ハルツ山地の北東にある山城ですが,塔もベルクフリートもパラスもなく,防御設備らしい設備がなく,およそ城らしく見えない城です。
城らしく見えませんが,これでもハルツを防御するために建てられたブルクです。
日本ではマイナーな存在のロマネスク街道(Straße der Romanik)にある城です。
ロマンティック街道ではありません。ロマネスク街道です。
ロマネスク街道の城ということからも分かる通り,この城は後期ロマネスク様式の城です。
コンラーツブルクの西南西約10kmのところに,ファルケンシュタイン城があります。
ファルケンシュタイン城(Burg Falkenstein)(ハルツ)(Harz)
ファルケンシュタイン城(Burg Falkenstein)という名前の城は,非常にたくさん(30以上)あるので,城の名前の後に地域名を付けて区別します。 ここで紹介するファルケ…
目次
コンラーツブルク城の見どころ
まったくもって城らしくない城です。
城というよりも,修道士たちの教会です。
重厚なロマネスク様式のこの建物で,日々修道士たちが農作業に取り組むなどして修行していた場所であることが分かります。
周辺には田園風景が広がっており,ひじょうに牧歌的な場所です。
動画ではハルツ山地の魔女がコンラーツブルク城の魅力を伝えてくれています。
コンラーツブルク城への行き方
コンラーツブルク城の歴史年表
城の近くに専用の駐車場があります。
- 青銅器時代
- 入植地があったことがわかっています。集落を守るための防御施設が建てられたのが最初です。
- 1120年
- ハンガリー人やスラブ人の襲来が日常的にあり,ハルツの地を守るための防御施設を建てました。ファルケンシュタインも同時期に建てられています。
- 13世紀
- ベネディクト修道会がコンラーツブルク城に修道院を建てました。その後数世紀に渡り,ハルツ山地東部地区の宗教的経済的中心地になりました。
- 1525年
- 農民戦争により,消失します。翌年僧侶たちは債権を試みますが,断念しました。
- 1712年から1945年
- 農園として使用されました。中心には水汲み小屋(Brunnenhaus)が建設され,井戸の深さは45mありました。
- 1945年以降
- 城が農業用に使用されたこともありますが,コンラーツブルク城が見直す運動が起こり,調査と復元が行われました。ロマネスク様式のバシリカ,地下聖堂,聖歌台が保存されています。
コンラーツブルク城の営業案内
夏期
10:00~17:00
冬期
10:00~16:00
カフェ
土曜日,日曜日,祝日