シュタウフェン朝時代後期,ドイツ語圏における騎士の宮廷文化です。
“mine”とは,中世ドイツ語で「愛(Liebe)」を意味しています。“sang”は歌。
騎士道では主君の奥方相手に貴婦人崇拝を余儀なくされました。騎士達は貴婦人たちの関心を惹くためにトーナメントや戦争で活躍するほか,彼女の名を取り入れた歌(と言うより詩)が唄われました。
十字軍の遠征により東洋の抒情詩の影響を受け,ミンネザングの形が出来上がっていきました。
ミンネザングの歌い手はミンネジンガー(Minnesinger)と呼ばれる吟遊詩人です。
ミンネザングの変遷
ドイツ語圏では1155年頃から登場します。
冒険の歌と愛の歌が11世紀の中頃に唄われました。
ミンネザングは騎士の嗜みであり,自分の文学的素養や品行を示すもので,馬上槍試合と同じく競争的な要素を含んでいました。
南フランスのトロバドール,後に北フランスのトルヴェールの影響を強く受けています。音と韻の踏み方に影響を見ることができます。
ミンネザングは,ドイツ語という言葉の文学的な統一化に役立ちました。マルティン・ルターが聖書をドイツ語で記載することにより,ドイツ語が統一されましたが,その400年前の動きです。
1180年ごろが開花期で,有名なミンネゼンガー(Minnesänger)に,フリードリッヒ・フォン・ハウゼン(Friedrich von Hausen),ハインリッヒ・フォン・モールンゲン(Heinrich von Morungen),ハインリッヒ・フォン・ヴェルデック(Heinrich von Veldeck),ハルトマン・フォン・アウエ(Hartman von Aue),ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ(Walther von der Volgelweide)がいます。
シュタウフェン朝時代はミンネザング抜きには考えられず,ハインリッヒ6世(Heinrich VI)の周りにミンネゼンガー達が取り巻いていたばかりか,自ら詩を書きもしました。
ミンネザンクの衰退
シュタウフェン朝も終わりになると,ミンネザングも終わりに近づきます。1250年,ウルリッヒ・フォン・リヒテンシュタイン(Urlich von Lichtenstein)は婦人崇拝とこの騎士文化の衰退を嘆いています。
ミンネザングは騎士道,あるいは愛を歌ったものです。
しかし1220年~30年頃になるとパロディやエロティックなものへと変わり,ミンネは性行為の代名詞となってしまいました。
14世紀になると,唄い手は騎士階級から市民階級に移り,ミンネゼンガーからマイスタージンガー(Meistersinger)に取って代わられます。