴィス(Chlodwig)が即位する。メロヴィング朝が成立する。
486年
ソアソンの戦い(Schlacht bei Soissons)でクロヴィスはシアグリウス(Syagrius)率いるローマ軍を破る。フランク族が来たがリアの覇権を握る試金石となる戦いであった。
498年
フランク国王クロヴィスはランスでカトリックの洗礼を受ける。3,000人のフランク人を洗礼させた。
507年
ヴイエ(Voillé)の戦いで西ゴートのアラリック二世(Alarichs II.)死す。
511年
クロヴィス,パリで死ぬ。王国は息子達によって分割される。
531年
テウデリク一世(Theuderich I.)とクロタール(Chlothar)がチューリンゲンに勝利。
532-534年
ブルグンド王国を支配下に入れる。
534年
チューリンゲン王家を殺害。
732年
カール・マルテル(Karl Martel)がツール・ポアティエの戦いでアラビア軍を破る。
751年
ピピン三世(Pippin der Jüngere)がフランク国王に即位する。カロリング朝が成立する。
800年
カール・マルテルの孫,カール大帝(Karl der Große)がフランク王国の国王に即位し,法王レオ三世(Leo III.)より聖ピエトロ寺院で皇帝冠を授かる。
843年
ヴェルダン条約が結ばれ,フランク王国はカール大帝の孫たちにより三分割される。
870年
西フランク王国と東フランク王国でロタール領の取り合いが起こり,ドイツ,フランス,イタリアの原型が出来る。
911年
カロリング朝断絶。コンラート家のコンライト一世即位。ロートリンゲンが東フランク王国より離脱し,王権は弱体化する。
919-936年
ザクセン公爵ハインリッヒ一世(Heinrich I. Herzog von Sachsen)がドイツ国王に即位。
955年
レヒフェルト(Lechfeld)の戦い。オットー一世(Otto I.)と息子のハインリッヒ一世(Heinrich III.)がハンガリー軍を破る。
962年
オットー一世がローマ皇帝冠を授かる。神聖ローマ帝国の礎ができる。
1002年
オットー三世(Otto III.)の死亡により,バイエルン公国のハインリッヒ2世が国王に選ばれる。
1014年
ハインリッヒ二世,皇帝冠を授かる。
1024年
ザリエルのコンラート二世(Konrad II.)が国王になる。ザリエル朝が成立する。
1027年
コンラート二世,皇帝冠を授かる。
1075,76年
法王グレゴール七世(Gregor VII.)と国王ハインリッヒ四世(Heinrich IV.)が衝突。ヴォルムス(Worms)の聖会議にて,ハインリッヒ四世を破門にした。
1077年
カノッサの屈辱。
1096年
第一回十字軍。十字軍は聖地への進行途上,身近にいる異教徒であるユダヤ人を虐殺。
1125年
ハインリッヒ五世(Heinrich V.)の死により,100年続いたザリエル朝が終わる。ザクセン大公ロタール三世が国王に即位する。
1138年
コンラート三世(Konrad III.)が即位。シュタウフェン朝が成立する。
1147,1148年
第2回十字軍。後の赤髭王であるフリードリッヒ三世・フォン・シュヴァーベン(Friedrich III. von Schwaben)がおじのコンラート三世と共に出陣。その頃ハインリッヒ獅子候(Heinrich der Löwe)が北ドイツに向かう。
1152年
フリードリッヒ一世(赤髭王)(Friedrich I. Barbarossa)即位。
1189-1192年
第3回十字軍。赤髭王が遠征途中で溺死。息子のハインリッヒ四世・フォン・シュヴァーベン(Heinrich IV von Schwaben)がアコンを前に死去。
1191年
ハインリッヒ六世(Heinrich VI.)がローマで皇帝冠を授かる。
1192年
ハインリッヒ六世は十字軍帰りのイギリス王リチャード獅子心王(Richard Löwenherz)をオーストリアで捕らえ,身代金を脅し取る。
1197年
ハインリッヒ六世死去。
1198年
分裂国王選挙により,フィリップ・フォン・シュヴァーベン(Philipp von Schwaben)に対し,オットー四世(Otto IV.)が対立国王に選ばれる。
1202-1204年
第4回十字軍。コンスタンチノープルを落とし,ラテン王国を立てる。
1209年
オットー四世がローマで皇帝冠を授かる。フリードリッヒ二世(Friedrich II.)がコンスタンツェ・フォン・アラゴニエン(Konstanze von Aragonien)と結婚。
1212年
フリードリッヒ二世が国王に選ばれる。少年十字軍が聖地に向かう。
1218年
オットー四世死去。
1228,1229年
第5回十字軍。フリードリッヒ二世(Friedrich II.)がエルサレムに入る。
1231年
ドイツ騎士修道会はプロイセンを占領し,植民活動を介しする。
1283年
ドイツ騎士修道会はプロイセンを征服し,リトアニアと対立する。
1246年
ハインリッヒ・ラスペ四世(Heinrich Raspe IV.)が対立国王として立つ。
1254年
フリードリッヒ二世とコンラート四世(Konrad IV.)の死亡により,シュタウフェン朝が終わる。(ただしシュタウフェン家はシチリア王として1318年まで続く)
ライン都市同盟の成立。
1254-1273年
大空位時代
1273年
ルドルフ・フォン・ハプスブルク(Rudolf von Habsburg)がドイツ国王に即位。
1314年
二重国王選挙が行われる。ハプスブルク家のフリードリッヒ美公とヴィッテルスバッハ家のバイエルン大公ルードヴィッヒ四世が対立する。
1415年
フスが火刑に処される。
1419年
フス戦争勃発
1466年
ドイツ騎士修道会はポーランド国王に服属する。
1495年
ヴォルムス帝国議会。
1517年
マルチン・ルターが95の命題を公表。
1525年
プロイセンのドイツ騎士団領はルター派を受け入れ,世俗公領化する。
1530年
アウグスブルク帝国議会。ヴォルムス勅令実施を再確認。ルターは「信仰告白」を提出する。
1546年
シュマールカルデン戦争勃発。皇帝軍はシュマールカルデン同盟を解散させる。
1618-48年
三十年戦争
1688年-97年
プファルツ継承戦争。ライン川およびモーゼル川流域の城が破壊され,ハイデルベルク城が陥落する。
1733年
ポーランド継承戦争勃発
1756-1763年
七年戦争。
1778年
バイエルン継承戦争勃発。
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