ベントハイム城は,ミュンスター(Münster)の北西約30kmのところに位置するバート・ベントハイム市にある山城で,オランダ国境からは約8kmしかありません。
バート・ベントハイム市の砂岩の岩の上に建っています。
ドイツ北西部で最も大きくて美しい城の1つといわれています。城の歴史は中世初期に遡ることができるので,非常に歴史のある城であることはまちがいありませんが,現在の城は19世紀に再建された城です。
目次
ベントハイム城の見どころ
城の内部の見学は,ガイドについて回らなければならないところがほとんどですが,ベントハイム城は入場料を支払えば自由に見て回ることができます。
プルファー塔(Pulverturm)
この城を特徴づける高さ30mの方形のベルクフリートに登ると,のどかな田舎の風景を一望できます。
ベントハイム城の行き方
ベントハイム城の歴史年表
- 1020年
- かつてゲルマン人の避難ブルクが会ったところに要塞が建てられましたが,ブルクが建てられたことを示す文書はありません。しかし,サクソン貴族の一人として知られるオットー・フォン・ノルトハイム伯爵(Graf Otto von Northeim)がブルクの所有者であったことが言及されています。
- 1050年頃
- ビニトハイム伯爵(Grav von Binitheim)の強固な城があったことは1050年頃の文書から明らかになっています。
- 1116年
- 後の皇帝ロタール三世(Kaiser Lothar III.)であるズップリンブルク公爵ロタール(Herzog Lothar von Süpplinburg)とハインリッヒ五世(Heinrich V.)との抗争に巻き込まれ,ベントハイム城は破壊され,略奪され,燃やされました。当時の城はまだ木製です。城はその後すぐに再建されたようです。
- 1146年
- オットー・フォン・ライネック(Otto von Rheineck)とユトレヒト司教とのフェーデが勃発しました。その結果ユトレヒト司教が勝ち,ブルクは一時的にユトレヒト司教の管轄になります。
- 1160年頃
- 環状城壁,礼拝堂および塔が完成します。
- 1421年
- 男子が途絶えるなどして相続は娘に移ったり,婚姻によってオランダになったりなどしましたが,この年に現在まで続くベントハイム・シュタインフルト(Bentheim-Steinfurt)家がベントハイムを相続することになりました。これ以降,ベントハイム伯を名乗るようになります。
- 1486年
- 皇帝フリードリッヒ三世(Kaiser Friedrich III.)はエバーヴィン二世(Eberwin II.)にベントハイムを帝国封土(Reichslehen)としてベントハイムを独立領と認定しました。ベントハイム家は結婚により少しずつ領土を広げていきます。
- 三十年戦争
- 何度も侵略され,略奪されました。三十年戦争後,城の軍事的重要性は失われ,行政府として使用されるようになります。
- 1636年,1664年
- ペストが大流行し,数千人が犠牲となります。住民たちはペストでなくなるか,オランダに亡命しました。
- 七年戦争
- フランス軍とイギリス軍に何度も包囲されます。その時の砲弾をプルファー塔(Pulverturm)の東側の壁に見ることができます。
- 1752年
- 度重なる戦争とペストの流行に,ベントハイムは経済的に立ち行かなくなり,抵当に入れられることになります。
- 1804年
- ベントハイムは再びベントハイム伯の所領となります。
- 1848年
- 紛争により荒廃していた城の再建が始まります。
ベントハイム城の営業案内
- 開館時間
- 3月~10月 10:00~18:00
11月~2月 火,水,金,土,日曜日 10:00~17:00 - ガイドツアー
- 博物館の見学はガイドツアーなしで自由に見れますが,ガイドツアーは要予約です
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