マインツ司教区とヴュルツブルク司教区との境界,マイン川(Main)の真珠と呼ばれるミルテンベルク(Miltenberg)という町にある城で,ミルデンブルク(Mildenburg)とも呼ばれます。
(おそらく,どちらかが訛って定着たと思われます。)
日本人ではマイナー街道ですが,ニーベルンゲン街道(Niebelungenstrasse)と,ジークフリート街道(Siegfriedstrasse),ドイツ・リーメス街道(Deutsche-Limesstrasse)が交わっているところにあります。
ミルテンベルク城の訪問記はそちらをご覧ください。
目次
ミルテンベルク城の歴史
- 12世紀末
- マインツ司教がマイン川の湾曲している部分に,税金を取りたてるためのブルクを築きます。当時は,後の婦人の間(Kemenate)と呼ばれる建物と環状壁といくつかの建物のみの構造でした。このころベルクフリートが完成します。
- 1226年2月18日
- 初めて文献に登場します。マインツの伯爵がミルテンベルクの役人として就きました
- 1500年前
- 建物の東側を焼失します。
- 1500年頃
- マインツ大司教ベルトホルト・フォン・ヘンネベルク(Berthold von Henneberg:1484-1504)の下,新しい建物が建てられました。建物の紋章はこの家系のものです。
- 1618-1648
- 30年戦争により,町と城はかなりひどい損害を受けました。
- 1691-1693年
- マインツの宮廷建築マイスターにより,町長の住居として大きく改築されます。
- 1737年
- 婦人の間の撤去します。マインツ選帝候は城の大部分を採石場としてみていたようです。
- 1808年
- 枢機卿カール・ゴットリープ・ホルスティッヒ(Carl Gottlieb Horstig)に売られ,初めて私有の城となります。
- 1856年
- マグデブルクの商人,カール・ヴィルヘルム・ツィンマーマン(Carl Wilhelm Zimmermann)に売られます。
- 1858年
- ナッサウ(Nassau)公爵の記録係,フリードリッヒ・グスターフ・ハーベル(Friedlich Gustav Habel)に売られます。彼のいろいろなコレクションの置き場となりました。
- 1908年
- ノルマン・ロスハウゼン(Normann-Loshausen)家に売られます。19世紀のロマン主義の影響を受け,内部をいろいろ改築しました。
- 1979年
- 城はミルテンベルクの町の所有となりました。
ミルテンベルク城へのアクセス
アウトバーン3号線(A3)を57番で降り,ブンデス469号線をマイン川に沿って南下します。
ミルテンベルク城の開館案内
- 開館期間
- 5月1日~10月31日
- 開館時間
- 11:00~17:30
- 所有者
- Stadt Miltenberg