フルダ(Fulda)近くのアイヒェンツェル(Eichenzell)にある四翼から成るバロックシュロスです。
わずか30年しか土が採れなかったため幻とも言われるフルダ焼の貴重な展示を,この城で見ることができます。
庭園の一部があまり手入れされていないため,自然公園のような状態になっている箇所もありますが,そこはご愛嬌。
ファザネリー城の見どころ
博物館の見学はガイドツアーのみです。
日本から新婚旅行に来た友人たちと行った時,ガイドツアーの開始時間には1時間も早く着いてしまいました。しかし,私たちのために特別にガイドツアーを行ってくれました。
スタッフの臨機応変な優しさに感謝です。
磁器博物館
磁器博物館には,フルダ焼きのみならず,マイセンや中国,日本の磁器も展示されています。
どのように色を出していたのか,今は失われてしまった彩色技術によって彩られた見事な皿たち。技術を絶やすこと無く継承していくとは,かくも難しいものなのか。
見事な青色だったために,非常に残念であります。
フルダ焼はマイセン焼きに比べ厚みがあるので,それとわかるのだそうです。
フルダ焼のシンボルマークはマイセン焼のシンボルマークと似ていますが,よく見ると違います。
考古学博物館
ヘッセン伯爵の私的収集物が好意により展示されています。
古代ギリシアの銅像や粘土像の展示が中心です。古代ギリシアが好きな人におすすめの博物館です。
ファザネリー城への行き方
車で行く場合
A7号線をフルダ北(Fulda-Nord)で降り,B27をFulda-Bronnzell方面に進みます。
公共交通機関を利用する場合
フルダ駅からバス路線7,または6,あるいは43番が利用できます。
ファザネリー城の歴史年表
- 1710年頃
- ヨハン・ディーンツェンホーファー(Johann Dientzenhofer)の下で小さなシュロスが建てられました。
- 1730年頃
- 修道院長アドルフ・フォン・ダルベルク(Fürstabt Adolph von Dalberg)が城を拡張しました。中庭の西側が閉じます。建設した人の名をとって,アドルフスホーフ(Adolphshof)と言います。
- 1739年
- アマンデュス・フォン・ブゼック(Amandus von Buseck)がさらに拡張し,残りの3方向をすべて閉じます。
- 1803年
- ナッサウ・オラニエン・フルダ公国に移管され,後にナポレオン一世によって併合され,1810年にフランクフルト大公国の一部となります。
- 1816年
- ウィーン会議の結果,フルダはヘッセン選帝侯へと移管されます。
- 1825年から1827年
- ヴィルヘルム二世選帝侯が内部を改装します。
- 1866年
- プロイセンがヘッセンを併合し,夏の邸宅として使用されます。
- 1878年
- フリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・ヘッセン=カッセル(Friedrich Wilhelm von Hessen-Kassel)に再び所有が戻されます。
- 第二次世界大戦
- 城は空爆により深刻な被害を受けます。
- 1949年
- 城はヘッセン家財団(Hessische Hausstiftung)が所収し,管理することになりました。フィリップ・フォン・ヘッセン伯爵(Landgraf Philipp von Hessen)は博物館として公開する計画を立てます。
- 1972年
- 博物館がオープンします。
ファザネリー城の営業案内
開館時間
4月1日~11月1日
火曜日~日曜日および祝日 10:00~17:00
アドベントの週末
13:00~17:00
ガイドツアー
古典的ガイドツアー(Klassische Schlossführung)
10:00~17:00
磁器博物館
日曜日および祝日 12:00および15:00
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