マリエンブルク城は,ハノーファー王家ことヴェルフェン家の居城だった城で,19世紀に建設されたネオゴシック様式の新しい城です。
マリエンブルク城という名の城は他にもあるため,所在地であるパッテンゼン(Pattensen)を付けて区別することもあります。
ハノーファー国王ゲオルグ五世(Georg V.)が,王妃マリー(Marie)の39歳の誕生日プレゼントとしてこの城を建てました。
現在,マリエンブルク城は財団の譲渡され,観光用に公開されています。
マリエンブルク城の見どころ
ゲオルグ五世ハノーファー国王陛下が王妃にこの地をプレゼントしたとき,妻の名をとってこの地をマリエンベルクと呼び,建設する城をマリエンブルク城として証書に記載しました。
土地と城に愛妻の名前を付けてしまうなんて,なんともヨーロッパらしい文化です。
小人伝説のある場所でもあり,なんともロマンチックですね。
ネオゴシック様式の建築
19世紀の城は,軍事施設としての要塞と居住および行政の地としての宮殿と分化しています。
この時代に建てられた城にとって,高いベルクフリートや跳ね橋,張り出し歩廊に軍事的な機能はなく,城の装飾品でしかありません。
これらの設備が城の装飾品でしかないとはいえ,ライネ渓谷から眺める城はやはり中世の城っぽい雰囲気を醸し出しています。
シュロスレストラン
城の北翼に馬小屋と馬車置き場がありました。現在,そこはレストラン,カフェおよびビアガーデンとして使用されています。(ちなみに,馬車はオークションで売却されています)
王家の城で楽しむ食事とは,貴族の気分かはたまた召使いの気分を味わえるのか。
どちらにしても,素敵なひとときを過ごせることは間違いありません。
ベジタリアンにも対応したメニューもあるようです。
結婚式
城の礼拝堂で結婚式を挙げることができます。
王家の城で挙げる結婚式は,また格別かもしれません。
礼拝堂は,プロテスタントのルター派の礼拝堂となっています。
この城の礼拝堂とは全然関係ないですが,ハノーファー皇太子の結婚式の様子。挙式の場所はデンマークらしいです。
マリエンブルク城の行き方
車でないと,行くのは難しそうです。
マリエンブルク城の歴史年表
- 1857年
- 城の建設を計画しているシュレンブルク山地(Schlenburger Berges)南東斜面を購入しました。そして4月14日のマリー王妃の誕生日に,マリー王妃の個人の私有地として譲渡しました。
- 1857年~1867年
- ハノーファー建築学校の建築家コンラート・ヴィルヘルム・ハーゼ(Conrad Willhelm Hase)とエドウィン・オプラー(Edwin Oppler)によって建設されました。
- 1858年10月9日
- 王家の立ち会いのもと,礎石が置かれました。
- 1860年12月3日
- 上棟式が行われました
- 1866年
- ハノーファーはランゲルハンザの戦いでプロイセンに破れ,ハノーファー王国がプロイセンに併合されます。ゲオルグ五世国王陛下は,オーストリアへ亡命します。
- 1866年~1867年
- マリー王妃と娘のマリー王女が1年だけマリエンブルク城に住みます。国王夫妻はマリエンブルク城に戻ることを望んでいたため,国王夫妻亡命後も内装工事が続けられました。しかし実際には,国王夫妻がマリエンブルク城に戻るという願いは叶いませんでした。
- 2004年
- 当時21歳でロンドンの投資銀行に勤務していたエルンスト・アウグスト・フォン・ハノーファー(Ernst August von Hannover)王子に,マリエンブルク城を始めとするハノーファー家の資産を譲渡します。
- 1867年
- プロイセンによるヴェルフェン家の財宝の没収を恐れ,国外に持ち出すことを決心します。貴重品は,ケンブリッジ公爵に預けることによって国外へ持ち出すことに成功し,後にイギリスで受け取ります。
- 2018年11月
- エルンスト・アウグスト・フォン・ハノーファーは城を公的機関に売却する意向であることを明らかにしました。しかし父がそれに対して反対し,結局,財団に譲渡されることになりました。
- 第二次大戦後
- 再びヴェルフェン家の人々が居住するようになります。ゲオルグ五世夫妻の孫であるエルンスト・アウグスト三世が家族とともに住み始めました
- 2005年
- 城の備品の多くが競売にかけられることになりました。競売にかけられた品々の多くは海外へ,ニーダーザクセンにとどまったのは1/4にすぎませんでした。ニーダーザクセン州にとって貴重な歴史的文化財が失われることになりました。
- 2006年
- シュロス博物館が再開します。
- 2014年~2017年
- ハノーファー王家の王冠が展示されます。
マリエンブルク城が立っているのは砂岩の岩山です。
砂岩の岩山はもろくて崩れやすく,ライネ川による浸食が深刻な状態となっています。一般的な改修・修繕作業よりも費用がかかってしまうのが,重大な問題となっています。
城を維持・管理するのは大変です。
コメント